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2010年1月

梅は咲いたかア、「梅が丘」。

01


どかっと、あったかい日が、やってきたので、今日は1月26日だが、
2月開花といわれている梅は、もう、芽を広げちゃったかな。
あわてて、梅が丘に出掛けた。
梅林は、駅前の小高い丘陵にある羽根木公園だ。
やっぱり、開花していた。
なぜか、犬連れの人が多い。
いきなり、犬につきまとわれた。仲間だと思ったのか、
足の周りに、鼻をつけてくる。
「わかった、わかった、さあ、梅見にいこう。」

02

夫婦連れらしい、カップルが多い。
おとうさんが、携帯で、写真撮っている。
「なんちゅう梅だ。名前書いてあるから、オマエ、読んでみな。
 ナニ?みえのうめ?。三重野海じゃあ、相撲じゃねえか。」
「おとうさん、ほら、八重野梅だよ。アタマの字が、隠れちゃってるから、三じゃ
 なくて、八だよ。」


03
三重野海?


ピンクと白の梅が多いが、それぞれの樹に名札がついている。。
同じような梅にみえるが、種類が違うらしい。
八重寒紅。
藤牡丹。
紅冬至。
名称がなかなか、格調高くて、いいじゃん。
昔の人の、漢語の素養や、センシビリテイの豊かさには感心する。

04


途中に掲示板があった。そこに市民の俳句が、掲示されていた。
第32回せたがや梅まつり俳句入選作の一覧だ。
なかなか、力作揃いだ。
ようし、僕的、好みで選んでみる。

梅が香や 白寿の母の 歩に合わせ 万里子

ウーン。
いいじゃないですか。親孝行。
ジュニアの部の入選をみる。
僕的好みでは、

うめ祭り ハトにとっても お祭りだ 萌絵

面白いねえ。
萌絵ちゃん、この日は、うぐいすは、来なかったんだ?
今日は、茶店の星辰堂、日月庵の庭の樹に、種類はわかんないけど、鳥がいたよ。

その掲示板の近くに、中村汀女の句碑がある。

外にも出よ ふるるばかりに 春の月

汀女は、昭和12年から、世田谷、代田に住み、このあたりを
よく散策していたらしい。
きっと、梅の季節も愛でたのだろうが、句碑は、梅の句じゃないんだ。

05


咲いている梅を探しては、カメラをむける。光の取り込みに、立ち位置をいろいろ変える。
ひょいと後ろに人の気配を感じて振り返ると、品のいいおばあさんが立っていた。
写真を撮っているぼくに、
「その梅は、なんとか、かんとかですね。花の開きがしっかりしているのは、
 なんとかですよ。」
と声をかけてきた。
蘊蓄のある人だ。
「私はもう定年で10年も経ちますが、この道を通って、保健所に通ったんです。
 その頃は、まだ木が若いように思いましたね。
 もう、花がいっぱいで頭の上を覆うような感じでしたが、
 この頃は、木が、老いてきましたね。
 林のなかは、保護のために立ち入り禁止になってしまいましたしね。
 いまは、毎日は来ません。
 確定申告にくる時ここを通りますが、
 人間も樹木も老いるんだな、としみじみ思いましたよ。」
含蓄のある話だった。

07
飛梅

歩をすすめて、紅梅の二本が並んだ碑の前に足を留めた。
そこには、「飛梅」と、表示があった。
菅原道真にまつわる伝説の梅らしい。
平安時代、時の右大臣だった道真が、太宰府に左遷され、京をたつ時、
日頃丹精して育ててきた梅に向かい、

東風吹かば 思いおこせよ 梅の花
 あるじなしとて 春な忘れそ

と詠んだ。
これは、有名な話だ。
だが、そのあとの話は、ぼくは知らなかったな。
梅は、道真を慕って太宰府まで、飛んできてそこに根ずいた、という。
ふーん、それで「飛梅」というんだな。
この紅梅一対の梅は、その「飛梅」の分身を太宰府天満宮から
寄贈されたものだ、と書かれている。

