« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月

西の空が美しい。海辺のカフカ。豊洲、my love。

1
ららぽーとのトイレからの風景


ミッキー・ロークの、映画「レスラー」を、見に行った。
二回目だ。
パートナーを誘って。
ユナイテット・シネマ・豊洲へ。

この映画の登場人物は、みな軽い、不運に生きている。
ミッキーは、老いたレスラーだ。
配偶者はいないし、一人娘にも愛想をつかされている。
子持ちの場末のストリッパーとは、気持ちが通じ合ってはいるのだが、
不器用なので、コミュニケーションがうまくいかない。
軽い不運と書いたが、ぼくらの背負っているそんな感覚に近い。
ミッキーは、娘と、海辺の廃屋で、ダンスを踊る。
その、白いひんやりとした、寂しい風景は、まるで、アントニオーニの映像のように孤独だ。


見終わって、いつものように夕暮れの風景を眺める。
シアターに隣り合わせて広がる風景だ。
映画の余韻でひんやりとした寂しさをひきずる。
白いこの風景。
一番のみどころは、ステキなトイレからの風景だ。
どうして、東京では、どこのビルもトイレを超、奇麗にしたり、
絶景の見える場所に移し変えたりしはじめたのだろう。
もちろん、いい事ですよ。
引き続き、隣のBreatheでコーヒーをすすりながら再び、風景にゆったりひたる。


3
Breatheで、コーヒーと景色を味あう

豊洲の楽しみは、ぼくにはほとんどが海辺の風景である。
正確には、河と海の混じりあう微妙な場所なので水辺というべきだが。
ぼくにとってここは海辺のカフカ。
それは、春樹氏の小説とはちょっとちがい、
病めるカフカの佇む、寂しいイメージの海辺なのである。
勝手だが、
映画的空想にひたるにはいいところだ。

ここは、I H Iのドックの跡地で、いまは、巨大なショッピング、モールに変わった。
しかし、造船所という出自を残すことにこだわり、水辺に奇麗なモニュメントを残した。
もっと、ナチュラルのほうがぼくは好き。
かっこ良くしない残し方のほうが、かっこよかったじゃないの?

2
I H Iのドッグ跡のモニュメント。


だが、そのぼくの不満をカバーするかのように対岸には、「三丁目の夕日」的風景がある。
セメント会社のあたりの風景だ。
それはぼくを幼児期の記憶に引き戻し、気持ちをやわらげる。
もう長くは、残らない風景だろう。
だから、時間があれば、この風景を愛惜をこめて眺めにゆく。
お台場、豊洲、佃、月島。それぞれ水辺の表情には、個性があって、楽しい。
ぼくは、朝日の登るより、沈む夕日の風景が好き。だから、豊洲。

5
セメント会社あたりの風景

ここで海辺以外、ぼくの出かける場所は、ららぽーと豊洲だ。
映画と、コーヒーを楽しむのだが、
人の少ない月曜の午後など、パイプ、オルガンのショパンの音色に誘われて、
しばし、いい気分にひたることもある。
だけど、一番落ちつくのはやはり海辺だ。
運がよければ、ドッグ跡の船溜まりで、
松本零児がデザインした宇宙船のような遊覧船「ひみこ」に出会える。
これは、少年や、少年の心をもつ人には、こたえられない風景だ。
ぼくも「ひみこ」が好きだ。
そのうち、この「ひみこ」の乗船ルポをやろう。

6
パイプ、オルガンを楽しむ

4
ここで、「ひみこ」に会える

きょうも、歩き過ぎて、すこし疲れた。
いつもの、面影屋で、コーヒー付きカレー(1200円也)を食べ、くつろぐ。
この店は、銀座ウエストと同じ、夕焼け三丁目的な店である。
ユニフォームがいい。
おおきなフリルのついたエプロン姿が古風だ。
そんないでたちを眺める客の顔がやさしい。
おねえさま方の接客も、おだやかでソフトである。


