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かにかくに、浅草は恋し。

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あなたは、浅草にどんな経路で行きますか?
そう問われると、まず地下鉄の浅草駅から雷門の提灯をくぐる。
仲見世で人波にもまれ、
観音様に手を合わせ、
六区あたりの劇場街をぶらりして、
というのがおおよそ定番でしょう。
ぼくは、そのあと名の知れた、侍の名のような天ぷら屋で食事、その味にガックリ。
いまいちこの町で堪能できる味や、見所に出会えず帰っていた。
そして、しばらく浅草を忘れている。

ある日、思い立って浅草ゆきのコースを変えてみた。
都心から業平橋行きの都バスに乗り、本所吾妻橋で降り、そこから浅草に向かった。
話題のニュータワーが、下町の民家の間から頭をだしている。

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ニュータワーが民家のむこうにみえる

言問橋を渡り、花の辻商店街の柳通りをぶらぶら歩いた。
ここは浅草寺の裏手にあたる奥山とよばれたエリアだ。
江戸時代の浅草は、ここ一帯が庶民の行楽の場で凄い賑わいだったらしい。
官許の歌舞伎小屋が三座あった。
天保以降、三座のあとに浅草歌舞伎の拠点となった宮戸座の跡の碑が料亭の片隅にある。
いまだ健在の見番や料亭など花町のなごりが散見される。

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仲見世そば

見番裏の釜めし屋「むつみ」でめしを食う。
板の間に座布団だ。
艶かしい芸者衆が、いつももたむろしているぞ、などと聞いていたが、その日は、スカだった。
ぼくが歩いた昼間は静かで、ここで江戸時代の浅草の賑わいを想像しようにもイメージが湧かない。

すこし雨も強くなってきたので今日は帰ることにした。
雷おこしの「常磐堂」を覗いてみたが、ウーム、買うのはパスし、
「徳太楼」のきんつばを買って帰り、家人に喜ばれた。

またの日、地下鉄の田原町駅から国際通りを歩き、浅草に向かった。
先日の吾妻橋からと反対のコースだ。
すきやきの今半の角を左折すると
50m先に「テプコ浅草館」がある。
そこで古い浅草の展示物を楽しもうというわけだ。
二階には、やや雑なつくりだが大正、昭和の浅草の匂いを醸し出したコーナーを設けている。
凄いのは寛永年間に書籍の収蔵所として始まった「浅草文庫」。
歴史的に価値のある書籍が閲覧できる。
かの有名な凌雲閣(浅草十二層)の資料もある。
啄木の秘められたローマ字日記に描かれた場所だ。

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昔の映画館の展示

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浅草十二層の絵ハガキ

「行くな、行くな」と思いながら足は千足町(現在、浅草二丁目)へ向かった。
常陸屋の前をそっと過ぎて、金華亭という新らしい角の店の前をゆくと、
白い手が格子から出て予の袖を捕えた。
フラフラとして入った。
あぁ、その女は!

名は、花子。
年は、17。

啄木の通ったのは、浅草十二階下の私娼窟のひしめく一角だった。
大震災で、この凌雲閣は倒壊してしまうが、
当時、エレベーターも設置され、人々の度肝を抜いたといわれる。
文明開化だった。
倒壊後も浅草に長く語り継がれている塔だ。

雨の日でも、浅草は人出が多い。
どこを歩いても人、人、人だ。
変わったことは、ひと頃数台だけだった観光の人力車がやたら、走りまわっていることだ。
なんと、業者全体で100台に増えた、と聞いた。
カメラを構えていると、人力車が、フレームの中に飛び込んでくる。
雷門や伝法院通りなどは、何台も連なっている。

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浅草演芸ホール前の風景

浅草には、面白い通りが沢山あるが、
公園本通りへ行ってみよう。
伝法院通りを右折すると道の両側に提灯が揺れ、煮物の匂いがプンプンする。
屋台から首を出したねえちゃんに「C級グルメですよォ」と声をかけられた。
C級グルメかあ、参ったな。
もつ煮込みが、ほとんどの店の看板メニューで、それぞれ具や味付けで個性を競っている。
夏には、縁台を道路にはみ出して、外人が生ビールをあをっていた。
どこの国の人でも、面白がるものは同じなんだ、ということが判る。
すこし臭そうな、おやじと背を並べ青い目が陽気に飲っているのだ。

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C級グルメの屋台へどうぞ

浅草。
時空を超えた、と言ってもいい、過去のイメージでいっぱいの町だ。
象徴的には、やはり芸人のさまざまな歴史やエピソードであろう。
功なり名とげた芸人達は、苦労話とともに、この町の人々の人情の深さを語る。
この厳しくも、あたかい土地から華やかな世界に躍り出て、活躍した、ビートたけしや、
萩本欽一、それに、渥美清。
みな、苦労をバネにここから山の手に脱出した。
しかし、浅草にへばりついている芸人も多い。

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六芸神

ぼくの好きな芸人のひとり、もとナンセンストリオの前田隣。
いっとき、中央で脚光を浴びたこともある。
「親亀の背中に子亀をのせてエー」ってやつだ。
だが、がんに倒れた。余命1年の宣告。
かれは、なつかしい浅草にもどって暮らすことにした。
朝日新聞のインタビューに、
「浅草では元気になれるし、ここは芸人の誇りをもって死ねる場所」
と語ったという。
「うちのパパとうちのママは、蚤の夫婦」
というエノケンの唄を味のある節まわしで唄える人は彼しかない。
彼を失なうのはとても寂しい。

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木馬館横

ご存知の方も多かろうが、プッチャリンという役者がいる。
変な役者とみられていたが、まじめだし、存在感もある。
路上のパフォーマンスを通して次第に商店街の人々の人気者になった。
還暦を控えて、もう少しで芽がでそうだ。
頑張れ。
身内に愛想ずかしされても、この夢は捨てきれなかった男だ。
そんな矢先である。
足に重傷を負った。
独身で、金も保険もない。
もう、この道をあきらめて、田舎へ帰ろうとした。
お好み焼き屋のおばちゃんが、金は貸すから、とかれを説得し、病院に入れた。
佃煮屋「大和屋」の長峰さんは、応援団長を引き受け、揚げ餅屋「よ兵衛」の竹山さんは、
手縫いの燕尾服をプレゼントした。

フレー、フレー、プッチャリン。
「かれは、金やしあわせを全部捨てて、役者の夢だけを追っているんだ。」
長峰さんはそういう。
「それをみて、まわりも、みんな共感するんだヨ」

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プッチャリンと大和屋の佃煮

なにか、大切なことが判ったような気がする。
貧しくとも、ひたむきに夢を追い続ける芸人たちの姿は、町の人々の心を打つのだろう。
芸人たちと、浅草の人たちとの、不思議な連帯の鍵が、そこにあるように思えるのだ。

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3人娘の踊り子

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