結構、梅林を巡ってきたが、梅もさることながら、いろいろな出会いが
楽しかった。


06
梅が丘駅北口 梅林はこちら


梅が丘は、こじんまりした街だ。
梅林が、街の魅力のアクセントなのだろう。
住みやすそうな街に思える。
K子ちゃんご推奨の 北口の洋食屋の「パンの笛」は閉店していた。
「残念ですが、閉店しました。ご主人の体の具合が、お悪いとか
 聞きました。」
美人の中年女性が教えてくれた。
うーん。評判のカレーや、ポークジンジャーは、食えないのかア。
でも、ご主人の健康回復を祈ろう。
この閉店情報を教えてくれた彼女は、ジヤズダンスなど、
舞台衣装のデザイン製作のベテランで、「洋服の並木」を経営している。


08
左上 閉店のパンの笛 右上 ジーゲスクランツ


ちさな街だが、あとふたつ、いい店がある。
ひとつは、ドイツケーキのジーゲス、クランツだ。
K子ちゃん情報、「若い人、奥様の常識」と、いう彼女のご託宣。
「ブライデンバッハ」ー、ココアスポンジの中に栗がはいっている。
1260円。
もう一軒。
もちろん、梅が丘なら「美登利寿司」。
だれも、異論はないでしょう。

09


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貴方はもう、忘れたかしら、「神田川」。

01


あなたは、もう、忘れたかしら。
で始まる、おなじみ南こうせつの「神田川」。
作詞は、喜多條忠さんだ。
この詩曲の出来上がったいきさつは、よく語られている。
喜多條さんは、大学時代、高田馬場にある神田川べりの、
木造二階建ての三畳間の下宿に同級生の彼女と住んだ。
その折の情景を歌にしたものだ。
ぼくは、この歌を聞くたびにいつも、疑問に思うことがあった。

若かった、あの頃、なにも怖くなかった。
ただ、あなたのやさしさが、怖かった。

この二行目の、くだりである。
この曲の、語りは、女性の語りである。
だから、怖かったのは、彼女なのだろうが、「なにも怖くなかった」彼女なのに、
ただ「貴方のやさしさが怖かった」、という反転が、どうしてなのか疑問だった。


02
高田馬場 喜多條さんの下宿まで10分

朝日新聞のBeで伊藤千尋さんが、その疑問を解いてくれた。
当時60年代は、学園紛争がキャンパスを渦巻いていた。
喜多條さんは、デモから帰った下宿で、カレーライスを作っている彼女の後ろ姿を見る。
貧しくとも、小さな幸せ。
だが、このまま結婚し、一市民として安穏に人生を生きていゆく。
それでいいのか。かれは、自問する。
学園紛争のただなかで、問うべきもの、問われるべきものがある。
6~70年代は、そういう「いかに生きるべきか」というテーゼを突きつけられた時代だった。

03
馬場のガードを超えたあたりの神田川


安穏な小市民的人生は、拒まねばならぬ。
だが、コトコトと包丁で刻む、ささやかな、しあわせの音。
その葛藤は辛い。

その喜多條さんの惑いが、「ただ、あなたのやさしさが怖かった」
という、その章だけ彼女の独白と入れ替わるのである。
その章だけは、喜多條さんの思いなのだ。


04
神田川から早稲田通りへむけての住宅街

その三畳一間の下宿の付近の神田川沿いを歩いてみた。
戸田平橋と源水橋の間にあったその下宿。
いまは、ワンルームマンションに変わってしまって、消えた。
神田川は、いまも全面コンクリートで固められた、なんの情緒もない、排水路のような川である。
だからこそ、この乾いた無味な風景が、
一過していく、学生時代という、時間にふさわしいようにも思われる。

横丁の風呂屋、「安兵衛湯」の方向にむけて、高田馬場2丁目の住宅街をぶらぶらゆく。
じつは、風呂屋へ向かっても、そこもマンションに変っていたのだが。
とりあえず、喜多條さんの下宿裏の住宅街の風景にこだわってみる。
なんの変哲もない、穏やかで、つましい民家が、立ち並んでいる。

神田川から、いま私が向かっている道は、早稲田通りにむけて、なだらかなのぼり坂になっている。
寒々とした、家並も混じる。
小さな公園があった。
そこは、トイレがひとつあるだけの、寒い空間だった。