7
面影屋でくつろぐ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

秋深し。秋色、藤むら、なつかしや。

P1030789_2
清水観音堂。外人が撮影していた

秋、深し。
まだ、そんな深くはないが、ゴロがいいので、秋深しだ。
月曜日、かねて気になっていた、上野の清水観音堂に、
俳人の秋色の句碑をみにでかけた。


P1030798
秋色の句碑と、桜の木

P1030907
秋色の浮世絵

P1030939
芭蕉、基角などと、秋色。千代女も描かれている、浮世絵


動物園も博物館も休みだが、人がまばらなので気持ちがいい。
例の中南米の楽団が、ブカブカやっている。
東照宮の門前で、デブの外人のおばさんに、青年が、
「将軍ノオーお墓、ウーン、サムライ、エーッと、」などと一生懸命説明している。
いい風景だ。
観音堂では、カメラを向ける外人の男性。
秋色、こと、お秋は、大坂屋という(のちに、大坂家)和菓子屋のかわいい娘だ。


P1030872
三田の大坂家


13才ながら、基角の弟子となり、俳句をたしなむ。
春。
このお堂の脇にみごとな桜の木があり、お秋は、美しさにみとれた。
上野の山は、花見客にあふれている。
心ない酔客が、桜を散らしはせぬか、お秋はちいさな胸を傷めた。
そこで一句。

井戸端の 桜あぶなし 酒の酔

これが、元禄の江戸で評判になった。

とかなんとか、そんなことをダラダラ書いたが、
じつは、ぼくは、和菓子の「きみしぐれ」が大好きで、あちこち探し歩き、このお秋の大坂家と、
本郷の藤むらにいきついたのだ。
いや、なまいきにいきついたなどと書いたが、ことのなりゆきで、この二軒を知ったにしかすぎないが。

でも、はっきりいうとぼくの舌では、味の選別は出来ない。
いまは、門前仲町の、老舗の岡満津のきみしぐれで満足している。
で、言いたいことは、菓子を食べるんでも「秋色」のようなドラマがあったら
楽しいんじゃないか、ということだ。
どこの、デパートでも手に入る、機械化された和菓子じゃあ、美味いかもしらんが、味けがなさすぎる。
秋色のロマンを大切に、かたくなに、家族で店を守りぬく、そんな姿がいじらしいぞ。

もうひとつの華は、本郷三丁目の和菓子の藤むらだ。
藤むらは、きみしぐれも美味いが、羊かんが有名だ。
「どうみても、一個の美術品」と、夏目漱石も「草枕」のなかで、絶賛している。
「我が輩は猫である」のなかで迷亭先生が、美味そうに食べる場面があるので、
漱石はよほど、この羊かんを気にいっていたのだろう。
森鴎外や与謝野晶子をはじめ多くの文人も通ったというから、本当に美味い味なのだろう。

その藤むらが、閉店してしまったのだ。
400年近い歴史を誇る由緒ある店なのに、オイオイどうしたんだよ。
16代目の昌弘社長にお目にかかった時、
「継ぎたくなかったんだけどね」と言っていた。
「でも、夢に祖父と父が出て来て、次男だが、お前が継げ、といわれ継がされた。」
などと、本気か冗談かわからないことを言っていた。
「一家、一業、余業を許さず。」とか、「小豆は、無駄使いすべし」とか、
宣伝するな、とかストイックな、家訓をずっと守り続けてきたらしい。
昌弘社長が、亡くなったと何年か前に聞いた。
それからもう、何回、そこへ出掛けても、店は閉まったまま。
「ああ、藤むらのきみしぐれが食べたい。」
正確には、「黄味時雨」、というのだそうだ。
時雨だよ。奥ゆかしいじゃん。
そういえば、大坂家では、「君しぐれ」。
これも、ロマンチックだなあ。
藤むらの黄味時雨、もうどうしても食べれないのかなあ。
平井の方で、もとの職人さんが藤むらの味を細々伝えている、という噂を聞いた。
伝統の味を消さないでくれ、と願いつつ、今日も、藤むらの閉じた玄関を
うらめし気に眺めながら通り過ぎた。


P1040053
藤むらのお菓子


P1030816
閉まった店

| | コメント (0) | トラックバック (0)

赤い橋、渡って「お札を納めに参ります」。

1


隅田川の向こう、木場、門仲あたりを歩いていると、一週間に2度は、鳶職だった峰さんをみかける。
峰さんはもう70を越えているから、仕事の現場には出ないが、
長い間、慣れ親しんだこの木場の町を離れることは出来ない。
小柄で白髪ながら、背筋はシャンとして、あちこち人と和んだり、遊びあるいている。
ぼくを見かけると、「ヨッ、棟梁オ、元気かい。コーヒー飲もうぜ」と、いつもこうだ。
ぼくも楽しみで、いつもコーヒーを飲む。
なにが楽しいかというと、峰さんは、ここ深川の事情通で、
人の消息からうまいものの話まで、精度の高い情報で、いつも興味をそそられるからだ。

