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赤い橋、渡って「お札を納めに参ります」。

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隅田川の向こう、木場、門仲あたりを歩いていると、一週間に2度は、鳶職だった峰さんをみかける。
峰さんはもう70を越えているから、仕事の現場には出ないが、
長い間、慣れ親しんだこの木場の町を離れることは出来ない。
小柄で白髪ながら、背筋はシャンとして、あちこち人と和んだり、遊びあるいている。
ぼくを見かけると、「ヨッ、棟梁オ、元気かい。コーヒー飲もうぜ」と、いつもこうだ。
ぼくも楽しみで、いつもコーヒーを飲む。
なにが楽しいかというと、峰さんは、ここ深川の事情通で、
人の消息からうまいものの話まで、精度の高い情報で、いつも興味をそそられるからだ。

歌手の岩崎宏美が木場の大店のお嬢さんだということから、
木場公園のベンチにサンコンさんがいるよ、
とか、ご利益通りの老舗の武蔵やが、なぜ消えたか、
などなど。
友人が、政治家の運転手だ、とかふだんから居酒屋、雀荘で四方山話にあけくれ、
情報収集には事欠かない。

そんな峰さんに、「赤い橋」の話を聞いたのは、もう5年くらいまえだった。
永代通りを下り、木場の交差点を50メートルくらい過ぎたあたりに、右に折れる小さな路地がある。
この路地を抜けてゆく人は少ない。
船宿の看板のある家の傍に赤い橋が架けられている。


2

この橋には、美しくも悲しい物語がある。
ある医者の話だ。

木場5丁目に新田清三郎という医師がいた。
彼は「医は仁術」、人情の厚い人で、赤ヒゲ先生と慕われた。
貧しい人からは、金をとらない。
家族は8人と大所帯だったが、頼ってくる人が、次々と現れて、
大勢の同居人をかかえこんでいた。
「あんた、誰?」という多さだ。
同郷の人や、失業している人など困窮した人々を居候させる、
そのため、いつも台所は火の車だった。
奥さんの苦労は並大抵ではなかった。

そんな新田さんを突然、不幸が見舞う。
昭和7年に、交通事故で、奥さんを喪ったのだ。
最大の協力者を失い、新田さんの悲嘆にくれるさまは、
近隣の人々や知人はとても見ていられなかったという。

苦しみ、悩んだ新田さんは、奥さんの供養として、赤い新田橋を大横川に架けた。
この町の、洲崎神社に詣るのに、一番便利な橋だ。
幅1、3メートル。長さ23、35メートル。
歩行者しか通れない橋、路地裏にひっそりと、架かっている。
赤い橋、渡るたびに思い出す。
その、美しい心の医者夫婦のことを。


3


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ぼくの仕事場が橋の近くにあり、毎年始め、昨年末のおかざりや、おふだなどを
この橋を渡ったすぐ先の洲崎神社に納めにゆく。
わざわざ、この橋を渡る。
遊女達の馴染みも深い洲崎神社の大鳥居、弁天池の二つの鳥居、新田橋、みな赤い色である。
どちらかといえばくすんだ色の町に烈しく咲く赤である。
だがこの赤色には、なぜかはかなさがつきまとい、歴史の深みが被う。


5

峰さんは、
「てな、由来のある橋なんだよ。
だけど、もうそんな人情話の通ずる時代じゃあなくなったぁな。」
と、嘆く。

そうでもないさ。
木場は、
峰さんが、毎日、遊びほうけていられる、揺りかごのような町なんだから。

オット、この橋を撮影していると、地元のおじさんが、面白い話をきかせてくれた。
「新田先生の、親戚に小泉純一郎の奥さんがいるんだよ」
「エ?あの離婚した、奥さん?」
「そうだよ。」
世の中は、意外なからみがあるもんだ。

6

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