05

ポツンと一軒だけある、ちいさな居酒屋が、閉められた障子戸に、
「閉店します」の張り紙がしてあった。
もう一本駅寄りの道の理髪屋のあたりをゆくと、ホームレスのおじさんが、カメラを見て逃げた。
早稲田通りにある、早稲田松竹は当時、高倉健などの任侠映画に湧いただろうか。
その近くの喫茶店は、「ら」というかしら文字をぶらさげたまま、廃墟に近い姿を晒している。
「らんぶる」とか、「らんぼう」とかいう店名で、学生客を寄せていたことだろう。
裏側の崩壊しかかった路地裏をのぞきこむと、黒猫が、ジロリとこちらに視線を向けた。

06
喫茶店裏の猫


ふたたび神田川に戻る。
橋の欄干に肘をついて、喜多條さんのあの時間に自分の記憶をゆっくり重ねてみる。
学園闘争は、早稲田大学がそのはしりで、遼原の火のごとく、ほんどの大学に拡大していった。

07
早大キャンパスと街路の斗争

ぼくは、早大キャンパスで、学校側と交渉する学生側のやりとりを毎日のように取材していた。
その現場に喜多條さんは、参加していただろうか。
非妥協の交渉を延々続ける学生に、理事者側は、相当消耗していた。

そのとき、闘争委員会のなかにいて、ぼくに名刺を求め、取材の目的をしつこく問うた学生がいた。
後年、リクルートの会社記念日の取材をしていた時、そばに一人のカメラマンが寄ってきて、
自己紹介したあと、
「実は、あの時に、名刺をくれ、とかしつこくからんだのは、ぼくだったんですよ」
と笑った。
かれは、写真家の田中長徳さんだった。

ぼくの生活といえば、ボロボロの借家で、家内が、タイル張りの古びた台所に這う、
なめくじや、ガラス窓に現れる、やもりに悲鳴をあげていた。
そういえば、若かったあの頃、貧しかったが、なにも怖くなかった。

Beで伊藤千尋さんは、南こうせつさんの言葉として、こう紹介している。

いまは、大分県の海辺で暮らし畑を耕す。
南さんは思う。
「金をもうけて高級車に乗るのがアメリカンドリームなら、
『家は漏らぬほど、食は飢えぬほど』という『茶の湯』の価値観に、日本人のプライドがある。
『神田川』に歌われた風景は日本人の原点だから、誰もが共感し、
 時を超えて歌ってくれるのではないか。
と。


08
再び喜多條さんの下宿あたりの神田川

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沸騰!萌え。秋葉原。

01


JR秋葉原駅西口で、正面にあるビルにはびっくりした。
「エロいもなら、なんでも揃う」という、長い、垂れ幕が下がっている。
なんじゃ。こりゃ。
のっけから、パンチを喰らった。
そこから、出てきた若者のカップルに「ここは、なんですか?」
と尋ねると、「いろんな、エロがありますよ。映像や本、コスプレも。」と丁寧に教えてくれた。
へえ?白昼堂々、そんなのアリなんだ?

02
駅正面のビルとラジオ会館のフィギュア

このビルに隣接しフイギュアーの聖地のようなラジオ会館がある。
多くの、キラキラ瞳の少女人形が、フシギな表情で立っている。
店によっては、裸のボデイに、衣服や靴下など、着せ替えをするような細かい細工のフィギアもある。。
エエッ? 少女の楽しみにか思えない、そんなエリアに、ナンダイ、若い男がウロウロしている。
おれも、とんでも、の世界に迷い込んだのか、あせるぞ。
しかし、ガレージキッドや食玩などで知られる「海洋堂」や「ボークス」などホビー業界の店をみつけ、安心する。
これらの店は世界でも有名だそうで、外人客もウロウロ、キョロキョロしている。。
もうここは100%のオタクの人たちの世界で、われら異星人のうろつく場所ではない。


03
外人客も多い


3日間、この街を歩いてみて、びっくりすることだらけで、貧血状態である。
田舎から上京した、昔の自分の姿の、再現だった。
正直なところ、ぼくのような凡人からみれば、この街はオタク系若者と電気関係や、
IT関係のマニアでなければ解読不能な事象だらけで、都市が、これほど個性的なジャンルに特化され、繁盛しているのも珍しいと思った。

まあ刺激的なものを強調したが、普通の人を対象にした密度の高い専門店も多い。
CDやまんがの、「コミックとらのあな」や、「K-BOOKs」「まんだらけ」などの店も、若者で一杯だ。
話題のロボットも、ツクモ本店や、KONDOUでギーゴ、ギーゴ楽しめる。
加えて、ガチャポンが、街のあちこちにある。
ガチャポン会館には、350台が所狭しと並んでいる。