歌手の岩崎宏美が木場の大店のお嬢さんだということから、
木場公園のベンチにサンコンさんがいるよ、
とか、ご利益通りの老舗の武蔵やが、なぜ消えたか、
などなど。
友人が、政治家の運転手だ、とかふだんから居酒屋、雀荘で四方山話にあけくれ、
情報収集には事欠かない。

そんな峰さんに、「赤い橋」の話を聞いたのは、もう5年くらいまえだった。
永代通りを下り、木場の交差点を50メートルくらい過ぎたあたりに、右に折れる小さな路地がある。
この路地を抜けてゆく人は少ない。
船宿の看板のある家の傍に赤い橋が架けられている。


2

この橋には、美しくも悲しい物語がある。
ある医者の話だ。

木場5丁目に新田清三郎という医師がいた。
彼は「医は仁術」、人情の厚い人で、赤ヒゲ先生と慕われた。
貧しい人からは、金をとらない。
家族は8人と大所帯だったが、頼ってくる人が、次々と現れて、
大勢の同居人をかかえこんでいた。
「あんた、誰?」という多さだ。
同郷の人や、失業している人など困窮した人々を居候させる、
そのため、いつも台所は火の車だった。
奥さんの苦労は並大抵ではなかった。

そんな新田さんを突然、不幸が見舞う。
昭和7年に、交通事故で、奥さんを喪ったのだ。
最大の協力者を失い、新田さんの悲嘆にくれるさまは、
近隣の人々や知人はとても見ていられなかったという。

苦しみ、悩んだ新田さんは、奥さんの供養として、赤い新田橋を大横川に架けた。
この町の、洲崎神社に詣るのに、一番便利な橋だ。
幅1、3メートル。長さ23、35メートル。
歩行者しか通れない橋、路地裏にひっそりと、架かっている。
赤い橋、渡るたびに思い出す。
その、美しい心の医者夫婦のことを。


3


4

ぼくの仕事場が橋の近くにあり、毎年始め、昨年末のおかざりや、おふだなどを
この橋を渡ったすぐ先の洲崎神社に納めにゆく。
わざわざ、この橋を渡る。
遊女達の馴染みも深い洲崎神社の大鳥居、弁天池の二つの鳥居、新田橋、みな赤い色である。
どちらかといえばくすんだ色の町に烈しく咲く赤である。
だがこの赤色には、なぜかはかなさがつきまとい、歴史の深みが被う。


5

峰さんは、
「てな、由来のある橋なんだよ。
だけど、もうそんな人情話の通ずる時代じゃあなくなったぁな。」
と、嘆く。

そうでもないさ。
木場は、
峰さんが、毎日、遊びほうけていられる、揺りかごのような町なんだから。

オット、この橋を撮影していると、地元のおじさんが、面白い話をきかせてくれた。
「新田先生の、親戚に小泉純一郎の奥さんがいるんだよ」
「エ?あの離婚した、奥さん?」
「そうだよ。」
世の中は、意外なからみがあるもんだ。

6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お台場、ジャングルの弧島と、だまし絵の空。

1


 湾岸のレインボーブリッジから南下の海に、全島緑に覆われた無人島がある。
 湾のぐるりは、高層ビルが林立して、闇を切り裂くおびただしい光を放つが、
 原生林の密生するその島だけ漆黒の闇だ。
 島には入ることは禁止されている。
 その面積2万平方メートル弱の変形五角形の孤島は、植物が乱舞、アシタバの群生、
 都心ではめったにみられぬ、タブノキやツクバネウツギが不気味な匂いを発散させ
 異様な雑木林をつくりあげている。
 ホラー小説の鈴木光司さんの「仄暗い水の底から」という短編集のなかの「孤島」の風景である。
 その島に、子を孕んだ若い女が裸で捨て去られたという。
 奇怪な話を聞いた主人公は気掛かりでならない。
 そんなところへ原生林の調査団が編成され、同行する。
 その密林を探索していくとほとんど「異界」としか思えない風景のなかで
 突然、広場に行き当たる。
 そこには、人が生息している気配がある。
 だれが、なんの目的で?
 疑問は膨らむ。巨大な東京湾岸は、湾という自然の生命体を
 ゴミや汚濁で痛めつけて膨張してきた。
 それら暗い出自の陸地を「現代」は息をのむような美しい光や輝きで彩る。
 水底の汚濁の上の偽れる虚飾か。
 浜辺の潮風に、ゆったりした気分でくつろいでいると、
 そんな、小説の提示する世界に刺激され妄想、幻想が浮かんでくる。
 ちょっと怖いぞ。
 まあ夜来るのはやめよう。
 湾の底から、暗い息ずかいをした、なにかがやってくる。
 そんなイメージを触発させる小説である。
 だが昼日中、光の乱反射する白い海面にたたずむ無人島は、
 緑のひと筆を佩いた、なかなか味わいのある島でもある。


