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寺山修司、「それから」最終回 〜 さらば箱舟、さらば寺山修司。 〜

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ブラジルの作家ガルシア・マルケスの「百年の孤独」という小説がある。
なかなか読みにくい本で、終わりまで、読みとうせない、挫折率の一番高いといわれる小説だ。
私も挫折した。

寺山修司は、この小説に描かれた世界が、
かれの少年時代に体験した状況に酷似しているのに興味をもち、映画化した。
要略すれば、原初的な共同体が、近代化の波に襲われて崩壊していく、といったモチーフらしい。
寺山が住んだ古間木という田舎町に、アメリカの軍隊の進駐という「近代」が持ちこまれ、
田舎町の古い慣習や、しきたりが、ゆさぶられるというところに、
ガルシアの小説と類似するのを感じたのだった。


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「さらば箱舟」は、そんな発想の映画だった。
寺山は、映画の舞台の村落を沖縄にきめ、体調の悪化に耐えながら、精力的に撮影を進行した。
映画のラストが印象的だ。
村から追われるように去った人や、姿を消した人達が、モダーンに変わった現代の町に、
あちこちから、戻ってくるのである。
みんな、懐かしそうに、顔を見合せながら歩いていく。

私は、この場面を眺めながら、寺山修司が、ともに労苦をかさねてきた劇団員や、
友人達に愛惜の思いをこめて、描いているように思えてならなかった。
かれらとの懐かしい出会い、寺山もその群れのなかにいる。
涙がでた。

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撮影中、医者や、九条さん達をはらはらさせ、主役の山崎努に漢方薬をすすめられたり、
体調はかなり悪化していたようだが、楽しげな表情もみせていたという。

合田佐和子の話によると、この沖縄ロケの時、モーリス、ぺジャールのところのダンサーが、
ヘンな小節をきかせたベルギーなまりで、演歌の「みちのくふたり旅」をカセットテープに吹きこんだ、という。
これがメチャ面白い。
寺山は、朝、これを三回聞いて、大笑いしながら、「ヨーイ、スタート」を切った、という。

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寺山なきあと
「寺山の作品はいたるところで上演されてきた。
 だが、どれも寺山の(形の)踏襲でしかなかった。
 誰も、積極的に寺山の作品を、(革命的に)実験、検証しなかった。
 だれも、(政治を通さない、日常の現実、原則の革命)の目的のために
 寺山の作品を上演しようとはしなかった。」
と、二瓶龍彦は嘆いた。(括弧内は、勝手に私が書いた。)

その気持ちは、私にもよくわかる。
だが、時代は変った。
60年代というラジカルだが、まだ自由の残っていた時代が、帰ってこないように、
寺山修司が活躍した、なつかしい環境も再び甦ることはないだろう。
いまや、ぼくらは、あらゆる管理化や、サイバネテックスに支配され、もう息たえだえだ。

寺山、という山は、真実や価値を大量に埋蔵された奥深い山である。
その山を、掘ろうという、タフでピュアーな情熱がもう、この国にはないのだ。

「隣の町なんて、どこにもない、、、、、神様トンボはうそつきだ。
 両目とじれば、みな消える、、、、、隣の町なんかどこにもない、、、、
 百年たてば、その意味わかる!
 百年たっら、かえっておいで!」

 (寺山修司)


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