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2009年4月

ブルースが聞こえる 06

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モンマルトル、死を予期する馬 


翌日、フランク氏は、
既出版の写真集「ザ・アメリカン」を僕達にくれた。


American


古ぼけた机の引き出しから、
「好きな写真をもっていくように」
と、写真を沢山取り出した。

ぼくはためらわず、一枚の写真を手にした。
それは、かれの作品のなかでも、一番ぼくの印象深い写真だった。

広々とした霧のモンマルトル広場。
遠景にアパルトマンが、霞んでいる。
近くに、屠殺場がある。(そこに写っていないが)
そこに佇む馬に、子供達は、からかいながら投石している。
馬は労役の日々と老いを滲ませて、微動だにしない。
自らの死に近いことを、知っている馬。
なにも知らない残酷な子供達。


ぼくは、かってこんな知的で深い認識の写真をみたこたはない。


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元村は、土産のテープレコーダーの使い方を、
フランク氏にしきりに説明していた。
れいの如く、おちょぼ口をして。

ぼくは、ぼんやりと、窓外の汚れたビルをみたり、
アイリーンの細い指を眺めたりしていた。
ぐっと、疲労がきた。

フランク氏に別れをつげた。
こわいような鋭い瞳と、強い握手で送ってくれた。
なんとなく、最後の別れ、のように思えた。

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ブルースが聞こえる 05

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初冬、バワリーのロバート・フランク 
  
ロバート・フランクがカナダから戻った、と
アイリーンから連絡があった。

翌日の午後、
バワリーのフランクさんのオフィスで会えることになった。
会うことの現実感が増して、フランクと呼び捨てだったぼくらも
自然とフランクさんと呼ぶように変わった。
 
いつしか、かれを待つ間に、NYは、初冬の色を濃くさせていた。
彼の住むバワリーは、環境のよくないところで、
森永君から、
「飲んだくれが、歩道にごろごろ寝ている」
と、聞いていた。

やはり、そこは、灰色の殺風景な街で、
フランク氏のオフィスも古い汚れたビルにあった。
 


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採光のすくない部屋の
何もないちいさな丸テーブルで、ぼく達は、
写真の神様の前に座った。

 
かれは、カミユに似た風貌の人だった。
こちら側に、アイリーンと、フランク氏の横に、パートナーで画家の
ジューンと、それぞれ女性が座った。


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ぼくは、
元村と二人が、氏の写真を敬愛していることを告げ、

「この友人の元村が、あなたの写真集を出版させていいただきたいと希望しています。」

と、話した。
われながら愛想のない口上だな、と鼻白らんだ。


アイリーンが、通訳した。

言葉はよくわからなかったが
ボクの話の直訳ではない心のこもった通訳だろうことは
フランク氏の表情をみていてもわかった。


かれは、ずっとだまっていた。

そして、

「そんなことのためだけに、君達はわざわざやってきたのか。」

そういうと
フランク氏は、がくっと椅子に身を沈めた。


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元村の真情は、通じた。

フランク氏は、快く元村の諸条件を承諾してくれた。

いま、
40年も前のその時の情景をはっきりと思い出すことができる。

ちょっと不細工ではあったが
ジューンが調理したクッキーと、ジャスミンティーがテーブルにあった。
すすめられて食べたクッキーが、甘くなかったのが印象的だった。

つましい、質素な生活が滲んでいた。

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ブルースが聞こえる 04

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スミスとアイリーン。


森永君は快諾してくれた。
それにしても、なにか事を仕掛けていく上で
元村という、太っ腹というか
人間離れをした男が先ず、いて
川田さんという、ことの本質をサデッションできる人がいて
森永君という、人脈をもつキーマンがいる。