2

 一方、ぐるりと半円を描く「ゆりかもめ」の青海駅を降り、デッキを進むと、
 ショッピングモールの「ヴィーナス・フォート」がある。


3


4

 お台場の北側に比べるとぐっと大人っぽい。
 孤島と対比的に、モロ人工を売りのモールだ。
 歴史的な欧洲を思わせる商店街が並ぶ。
 白い、彫像の群像が雰囲気を高める。
 見上げれば、フレスコ画のような、だまし絵の青空が広がる。
 空は短時間に、一日を圧縮した流れで変化する。
 全体の暗さは、西歐イメージを深める演出で、凝っている。
 「ウーン。」
 もともとこの湾岸の人工都市に、カジノを開こう、
 という構想があった。
 なかなか、カジノは実現しない。
 このモールは、ギャンブルなきカジノの風景としてつくりあげられた。    
 ラスベガスのホテル「シーザー・パレス」に併設されたショッピングモールを
 そのまま真似たもので、だまし絵の空もそのままだ。
 更に、マニアには、垂涎ものの、メガウエヴ・ヒストリーガレージがある。
 クラシックカー達がキラキラ光っている。

5


 無人島から、だまし絵の街、
 面白い。
 空想や夢をはぐくむ異次元の世界。
 不安と恍惚を抱き合わせながら、
 孤島やフレスコ画の空は、日常的風景となってこのお台場に定着している。

 さて、美味いもの屋探しだ。
 お台場には、ホテルも、大規模なショッピングモールもいくつかある。
 和食、や中華などプライドで食わせる店もあるが、リーズナブルな店が多い。
 それぞれに、自分の好みで探せば、はずれることはなかろう。
 ヴィーナス・フォートで、風変わりなものを見つけた。
 news DELIのハニ—ト—スト・アイスだ。(写真)
 若者達には、好評のようだ。 
 ぼくは、有明に最近開いた店だが、木村屋(あのパン屋の)の工場に、
 併設したカフェ、レストラン「ドン・マイスター・プラス」のスペア・リブを食べる。
 息子は、すこし濃厚だね、というから万人むけではないかもしれないが。
 そこのプラスとは、工場直結で、焼き立てパンが、買えることだろう。

6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

湾岸。現代と三丁目の夕日。

5


僕的、都市ウオーク&おいしい。

湾岸。現代と三丁目の夕日。

  
東雲に住んでいるところから、ブログに東雲通信などと、味けないタイトルをつけた。
次男夫婦の全面協力で、ブログでやりたい放題させてもらっている。
これから、自分の住んだ町や、好きな町をあちこちぶらついて、
カメラで、僕的、興味をここで披露させてもらうので、どうぞ覗いてください。
  
1回目に湾岸を考えたが、ぼくの、想定する湾岸とは、東雲、豊洲
それに、有明、お台場、佃、月島だ。 
人間だれでも、肌に合う町と、なんとなくなじめない町がある。
ぼくの場合は、写真という静止画像を扱っているせいもあって、
風景は、局所的に面白がる傾向がある。あまり、町全体の雰囲気がどうだ、というのには、執着がない。
さあ、どんなカメラ散歩になるか、まずは、歩き出してみよう。
  