結論。若者にとっての、イン、ドアのエンターテイメントは、この街に全部揃っている。

04
CDやまんが、ガチャポンの店舗があちこちに


大通りあたり、エプロン姿の例のお姉様が、案内地図を配っている。
早速、彼女に取材する。
「メイド喫茶は、何軒くらいあるの?」
「だいたい、70軒くらいあるんですよう。ご主人様。」
待て! ご主人様とは言わなかったが、なんと70軒とは凄い数ではないか。
案内のパンフや、PR誌を、あちこちでささっと10種類くらい集める。
そして歩く。
メイド喫茶は、工夫していろんな特徴を打ち出していた。


05
メイド喫茶はアイディアフル

妹系、コーヒー、バーというフレーズの店があって、パンフに、
「おにーちゃんのために、カレー、デコるよ、アッ!失敗しちゃった。
べつに平気じゃない、?お兄ちゃんのだから。」
なんちゅう可愛いコピーや、
店名でいえば「ナースステーション」、とか、
「ひざまくら、みみかき、」ーー(オヨヨ!?#)
「シスター&神父が、迷える子羊をお迎えいたします。」という、癒しのキヤッチ。
同じく、「萌え麻雀。」
「ぱじゃま姿の、あきば女子寮。」
などなど、びっくりするほど各店、特徴を競うアイデイアは花盛りだ。
外人女性をふくめ、メイド希望の女性は、あとをたたないようだ。
メードカフェの先鞭をつけた、「ほお~むcafe」では、求人に対し50倍の応募があったとか。
「ヲタ芸打ちにこい、」というステージで踊るのを売りの店もあったが、
少女達の圧巻は、「どんきほーて」の8階の、AKB48のショウだ。
連休中など券が売り切れで大混雑、その階にもたどりつけないありさまだった。

06
ジーンズメイトでは萌えの販売員登場

しかし凄いのは、この少女達のパワーが、喫茶に止どまらず他の業種にも登場してきたことだ。
「ジーンズメイト」のジーンズの販売員に萌え姿で接客する少女が出現した。
これは「アキバ遊び館」と名ずけて、キャラクターグッズや、ゲームなども揃えた実験店ではあるが、
アキバ特有の土壌に便乗した商法であることには間違いない。
AOKI、ユニクロなどの進出を誘発したのも、オタクや、萌えの少女達の沸騰する
エネルギーによるものではないか。
萌え文化も、ここまできましたか。

2008年にこの秋葉原の雑踏に2トン車で、突き込んだ25才だった加藤智大は、
自らの孤独と疎外感のむこうに、「燃える、萌える」青春の歓喜の世界をどう見ていたのだろうか。

08
デジハリの入ってるダイビル

都や産業界の肝いりで、電子産業の牽引車的な狙いで、
秋葉原クロスフィールドやダイビルが、その拠点として発足した。
ここに、サテライトをつくった大学は東大、明大など7校、企業も何社か拠点をもつが、
僕的興味でいえば、デジタル、ハリウッド大学だ。
デジハリとかいって、若者に人気があり、見学を含め若者がいつもウロウロしている。
「授業中、生徒の眠らない大学」などと、好ましい風評もある。
人間は好きなことなら眠らず学ぶのだなア。

ビルに挟まれて、一軒だけ古風な店がある。
「千代田海藻」だ。
相当な古い店で、日高、利尻、三陸などの、良質な昆布を商う。
こんぶ旨かったア。
古風なデカイ看板をかけた店だ。
ギンギン、カラフルな看板のなかで、ぶっきらぼうなこれがヤタラ目立つ。
オレはオレだ、と居直っているようにもみえる。

07

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ヨン様から「思い出ベンチ」までの日比谷。

1


「ヨン様の写真、撮ってきてエ。」
知り合いのおばさまの頼みである。
写真撮れ、っていっても、影か霞のように掴み難い有名人のことだ。
ナマ写真なんか撮れるわけはないよね。

