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寺山修司、「それから」36 〜 多摩丘陵のどよめき。 〜

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パルテノン多摩

1995年夏。
東京、多摩市のパルテノン多摩(劇場含む複合施設)と隣接する中央公園を舞台に、
スタッフ100人に公募の市民100人を加えて、
大掛かりな野外劇 「100人気球メトロポリス」が上演された。
 
これは、寺山修司原作、J.A.シーザーの綜合演出による近代否定とみられる呪術的な舞台で、
寺山フアンと思える3000人の観客を集めた。  
寺山修司は1983年に47才で世を去ったが、その後現在にいたるまで、
関連 書籍の刊行が相次ぎ、映画や演劇の上演は、あちこちでよどみなく続けられている。

いまだに、死せる寺山修司は、生ける若者達を引きつけているのだ。


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あるTV放送で「若者の生き甲斐とは」みたいなテーマで30代の論客が喧々諤々、議論していた。
よく、若者は生きる目標をもってないなどと言われる。
親からみれば、いつまでフラフラしてるんだ。
親子は、よくこんなやりとりをする。子供が、「東京へ行きたい」などというと、
「目的は持っているのか」と、おやじに詰問される。
目標や、生きる拠り所をしっかりもってから行動しろ、と攻めたてられる。
そうかあ。目的が先なんだ。

寺山は、それに対する解答めいたものをとっくの昔、述べていた。
「目的が見つからない時は、手段を持てばいい。」
わたし流に解釈すれば、
「旅をしたい、と思ったが、どこへいったらいいかわからない。」
そんな目的がハッキリしない時は、バイクでも買ってまず、走り出してみる。
または、列車にでも乗り、先ず動きだす。
景色も変わる、人にも出会う。
そんな、経験や時間が経過するうちに、「目的」が浮かびあがってくるかも知れないのだ。
寺山は、目的と手段に可逆性という自由をあたえたのである。

演劇についても、
市街劇や、書簡劇など、事実のなかに虚構を持ち込み、別の現実世界を生み出す。
演劇を武器に「政治によらない革命」をめざした。
それは過激で危険なものだったが(例えば、市街劇ノック)寺山の演劇観は、
時代を遥か超える前衛的なものだった。

かれの短歌も毀誉褒貶が激しかった。
発表した短歌が剽窃だと非難されたことも、しばしばだったが、
典型的な事例として、
60年代の、政治の混迷や学生運動など、激動のなかで、絶望した若者達の心情に
沁みた短歌

マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや

というかれの作品は、もとは

夜の湖 ああ白い手に 燐寸の火 (三鬼)
一本の マッチをすれば 湖 (赤黄男)
めつむれば 祖国は蒼き の上 (赤黄男) 

という、富沢赤黄男や、西東三鬼からの転用だ、と非難された。
しかし、歌人の塚本邦雄などは、「本歌より優れた本歌取りだ。」と擁護し、賞賛している。

もともと、寺山は、独創性などというものは、
「おれのものだ」などと声高にいうほど、個人の所有物ではない、と考えた。
文化や創造は、長い歴史の過程で、多くの先人の作品を、重層的に積み上げたものだ。
それらの断片をコラージュ(貼りあわせ)したものが自分の作品ではないか、という考えが彼にあった。
寺山の思想や哲学には、怠惰なぼくらを覚醒させる、驚くべきものが多かった。

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鳥居のような乳母車

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