Dsc_0147


東雲、硬質の街。

  三年前、東雲に引っ越してきたとき、マンションの3階からみえた風景は、
  赤いさるすべりの林と、遠方に運河、そこに美しい吊り橋が、架かっていて、
  行き交う船が、ボウーと、間の抜けた汽笛を鳴らすのが、心地よかった。
  だが、そんないい話ばかりではない。
  右手に45階に伸びるという、建築途上の豪華マンションが、唸りをたてて、
  完成を急いでいるのだ。
  しかも、わが家から、東に立脚するため、朝日にお目にかかれない。
  さて、これは、快適な居住空間なのだろうか。
  一年で、すぐ近くへ引越した。
  まあ、そんなこたあいいや。

P1030299

  その、ぼくにとっての迷惑マンションが完成した。
  「和田アキ子が、一番上を買ったそうだ」とか「巨人の高橋由伸だそうだ」
  ジャスコで買い物するおばさんたちの噂は、かまびすしい。
  なにせ、このおばさんたちは、運河をへだてた辰巳という、古い団地に住む、いわば、
  先住民だ。刻々変化する近隣の情報にはひときわ詳しい。
  この町の中心部を散歩していると、みなれた女子アナや、
  若手のお笑い芸人とすれちがったりする。
  フジTV、日テレがあるお台場や、汐留も近いからだろう。

P1030280


  一年たった。
  バブルがはじけた。
  ペントハウスが売りにでましたよ。
  知り合いの不動産屋の若者にそんな噂を聞いた。
  じゃあ、あの歌手、野球選手は、いなくなったんだな。
  そういえば、ここは、中層、高層マンションが、20くらい
  林立しているが、人の入出も激しい。
  ほとんどが、3〜40代の子連れカップルで占められる感じだ。
  その層を想定したかのように、洒落たセレクトショップや、子供向けの
  知能開発型の、教育ショップ(?)が、乱立している。
  鳩山子育て教育を先取りしたかのように。
  マンション群のまわりに巨大な、ゲームセンターもあるが、
  黒い壁に覆われて、正体を明かさない覆面ビルだ。
  一言でいえば、この街は『硬質の街」だ。
  冷たく、そっけない街だが、それはそれなりの味がある。
  隣、近所、互いに名も知らなければ、共同でやる行事も一切ない。
  しかし、エレベーターでのマナーや、挨拶は、スマートで心地いい。
  若者たちは新しい人間関係の捌き方がうまい。
  だから、快適な環境だ。
  ひとつだけ不満がある。
  美味い店がない。


P1030305

  
  一軒だけ、海鮮レストラン「ネプチューン」がある。
  時どき家族で出掛ける
  魚介は、築地がすぐ近くだから、良質、新鮮の売りだ。
  大正えびフライが好きだ。1800円だが、4連休の時、1400円だった。
  ラッキー!
  クルージング、デイナーも宣伝しているが、
  船はスピードの出そうな中型船だ。
  皿が、飛んじゃわないかな。
  ぼくは行かないが、そういう趣味の方はどうぞ。

P1030307_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

タワシのフレンドパーク。

1

TBSテレビの東京フレンドパークをよく観る。
ひとしきりゲームをたのしんだあと、
いよいよ、最後の、ダーツで、商品をはずすと、「ああア」と失望感の吐息が洩れる。
そして、「ハイ、タワシをどうぞ」
受け取る人の情けない表情。
でも、タワシ本人は、もっと情けないと思っていることだろう。
落胆の象徴にされて。

そんな時いつも、タワシつくりの現場にいった時を思い出す。
あのタワシは、滝野川の『亀の子束子西尾商店』の製造したものだと聞いた。

ぼくは、このフレンドパークの放映される何年か前、このタワシの会社を取材した。

2


亀の子たわしは、年配の人のなかには、母親につながるイメージをもつ人もいよう。
木造やコンクリートの粗末な台所で、タワシで鍋、釜の汚れを落している、お母さんの後ろ姿だ。
亀の子たわしの誕生もそれに似た風景から発想された。


創業者の西尾正左衛門は、1907年、開発したシュロ製の靴拭きマットが、
欠陥品だったため、返品の山を抱え、途方にくれていた。
そんな時、妻のやすさんが台所でそのマットを使って、洗い物をしていた。
「お父さん、このシュロは、すごく汚れを落とすよ。」と言ったかどうかは知らないが、
まあ、そんな会話があったらしい。

らしいとかいたのは、ぼくはそう聞いたのだが、
10月5日の朝日夕刊には、妻のやすさんは、障子を洗っていたと書いてある。
つまりコマカイことは、はっきりしないが、まあそんな話だ。