タネを明かせば、
シャンテの合歓の広場にある、かれの手形のことなんだ。
自分で行って撮ってくりゃあいいのに。
しょうがない、出掛けた。

ヨン様の手形は金属のプレートだった。
女性群が、なで回すためか、かれのだけピカピカに光っている。
「撮ったよオ」

2


でも、ほら、後ろをみてごらん、おばあちゃんが、ゴジラの写真撮ってるじゃん。
おばあちゃんは「ヨン様なんか興味ねえよ」てな感じで夢中だ。
ゴジラが好きなんていう、おばあちゃんもいるんだね。


3

てなことで、今日の散歩は、なんか、ぐちゃぐちゃな展開になりそうだな。
ここシャンテには、ぼくのなじみの映画館があり、名画を上映する単館が三つある。
去年も、ここへせっせと通った。
「幻影師アイゼンハイム」や、「レスラー」など名画はここで観た。

4


シャンテの前は広場だ。なんかやってる。聞いたら、コンテナを幾つか集めて、
アートの展示や、ライヴやパフォーマンスをやる、という。
ライヴは、コンテナをステージにするようだ。
面白いアイデイアだと思う。
しかし、春にならないと、観客は吹きっさらしでつらいだろうね。


今日も寒いから、ガード下の「まんぷく食堂」で暖まってから、日比谷公園にゆくことにする。
「まんぷく食堂」は、知る人ぞ知る、昭和風庶民的な店だ。
今日は、スペアリブでいくか。
店内も、店外も「三丁目の夕日」だ。
通路側のレンガ塀には、石原裕次郎などの、古いポスターが、壁にへばりついている。
捨てがたいムードだ。


5
まんぷく食堂あたり


日比谷公園にゆく。
ここ静謐な森の陰に、昭和史を彩る、血生臭い種々のドラマがひそんでいる。
その、ひとつ、松本楼。
だれでも知っている店だから、くどくど述べないが、
店は2、26事件の恐怖や占領軍の接収、過激派の放火など
昭和史の暗部の洗礼を受けてきたレストランだ。


6
日比谷公会堂前の噴水

日比谷公会堂は、ご存知、浅沼稲次郎社会党委員長が右翼少年の、兇刃に倒れた場所だ。

亡くなった少年の住まいをみせてもらったことがある。
そこは右翼の赤尾敏氏の道場にある合宿所だった。
道場には、明治天皇と、キリストの大きな肖像が掲示されていたのが印象的だった。。
赤尾氏が、かれの居場所に案内してくれた。
質素な二段ベットの上段が、少年の寝床で、支柱に、白い花が供えられていた。
赤尾氏が、「ここで寝ていましたよ」と、ぽつりと言った。
愛された庶民派政治家の不幸と、思想に殉じた少年の悲劇をどうとらえたらいいのか、
混乱したものだった。


ちょっと、脱線したが、「思い出ベンチ」と名ずけられたベンチに急ごう。
ベンチは「寄付ベンチ」で、寄付した本人のメッセージが、プレートに書かれている。
それを読みたかったのだ。
噴水広場のまわりに、ベンチが沢山、並んでいる。
どんな、ことが書かれてあるのかな。