ぼくは、その周辺にウロウロしながら、元村の描いた夢が
実現の方向に進んでいるのを
天に向かって、心から感謝していた。


ニューヨークのスミスは多忙だった。
N.Y近代美術館での展覧会を控え
暗室にこもり、作品のプリントに大わらわだった。

全倍の大きなプリントをつくる。
聞けば、一日で、2枚しか出来ない、という。
いささかの不出来も、妥協しない。
完璧を期す、世界的プロフェッショナルの作業に接し、
ぼくらは、呆然とした。

赤ゲットのくだりで、画家の三太郎氏が、ここを案内してくれた時
いくらドアをノックしても、応答がなかったのは
きっと、暗室で、スミスは、極度の集中をしていたに違いなかった。

鬼神の如く、だ。


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忙しいスミスには、アイリーンという若い女性のアシスタントがいた。

「ハロー」
こっちの台詞。

「こんにちわ」
と彼女。

日本語、こっちよりうめーわ。
彼女は日系二世だった。
清楚で可愛い。
25才くらいかな。

随分前だが、富士フィルムが、世界的な写真家を登用してTVコマーシャルを
制作したことがある。
記憶している方もいるだろう。
キャッチフレーズは、「富士カラー、イズ、ビューテイフル」
その時の、コーディネーターが彼女。


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ユージン・スミスは、メインキャラクターだった。
その、CF撮影中、スミスは、アイリーンの仕事振りに痺れてしまった。
能力が高く、プラス、ジェントルハート。
発する言葉は、じーんと心に、くいいる強さを持つ。
通訳って、なまはんかの仕事じゃあねーぞ。


巨匠スミスに、生き様や、写真への期待を聞いた。
シュバイツアー博士の奉仕のドキュメントは、胸を打つ。(写真参照)


Smith


この日、アイリーンのハートフルな通訳なしには、熱い話し合いにはならなかった。
時折、目をうるませながら、語ってくれたスミスは、帰りしな、何度も何度も
かたい握手で送ってくれた。


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マンハッタンの荒ぶる風。


ロバート・フランクは、ノーヴァ、スコシアの山荘にいた。
仕事中だ、1週間で戻るらしい。

それまで、ぼくは、マンハッタンを撮り歩いた。
不況と、ベトナム戦の膠着化などの影響だろう。
NYは、荒れていた。

東京だけでなく、こちらも、ペシミテイックなムードに覆われていた。
のちに東京にも現れた、ショッピングガールといわれた
住まいのない手回り品だけを抱えてベンチにうずくまる老女や、
男の浮浪者が街なかや公園に溢れていた。
そばを通ると黙って、手を差し出す老女に
思わず、コインを数枚渡したりした。


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ある日、行き先も決めず飛び乗った地下鉄が、マンハッタンを下り
海を渡る直前で、高架に上昇した。
橋を渡りきると風景は、カラーからモノクロに変わり、
そこブルックリンは、廃虚だった。
ビルが林立しているが、どのビルも荒廃し、人影もまばらだった。
路上に擱座している車は、フロントグラスを銃で撃ち抜かれており、サンサん五五
たむろしている黒人達の目も険しかった。
 
あとで、NY在住の友人達に、呆れられた。
「よく、生きて帰ったな」

 
元村は相変わらず元気だった。
当時、写真界は、コンテンポラリー、フォートが流行していた。
ちょっとシニカルで、心地いい映像のブルース、ダヴィットソンが、若者にうけていた。
 
元村が、スミスに、B,Dへ出版の紹介をたのんだが、
スミスは、「ああいう姿勢の写真家は、好きではない」と、
にべもなかった。

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ブルースが聞こえる 03

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すきやきから飛び出した真理。


川田喜久治さんに相談した。
川田さんは、大ヴェテランの写真家である。

かれも、森永君のように、簡単に商業性と妥協するような人ではない。
月刊TOWNという雑誌で、知り合った。
勿論、かれは大先輩、数々の秀作を世にだしていた。

雑誌TOWNは、結構、志向性が高く、感覚と観念という二律背反を止揚する狙いの、
面白い雑誌だった。
 
要するに、おもろいことと、哲学をべたっと貼り合わすとでもいうことか。
エロスという、雑誌なりの難しいテーマに川田さんは挑んだ。
イタリアのルネッサンスの彫像を、かれは撮った。
デスクの中田さんは、困って頭を掻きむしった。

エロスだよ。エロスになってないじゃん。
「はたやさん、どうにかしてよ」

知らないよ。

そんなことがあった。

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銀座の三笠会館で、川田さんと元村と三人で会った。
すきやきをつつく。
貧乏人が、こんなもん食っていいのかなあ、
いや、大儲けの前祝いだ、
など、かってなことを言いながら、本題にはいった。

「おれのは売れないよ」
川田さんの意見は、森永君と同じだった。
「で、損したら、どうするの」
そうだよ、おれだってそれを聞きたいよ。
 
元村は、「ぼちぼち、兄貴に返すからいいですよ」
鼻は上向いてて、「へーん」という、ひとごとのような
顔つきだった。
 
強情だよ。この男は。
一度きめたら変えないよ。
 
川田さんもこの変わりもんに、なにいってもダメとわかったらしい。
「いい写真集を作ろうと思ったら、絶対損するよ。」
「絶対、損する。」
川田さんは、確信もってそう言った。

しかし「やってみるつもりです。」
仙人は、そう言い切った。

あきれた顔で川田さんは、こう言った。
「こんな無謀なことをやれば、必ず失敗する。
それを承知でやるならば、作品と心中する気でやるんだね。」
 
心中?
「そうだ、これだ、と心から納得できる作家だったら、お金を無くしても
悔いはないかもしれない。」

心中するような作品に出会えているのか。
これは、凄い問いかけであった。
グワうん!と脳天にきた。
川田さんに、おれと元村は、ぶっとばされた。

ーー霧深し 身捨つるほどの、祖国はありや。
寺山修司だ。
川田さんの意見には、説得力があった。
考えてみれば、そこまでつきつめるのは、当然のことだった。
「甘い!俺達は、なにを考えていたんだ。」
忸怩たる思いだった。


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元村も、虚を突かれたらしく、しばらく黙っていたが、
「はたや君だったら、誰を選ぶかね。」
と、おれに振ってきた。

「ロバート・フランク」
 
ぼくが、凄い!としびれる写真家は、フランクしかない。
フランクほど、人生の深淵をみつめ抜いた写真家を知らない。

 
Rフランクの代表作「ザ、アメリカン」の序文で、ジャック・ケラワックは、
「機敏さと、神秘性と、その天性と悲しみと、その陰翳の
不思議な秘密をもって」アメリカの狂った感覚をえぐりだしていることに驚き、
「音楽が、ジュークボックスや、近くの葬式から飛び出してくる」と、
病めるアメリカ全土をボロ車で駆け、写し撮った秀作を賞賛している。


「ぼくも、フランクだ。」
目ギョロも、そう叫んだ。
 
じゃあ、きまりじゃん。ほんとにやるのかよ。
「やるよ。」おちょぼ口で、ぼそっと言う。


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日本人の無名の人選から、世界一の写真家に跳んだ。
これは、ホラ話である。
酒のんだ、あげくの夢物語だ。
 
どこの馬のホネかわからぬ東洋人に、フランクがまともにとりあう
わけないじゃんか。
ただ意識レベルでの大変化は、あったわけで、
この点は、川田さんに大感謝であった。
やっぱり、ランキングボクサーは、発想が違うぞ。

 
仙人は、ほとんど間ぱつをいれず、翌日にそのあとの
進行を促して来た。
 
しかたないなあ、
こっちだって、食う仕事の段取りだってあるし、
さりとて、フランクの写真集も魅力だしな。
子供やワイフには、泣いてもらって、これは、仙人の泥舟に
乗るしかないな。
 
即、森永君に電話した。
いいじゃんか。
かれも、ちょっと驚いていたが、賛成だった。
かれの親密なスミスに、スミスからフランクへの橋渡しを頼んだ。


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ブルースが聞こえる 02

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ブルースが聞こえる

  
写真集たって、タレントのやつは売れるけど、芸術性の高いヤツは売れないよ。
よしんば、売れるとしても、そういうのは出版社が、ほっとかないよ。
出版社が手を出さないものを探す。
しかも、質の高い、損しないもの。

ああ、駄目だ、駄目だ。
そんなんのあるわけないじゃん。
やめだ、やめだ。

「頼む」
目ギョロは、食い下がる。


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そこに、原爆が写っていた。

森永純君に話してみた。
かれには、「どぶ」という未発表作品がある。
これには、あるエピソードが秘められている。
すこし、話が逸れるが、その話に触れよう。
 
かれは、原爆が投下される前日、父親に「母親と二人で、
田舎に疎開しろ」といわれ、父と姉を残し、田舎の実家に帰った。
そして、長崎をピカドンが襲う。

被災地に立つと、すべてが灰燼に帰していた。
必死で瓦礫の山を探すと、プラチナの固まりが出てきた。
それは、姉が身につけていた指輪に違いなかった。
父も姉も煙のように消えた。

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ある日、酔って公園に寝ていた、明け方、かれのまわりに、雨の水たまりが、できていた。
それは、かれの心情にふさわしい風景だったという。
それから、撮り続けた水たまりや、どぶの写真は、喪失と絶望のイメージの、厳しい写真だった。

世界的写真家、ユージン・スミスは、日立製作所の依頼をうけ、大規模な、企業
のドキュメンツを制作しようとしていた。
しかし、いい助手がいない。
スミスの求める「助手」は、たんなる荷物持ちではない。
要求水準が高かった。写真家として、だ。

写真家の人間評価は、作品で見極める。
自薦、他薦でつめかけるカメラマンのたまごは、だれ一人としてスミスのメガネに叶う
者はいなかった。

 

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そんな時、森永君は、人に薦められ、しぶしぶスミスに会った。
スミスは、「どぶ」を丹念に観ながら、
「われわれは、罪を冒した。」
と、涙を流したという。
作品の叫びに感応する、鋭い感受性。
スミスも、ただものではなかった。

 スミスは、もちろん森永君を助手に、
いや、その後、スミスは世を去るまで、森永君を、助手としてではなく、
信頼する友人として、厚い友情をかさねるのである。


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「どぶ」は、売れないよ。」
森永君は言った。
「売れなくてもいいんだ、って元村は言ってるよ。」
「そうはいかないよ。」
 
そんなやりとりをしていて、
そうはいかないよな、とぼくも思いはじめていた。
1000万の借金を背負った目ギョロが、浮浪者のように彷徨う姿が、ふと
目に浮かんだ。
損する、という感覚。
あいつには、ないのか?
おれには、わからない。
 
ふと、「大いなる悲観は、大いなる樂観に通ず」という名言が頭に浮かんだ。
とにかく、仙人の考えることは、わからん。

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ブルースが聞こえる 01

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ここまで赤ゲットのマンガチックな旅行譚を書いてきた。
だが、それは、このアメリカ旅行の、こぼれ話で、付録。

じつは、このアメリカ行きは、ある男の人生を賭けた話が、メインで、
ぼくは、その男の目的の伴走者だったのにすぎない。
本来、その男の話がアメリカ行きの主題だった。

 いま、2009年、世の中には、不況という寒風が吹き荒れている。
 若者の中には、
 職もなく、
 金もない。
 人生の確たる目標も掴んでいない。
 あせるぜ。
 そんな心境の若者は、今でなくとも、1970年にもゴマンといた。
 その一人、元村和彦は、当時のフリーター。


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ある日、ふらりとぼくのところへやって来た。
当時、ぼくは、銀行員をやめ、カメラマンに転業、なんとか
細々、たべていた。

元村は、夜間に通った写真学校の同級生。
大蔵省(今の財務省)をやめ、ぶらぶらしていた。
寄らば大樹の、大企業のなかにいて、自分の生きる満足感が、味わえ
なかった点は、かれもぼくも同じだった。

60年、70年と公害、学園紛争と、世間を席巻していた龍巻きは、
食うことや、身をたてることの前に、「生きるということは、なんだ。」
という、脅迫観念をぼくらに押しつけてきた。

「おれは、才能がない。」
かれは、そう切りだした。
「しかし、この写真の世界に、気持ちは引きつけられ抜きさしならない。」
一息つき、「そこで、どうしたらいいか考えた。」
と言った。
「自分が撮る必要はない。だれか才能や、理想をもつ人の
作品を世に出せばいいじゃないか。」が、結論だった。
自分が創らず、人を世にだす。つまり、出版か。

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「おまえは、キリストか。」
ぼくは、すこしあきれた。
自分が食えていないのに、他人の出版だと?
金はどうするんだよ、てなもんだ。

「兄貴に借りる。」という。
税理士の兄を、時々手伝うので、少しは、頼みごとも出来るという。
そこで、兄貴に相談してみた。
「1000万くらいなら、なんとかするよ。」
兄貴はそう言った、らしい。
兄貴も兄貴だ。そんなんで、気軽に大丈夫?

オマエんとこは、財閥か?ぼくは、あきれた。
「いや、貧乏だ」
 
この男、35才位、風貌は、頭が薄く、顔浅黒く、痩身。目ギョロ。
一言でいえば、仙人、修験者。というイメージだ。
発想だって仙人級だ。
人間を越えている。


「わかった。」
もう、なんだかわかんないけど、やりたきゃ、やれ。

おれに、なにをしろってんだ。
「だれか、いい写真家を紹介してくれ」
え?。なに言ってるんだ、駆け出しで食うや食わずのオレに、
そんなエライさんの知り合いがいるわけないじゃんか。

とにかく、こんな、ノンちゃん雲に乗る、みたいな話から
元村の大胆な目論みは、進行だけは、していったのだった。


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赤ゲット70年代のアメリカをいく 06

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10月22日

上原君より、電話で伝言あり。
「明晩、篠原有司男氏のアトリエで、パーテイあり。馳せ参ぜよ。」
電報のような伝言だった。
当然、馳せ参ずることにする。
篠原さんは、通称、モヒカンのギュウちゃんと呼ばれる、世界的な、前衛芸術家だ。
ボクシング、アートが有名だ。
ヴァワリーのロフトを、アトリエ兼住まいにして、驚愕的、創造的生活を送っている。

10月23日

篠原邸にゆく。
アトリエに、女物の着物が行列のように並んでいる。
昔の遊女のイメージの、艶やかで、しどけない、古びた着物の行列だ。
遊女の幽霊の行列。
これが、ギュウちゃんの作品かあ。すげえ。

ロフトの奥のほうには、建築家、画家、デザイナー、カメラマン、など、
満面髭男や、ボーズアタマで、目のまわりを黒く塗ったヤツや、
パンティ一枚の金髪女など異形の面々が、たむろしていた。

まるで、仮面舞踏会か、秘密結社の会合か。
ブキミ。
テーブルの上には、ちぎった野菜類がバケツに、
鳥の丸焼き。それも羽根のむしり残したものがデーンと。
ごはんは、木のみかん箱にびっちり。
なんじゃあ、コリャ。
そのうち、グワン!という大音響が響き、ヒッピー的な音楽がなりだすと、
ジンやシャンパンや、ウオッカがボンボン抜かれた。
怪しげな煙が廻され、パーテイは佳境にはいる。

こんな感じで、饗宴は、朝まで続くらしい。
おれは、吐き気がしてきて、ほうほうのていで、ホテルへ逃げ帰った。
ゲージツカには、とてもなれそうにない。


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10月25日

朝、早くおきてしまった。
今日は、撮影にいく。
59ストリートから地下鉄に乗り、ローアマンハッタンに向かう。
車中、いい獲物がいた。
窓際に、ヒスパニック系の中年男だ。
髭が八の字で、目がギョロリ。
味のある顔だ。