それを聞いて、「シュロが汚れを落とすのか」
正左衛門は「これだ、」と台所用品のヒントを得た。
それが亀の子たわしの誕生につながるのである。


これは売れた。
製品は、改良を重ね、いまもココナツ椰子を原料にした
タワシが、100年近い年月を経ても、台所にどっこい生きている。
勿論、フレンドパークにも。


3


それにしても、東京フレンドパークのプロデューサーのタワシのアイデイアは鋭い。
あのタワシを狂言まわしに使うとは、ふつうちょっと考えつかないぞ。


一方、西尾商店も、昔から、広報、広告にたけていた。
亀の子たわしの類似品が出て来て、特許侵害で泣かされたが、
正左衛門は違法業者に、法的報復などせず、
そんなことより「広告に全力を尽くせ。」というわけで、
大正時代でも、新聞や婦人誌に巨大な広告を打ち、
大道芸をPRに使うなど、広告というものを重視した。
いまの三代目社長がこのTVの企画に応じたのも、そういう血の流れがあるからだろう。

しかし、タワシにとっては、ちょっと、微妙な扱われ方である。
クライマックスに登場しスポットがあたるが、役割は、悲しいピエロだ。

タワシ君、いろいろ言いたいこともあろうが、
昔の唄にもこんなセリフがある。
「りんごは、なんにも言わないけれど、りんごの気持はよくわかる。」(作詩サトウハチロー)

タワシの気持ちもさることながら、作業している、屈託のないあのおばちゃん達も、
ニガ笑いしながら、フレンドパークを楽しんでいることだろう。

4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カンパニュラ、風のガーデン。

1

恵比寿ガーデンシネマ、に時折出かける。
直近では、りチャード・ジェンキンスの主演する「扉をたたく人」を観た。
要約すれば、こんな映画。

頭でしか、ものを考えて生きてこなかった初老の大学教授。
孤独な人生である。
それが、ジャンべとよぶ打楽器を演奏する男と出会い、
新しい自分や、生き方を発見していくというスト−リーである。

「ウ−ム。新しい人生かァ」

2

 
帰り道、すぐ脇にある緑と花のガーデンに立ち寄る。
恵比寿ガーデンプレイスという、都会のど真ん中にありながら、
ここは、静謐で、ほとんど人がいない。
ここがぼくの安らぎの場所になったのは、倉本聡のT.Vドラマ「風のガーデン」を観てからである。

ぼくは、花の名前も知らない不粋な男である。
しかも、せっかちで、公園でゆったりできるような人間ではない。
それが、このドラマにハマり、このガーデンにはまったのだ。
中井貴一のかっこいい医師が、美女たちとの恋の遍歴を続けるうちガンに倒れるのである。
そして、カッコいい死を迎えるのだが、
死がそんな華麗なわけはないさ、と思いつつもそんな死に、だれも憧がれをもつのだろう。


3

黒木メイサのツンとしたりりしさが、魅力だったし、
なにより挿入曲の平原綾香のカンパニュラの恋(作曲ショパン、編曲椎名邦仁)が心に沁みた。
昨年の冬の間をなぐさめてくれたのは、このドラマと「カンパニュラの恋」の曲だった。
そんな、年甲斐もないトレンディードラマへの、のめりこみに、
わが、パートナーは、どんな気持ちで眺めていたのかしらないけど、
あけて3月4日、ぼくの誕生日に「ハイ」とリボンのついた小箱が彼女から渡された。

4


あけてみると、平原綾香のCDだった。勿論あの曲の組み込まれたものだ。
嬉しかった。
部屋を暗くして、ラジカセで、曲を聞く。
ラジカセは、ボーっと三色のやわらかな灯をともす。
好きな色を選べるが、青い光が好きだ。
綾香を聞く。
すると、いつも遠い青春が甦ってくる。


5

それは、きまって、ところは、静岡の呉服町の「田園」という喫茶店である。
そのころ銀行員だったぼくは、その店にいつもわがパートナーに電話で呼び出された。
過ごす時間は、1時間のこともあれば、土曜などは、3〜4時間のこともあった。
いつも、彼女と向きあいながら、ぼくは、居眠りをしていた。
いつも、いつでも、だった。
まるで、えい児が、揺りかごで安心して眠るように。
そして、パートナーは、黙って、折り紙を折ったり、小声で、
なにかハミングしながら静かに時間を過ごした。
まるで、いまの賑やかな生活や時間を、老若それぞれの時代、
逆に使ってしまったかのように、その時は、不思議な静穏の時間の日々だった。


