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寺山修司、「それから」33 〜 寺山修司の親和力。J.A.シーザー、「万有引力」を立ちあげる。  〜

4
J.A.シーザー

ハ、J.A.シーザー、「万有引力」を立ちあげる。


寺山の死で、九条さんは、やむなく「天井桟敷」の解散をきめたが、
シーザーたちは根本豊や、サルバドール、タリなどと「万有引力」という新劇団を立ちあげた。

拠点は隅田川を越えた下町の工場跡。
「ドウーブルの起源」を田中浩司脚本、シーザー演出で上演した。
「天井桟敷」の消滅に、寂しい思いをしていた人々が、どっとここに押し寄せた。

寺山は、自分の演劇のヴィジュアルは、粟津清、や横尾忠則、小竹信節などさまざま有能なクリエーターを登用、
変幻自在な世界を作りあげてきたが、音楽は1972年の「邪宗門」以来、シーザーが担当、
更に75年の「釘」からシーザーは寺山と共同演出することになった。
寺山演劇は、シーザーに負うところが多かった。
そもそもは、シーザーは自身、音楽の適性や資質に確信をもっていたわけではなかった。
新宿のヒッピー時代から人生のフォーカスを結ぶ日を探していた。


5
「万有引力」の公演

6
根本豊

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寺山の時計

天井桟敷入団後、ある日。
寺山が、シーザーに
「今日から音楽やってみたら?」
とすすめた。

その一言から、土に埋もれたなかから、きらりダイヤが現れた。
シーザーには、凄い才能が隠れていた。
掘りだした寺山の慧眼であった。
土俗的なものと、呪術性がからんだ、不思議な寺山のイメージ世界は、
そのまま、シーザーが資質としてもち合わせたものだったのだ。
二人は互いを必要とし、出会うべくして出会った。

シーザーは、
「寺山音楽学校には、生徒は私一人しかいず、私は、マン。ツウ。マンの教育をされていた。」
(下水道の音符。シーザー)と述べている。
寺山は、そんな探しものの上手な男だった。


7
サルバドール・タリ

サルバドール・タリは、劇団入団後、
「渋谷の天井桟敷館の管理人になってくれ」
と、寺山に頼まれた。

そこに住みこんだ団員達を、朝、たたき起こし館内の清掃をさせるという役割だ。
タリさんの、そんなエピソードに、私は笑ってしまった。
寺山が、パッとひらめく、役柄のイメージは、鋭く、面白い。

タリさんは阿佐ヶ谷の駅裏にサイドワークでバーを開いていた。
店の名は忘れた。
だから、人に話す時は、勝手にタリ、ズ、バーと言っている。
夜中から明け方にかけて、タリさんと二人きりで飲んだことがある。
その酒場は、古びたビルの上階にあり窓からみえる裏町の風景は、
夜の暗い光のなかにぽーっと夢のように霞み、
まるで、古いフランス映画の一齣をみているようだった。
タリさんは無口で、寺山の話に「そうでしたね」とか、
「汲めど尽きせぬ井戸のような人ですよ」などと
短い印象めいた言葉しか洩らさなかった。
寺山を失った劇団の今後の行方を聞いてみた。
「これから、どうなっていくのやら。」
ポツンと、そんな言葉だけが帰って来た。

8
寺山を喪った麻布@天井桟敷館

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