7
思い出ベンチ

どれどれ。
カップルらしい、メッセージがある。


「よく君とここへ来たね。」


フーンだ。

次は娘をもつ、お父さんだ。


「君と此処に座るのはどんなやつだろう。
 すこし寂しいけれど、楽しみだ。
 20才になった君に。ーー父より。」


くすぐったい、ナンチャってメッセージが多いなあ。

しかし、へらへら見てはいられないぞ。悲しいメッセージもある。


「ピータン、ピースケ、此処に遊ぶ」


ウーン。
亡くなった愛犬を偲んでのことだろうか。


「私達の娘 ○子へ
 うれしいとき つらいとき ここへおいで
 父 ○○ 母 ○○」


ジーンだ。
遺言めいたものに、感じてしまった。
ぼくも年齢だからなあ。


「それでは、また。 お散歩してきます」


これはまた、含蓄のある言葉だナ。
それでは、またーーーという言葉に、別れがひそんでいる。

太平洋戦争の学徒出陣だろうか。


「戦争中の木曜日、私は海軍省、○○さんは大学から、
 そして、別れ。私の心に日比谷公園を残した。」


ウーン。

さらに、つらいメッセージに、出会ってしまった。


「小島千代子へ
 あなたの笑顔を、もう一度見たい。
 元気でいてね。 お帰りを待っている。」


ぼくは、ここでもジーンときてしまった。
おい、思い出ベンチよ。
君は、こんな切なる人々の願いを必ず伝えてあげねばいけないよ。

驚くべきメッセージは、まだあった。


「領主の悪政を、徳川四代目家綱に直訴し、打ち首になった
 義民六人衆の精神を称えて」


と、ある。
ガーン。
義民の子孫か、ゆかりの方のメッセージだろうか、これには打ちのめされた。
一挙に太陽が沈んだ。
とぼとぼと、夕暮れの公園を後にした。

8
銀のプレートのメッセージ

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初詣、今年こそ、良縁つかんでネ。飯田橋。

1


飯田橋にある、東京大神宮は、伊勢神宮のご分霊をおまつりする由緒ある神社だ。
縁結びの神としても知られているらしい。

そうだ、知り合いのあの子にもすすめてみなければ。

思い立ってすぐ、行ってみた。
神社は丘の上にあった。
参道が階段になっていて、お参りを済ませて帰る参拝客は、女性ばかりだ。


すらりとした、40才位の男性が、坂道を上がってきて、連れてきた犬を木に括り付け、
参道に走っていった。

犬は、「ワン、ワン」と2回、吠えた。
犬の気持ちはわかった。
「オイオイ。そこは、女性オンリーの神社だろう?」
と言ったのだ。

2
東京大神宮 恋のおみくじが特徴。英文おみくじもある。

都会の真ん中、商店街に続く丘の上、
こんもりとしたした木々に覆われてこの東京大神宮はある。
ぼくが出掛けたのは、12月28日。
こじんまりした美しい神社だった。

参道から拝殿にむかい30人くらいの女性が並んでいた。
すこし太めの外人女性も、そのなかに混じり、お参りしている。
参拝が終わると、彼女は脇にある、特別にしつらえた外人用のおみくじを手にとっていた。
ほかの若い女性達も、参拝後、ほとんどが、おみくじの箱に向かう。


箱はふたつ。
普通の人のためのものと、恋を望む人のための箱とにわかれているのだ。
そして、開いたおみくじをたたんで、願いをこめて結びつける。

親子連れ(母らしき人は50才位)の女性が、おみくじをくくりつけていた。
「あれ?元旦に願いごとをするんじゃないの?」
と聞いたら、25~6才らしき娘が元気よく、
「勿論、元旦に来ます。でもあと3日だって無駄にできないでしょ。頑張るんです。」
愉快な親子だった。


3
良縁を求めて参拝を欠かさない女性たち

飯田橋は、春が楽しい。
良縁をつかんだ人々や、入試合格の若者達が、
晴れやかに散歩する桜並木の土手が、市ヶ谷まで続いている。
その人たちだけではない。
ふだん、通勤の行き帰りのサラリーマン、学生達や、主婦。
多くの人たちが、この土手を行き来する。

高い土手から、電車や、ボートや、釣り人など、眼下の風景を眺めながら歩く、
快適な散歩道になっている。

4
お堀脇の散歩道

5
散歩道から下に見える風景

この散歩道のスタート、つまり飯田橋駅付近は、強固な石垣で固められた見附になっている。
見附とは、城の最も外側にあり、番兵が見張りをするところらしい。
江戸城健在の折には、敵を完全に防御すべき鉄壁の構えになっていたのだ。
江戸城にあった36の見附のうち、完全な形で残っているのが、この牛込見附跡だという。
これを完成させたのは阿波徳島藩主の蜂須賀忠英。
見事な譜請である。

6
飯田橋駅周辺

7
牛込見附


そんないわく因縁に感心しながら、最後は、やはり味覚の誘いにまけて彷徨う。
神保町にあった、餃子の「おけい」の転居先を探したが、見当たらず、日をあらためることにし、
広島風お好み焼きの「れもん屋」にゆく。
ぼくは広島に出張すると、必ず、お好み焼きをたべた。
クレープのような薄い下地にたっぷりのきゃべつを加えて、かろやかな食感にあがるのがいい。
ぼくは、「ぼてじゅう」も嫌いではないが、広島焼きの軽さがいい。

広島カープの選手達が、東京での試合の折は、よく立ち寄るそうだ。

残念…。店がしまっていた。

まさか閉店なんてないよな。
隣の居酒屋のおばちゃんに聞いたら、
「昨日はやってましたよ」

安心した。

8
れもん屋

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