いま、隣で、キミも綾香を聞いている。
ぼくは、ひそかに昔を思い出している。
そんなぼくの思いを知ることもなく、
キミは、静かに曲にひたっている。


My Love
かえる場所は ふたり過ごしたカンパニュラの刻
そっと 降るはずのない雪が舞う(綾香)


6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

相撲の花見酒。

1_4


長男夫妻が行く筈だった相撲の入場券が、「いけなくなった」と送られてきた。
仕事が忙しく行けないというわけだ。
可哀想だが、仕事優先だよ、というわけでぼく達夫婦で、
喜んでいってきた。
ぼくにとっては、3回目の両国国技館だ。
一回目は、亡き父と砂かぶりの枡席で。
二回目は、ぼくの銀行員時代、親友の風間と、なぜか、美智子皇后のお兄さんの正田さんと三人で。


2

正田さんは、静かな方だ。
そして、今回は妻と。
だから、力士や土俵の印象より、同席した相手に、いろいろな思いがある。
この日、妻とは、門前仲町の喫茶店のトーアで待ちあわせた。
時間がすこしあったので、近くの富岡八幡宮の境内にある
大相撲の記念碑のあたりで、ひとりで涼んでいた。
ここは、大相撲にとって由緒のある場所だ。
このあたりは、上品な下町(へんな言い方?)で、
特に八幡様や、お不動さんには、いつ来ても気持ちが安らぐ。

3


4

しばらくぶりの両国は、すっかり変わっていた。
江戸川乱歩の小説に登場するような、コンクリートに丸窓の、不気味な病院も消えてない。
西口の薄暗い改札口に、力士の肖像画だけが、ポツンとあった。
そんな不思議な空間も、もうない。
やたら、奇麗になっちゃって、面白くないぞオ。
途中で、虚無僧みたいな、乞食みたいなおじさんが、しゃがんでなんか食っているのに出会い、
「やっぱり両国は、これだよな」
と、ひとり悦にいった。

5

館前は、すごい人出だ。
外人さんの多いこと、多いこと。
館内はやたら、奇麗でモダンになっちゃった。
はとバスのガイドみたいな、案内嬢に、「向15って席、どこ」ってたずねたら、
しずしずとゆっくり、そこの29へ案内してくれた。
もの腰がしとやかで、びっくり。
一番うしろの枡席で、ふたり席だった。
足は、伸ばしっぱなしで、まだおまけがでる。
楽だ。
「へえ。こんな席、出来たんだ。」
ひとり、感心することしきり。


6

遠くから眺める相撲は、なかなかコミカルだ。
T.Vのフレームと、ちがって、なん千人の観客のかこんだ、ちいさな楕円の土俵、
人がちょこまか動いている様子が、ガリバーの小人国みたいで面白い。
紙相撲的、というか、子供時代に遊んだおもちゃの感覚。
T.Vと決定的にちがうのは、そこだ。
T.Vでは、力士の表情や、微妙な掛け引き、それに技、などをじっくり味わえる。
そんな、凝った相撲文化は、枡席のケツのほうにはない。
後ろの方で、でけえ声で、「高見さくらア」などと叫んでいるので振り返ったら、
おっさんが、ぐでんぐでんに酔っている。
高見盛じゃないの?隣席のねえちゃんが、またぁ、コマカイことをいう。
通路は、やきとりくわえたり、缶ビールもって、大勢うろうろしている。
枡席だって、出たり、入ったり、「おーい。め—ねーぞ」声がかかる。
分かったア。
これは、花見とおんなじだ。結局、遠くで相撲を眺めながら、
喰ったり飲んだりして、館内の、この雰囲気を、楽しむんだ。
「酒が飲める、酒が飲める、酒が、のめるぞオ」って感覚だ。
これだよ。日本文化は。
ここで相撲を見ているかぎりでは、頭ンなか、蒸気が沸騰して、
「横綱の品格とは」てなお上品な思考にはならない。
この猥雑な味。たまんねえな。
という、人々で一杯でした。

7

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »