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上野、坂の上の雲。

01


鴬谷でJRを降りた。

なにか駅員のアナウンスがあって終わりに、
ホヶキョと鶯の鳴き声が、ホームに流れた。
可愛く、ホヶキョだ。
それを聞いて、今日の出だしの気分は、上々になった。


このJRの鴬谷の駅舎は、東京には珍しく家型で残っている。
田舎へ来たような落ち着いた風情がいい。
駅の西側には寛永寺霊園の白い壁がながながと続く。
篤姫の墓所もあるが非公開なので、まずは寛永寺へ直行した。

上野の山は当初はすべて寛永寺の所有だった。
大政奉還後、寺はこぶりになってしまったが、歴史のドラマを秘め、静けさに包まれている。
落ち葉を掃いている老人も、おのずとこの景色にふさわしい役割を演じている。
今日は、幕末から維新にかけての歴史散歩だ。


02
寛永寺境内


ひとつは、正岡子規。
NHKのドラマ「坂の上の雲」が始まったので、
まずは、子規の旧宅に出掛ける。

上野の山からストーンと削ぎ落とされた処に根岸の町がある。
その根岸2ー5ー11が子規の旧居だ。
そこに至る道筋、ビルの壁に子規にまつわる逸話を書いたプレートがあった。

読むと、この一帯は、加賀家の家作で、借家として貸していたらしい。
子規は、その家(そのビル)を最初借りようとしたが、
門限のあるがイヤで夜も出入り自由な加賀家の別な借家を選んだのだという。
つまり、このビルは、「俺んちも子規にゆかりがあるんだぞ」
という主張をしているのだ。

03
正岡子規(NHKから)とビルのプレート

面白い。
こういう、細かいネタが、歴史に膨らみをもたらすのだ。

子規の家は、普通のしもたやだった。
奥の6畳間が仕事部屋と寝室を兼ねて、縁先にはへちまの棚がある。
へちまの汁が、かれの肺の病に効くということで、妹が作ったのだと云う。
机の一角を10センチ四方くらい、切り落としてあった。
「どうしてですか」と説明係の女性に聞くと、
子規は不自由な膝をかばい、机の一部分を切り落とし、
左足を立て膝にして、机に向かっていたのだという。
その風姿がナマナマしく目に浮かぶ。
大勢の弟子たちの姿と、ここを訪れたであろう漱石も偲ばれる。

04
子規の旧居と庭


さて、上野の山に戻ると、野球場に「子規記念球場」と立て札があった。
子規は学生時代、日本に入ってきたベースボールに熱中した。
打者、走者、直球など、その時彼の訳した野球用語が、いまも使われている。
かれは、俳句、随筆、小説などでいろいろ野球を語った。
日本野球の創世記、野球の普及に随分と貢献したわけだ。
これらの功績で、平成14年に子規は野球殿堂入りした。
野球場前の碑に、

春風や まりを投げたき 草の原。

と子規の句がある。


05
正岡子規記念野球場


子規もそうだが、芭蕉も上野にゆかりのある人だ。
上野精養軒の隣に鐘楼がある。
そこから鳴り響く鐘の音。
昔から東京の人の慣れ親しんだ音だ。
芭蕉もこの鐘の音を聞いて、感興をもよおし、句を詠んだ。

花の雲 鐘は上野か 浅草か

これは、深川の庵で聞いた鐘の音だろうか。
平成8年には、環境庁の「残したい、音風景100選」にこの鐘楼のある風景が選ばれた。


上野精養軒のカフェラン・ランドーレは、ブランチに是非寄りたい。
ハヤシライス、それに、桜ゼリーもいい。
ゆっくり、ここでくつろぐ。


06
上野精養軒と隣接する鐘楼

この周辺には興味深い故事がつまっているのだが、
芭蕉の鐘楼と精養軒のすぐ前に、大仏さん(1631年作)もある。

お顔だけの大仏さんなので、ギョッ!と、驚くが、
もとは、釈迦如来座像で安座され、像高は6mだった。
関東大震災を含む地震と火事で、頭部が4回も落ちてしまった。
資金の面で再建できなかったのだろうか。
お顔だけ鎮座ましましている。
ここに立つと、そのお姿になんとなく、申し訳ない気分になる。

07
上野大仏


この周辺には特に強調したい、歴史的に重要な碑がある。
目立たないが、胸がキュン!となる場所だ。

「彰義隊」の武士の墓。

1868年ここで、戦いがあった。
大政奉還して寛永寺に蟄居させられた慶喜の助命嘆願を計った小川興卿らに加え、
徳川政権を支持する各藩士や、新政府への不満武士などが集まり(彰義隊)、
上野の山で新政府と激しい戦火を交えた。

武運つたなく彰義隊は敗れたが、
生き残った小川達が、ここに同士の墓を建立した。
脇にその戦いの絵が添えられている。
当時、彰義隊も浮世絵で風俗的に描かれていたが、この絵の戦闘は写実的だ。
彰義隊の果敢な戦いを、是非とも後世の人に知らしめたい。
小川興卿が、リアルに描くように画家に強く求めたのだという。

彰義隊は、官に抗した賊軍と位置付けられたため、
くやしいが、ひそかに歴史を刻むことになった。

しかし、その熱き心は、ぼくらに強く訴えかけてくるのである。

08
彰義隊の墓と戦争画

彰義隊の墓の横は、おなじみの西郷どんの銅像だ。
西郷どんも維新の立役者だった。

その手前で、パントマイマーが、路上公演をしている。
銀色のマスクをつけて、怪人二十面相的だが、見物客が少ない。

西郷どんは、なぜ犬をつれているのか?

かれは、無類の犬好きだったからのようだ。
「西郷南洲翁逸話」という本が明治の初期、書かれた。
それによると、西郷は陸軍大将として東京に勤務時、安下宿で、数十頭の犬を飼っていた。
犬の大群が、室内を飛び回り、絨毯や襖は泥だらけ、破れ放題で
下宿は、化けもの屋敷のようになっていたらしい。
しかし西郷は、いささかも意に介せず、泰然としていたという。
犬と子供が大好きで、よく彼らと遊んだ逸話が残っている。
作家、司馬遼太郎は、現代、崩れ落ちた日本人の精神を嘆き、
望むべき典型を明治の人々の姿に求めた。
上野にも、その典型が数多く埋まっているに違いない。


09
西郷隆盛とパントマイマー

もう陽もだいぶ傾いてきた。
山を下りてすぐ前に、甘味処の「みはし」がある。
芸大生の景子ちゃんが、学校の行き帰り、ほとんど毎日、友達と通った、という店だ。
「ゼッタイの店」と、彼女は云う。
「行きなさい」と、強要したので入ってみた。

餡みつ豆を食べた。
「ゼッタイ」だった。

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