Red

気付かれないように、ノーファインダー、スナップだ。
シャッターを切り続けるうちに、
電車は、目的地を通り過ぎ、あっという間にイーストリバーを渡り、
ブルックリンに入ってしまった。
あわてて降りると、背中にピシッと、にぶい音。
パチンコ玉のように丸めた紙の弾が飛んできた。
振り返ると、例のヒスパニックが、恨めしげな顔で睨んでいた。
「畜生、撮りゃあがって」
ーーなんだ、知っていたのか。

乗り越したところは、まるでゴーストタウンのようで、
崩れかかったビルや、ボロボロの広告塔、道には、フロントグラスを銃弾で撃ちぬかれた
車が擱座していた。

あたりにたむろしている黒人の視線も厳しく、攻撃的だ。
かまわず、カメラをガンガン向ける。


「ブルックリンで、なんとあぶないことをーー」
上原くんに、あとであきれられた。
「よく袋だたきにあわなかったですね」
かれは、ため息をついた。
知らぬが仏だった。


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赤ゲット70年代のアメリカをいく 05

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10月18日

しばらくアメリカに滞在していて、妙な変化に気ずいた。
腰高で足の長い外人女性が、美しく感じられなくなったのだ。
胴長の日本女性が、妙に魅力的に思えるのだ。
なんだろう。この美意識の変化は?
まあいい。

ひとりで、グリニッチ、ヴィレッジへゆく。
クラシックな街並にどぎつい原色のペインテイングが氾濫し、ちょっと疲れる。
公園でベンチに腰をおろすと、スーとグリーンのスーツに赤いチョッキのホモらしい男がやってきた。

「何時か」と聞いたから、知らねーよと、立ち去る。
すこし歩くと、栗売りが、4〜5メーター置きに座っている。
しばらくいくと、一人の老人の栗売りと目があった。(写真参照)

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爺ちゃんは、カメラをぶらさげている俺に、写真を撮れという。
もう随分前に亡くなった祖父を思い出し、「いいひげだね、おれのじいちゃんを思いだすよ。」というと、
栗売りは、立ちあがり、オレの肩に手をかけて”*#&?ボーイ”とか言った。
そして、十字を切って、「神の恵みあれ」みたいなことを呟く。
なんか知らないが、爺ちゃんに懐かしい気持ちが湧く。

栗を買い、マジソンスクエアーガーデンの前で、
コンクリートのベンチに腰かけて、元村を待つ。
栗を食べる。
痩せた栗で、味もよくないが、爺ちゃんの人生を思いながら齧った。

その夜、わが家に手紙を書く。
「N,Yは昨日からめっき寒くなりました。
 マジソンスクエアーで、隣のほうで、黒人の浮浪者が、パンを齧り
 ながら、デカイ声で、なにかを叫んでいます。
 なにか、とても寂しそうな人が多い街です。」

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10月20日

オフ、ブロードウエーのラ、ママで、東由多可のパフォーマンスを観る。
すげえ、外人のインテリさんのような客が多い。(写真参照)


Redc1

Redc2

ラ、ママの近くで、”寅さん”を見かけた。
とっさのことで、知り合いのように手を挙げてしまった。
しかし、あの笑顔で、むこうも手を挙げた。サービス精神汪盛!
70年、演劇好きの寅さんは、多分、ここで東由多可の東京キッドブラザースの公演を観たであろう。

帰国が近ずいて、おのぼりさんのオレとしては、摩天楼に是非、登らねばなるまい。
出かけると、ここも混んでいた。
観光客で、エレベーターは、ひしめいている。
長い、さすが、エンパイア、ステイトビルデイングだ。
なかなか上まで着かない。
屋上では、もっぱら、風景よりスナップすることに、集中する。
恋人どうしのシーンに、集中する。(写真参照)

Redd

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