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誰か、ヘンリーを知らないか?

01


随分、以前のことだ。
気管支が弱かったぼくは、大学の夏休みの一ヶ月あまり、
海辺にある、ちいさな民宿でぶらぶら過ごしたことがある。
潮風が、のどにいい、と聞いたからだ。


その、部落は、事情があるので、瀬戸内のちいさな漁港としか言えない。
ちいさな入り江に50戸ほどの民家が、身を寄せ合うように建っていた。
南からの潮風を防ぐため、高い板塀に囲まれた家が立ち並び、その為か、
無表情な印象の村だった。
最初にこの漁港を知ったのは、知人の医者にクルーザーで、往診するのに
便乗して立ち寄ったのが、きっかけだった。
はしけに、船をよせて、村を眺めると、
ざっと、見回したところ、ものを商うような建物はなく、色といえば、
そこ、ここに、ころがっている淡い色の船具のようなものが、
眼にはいるだけだった。


02

ただ、はずれに、一軒だけ店らしいものがあった。
この漁港で、そんな商売が成り立つとは思えないような店で、
鍵を売っていた。
店は潮風に晒された板張りの粗末な家で、軒にぶらさがった看板には、
ペンキで、「キー・ヘンリー」と書いてあった。
あ、これは、アメリカによくある、鍵屋の「ロック・スミス」のもじりだな、
と、直感した。
「これは、都会に暮らしたことのある男の開いた店に違いない」
アタリだった。
店には、かなりな数の風変わりな、金庫や錠前が備えられていた。


06


ガラスの引き戸の奥には、薄い髪の初老の男が、
椅子に座って海を眺めていた。
その男が、店主で、老母とふたりで生活しているのだった。
ぼくは民宿に、滞在するようになってから、時折、ヘンリーを訪ねた。
いつも、男は所在なげにみえた。


ぼくが、この男に興味を抱いたのは、この男の鍵へのこだわりについてだった。
商売という観点から見れば、この鍵屋は、いったい、どうしてこんなところで、
店を開いているのか?
まったく、わからない。

男は、時折、訪れるぼくに、ポツリ、ポツリと境遇を語りだした。
生まれたのはこのボロ家だが、わけあって、生後すぐ他家に預けられた。
成人したあとは、東京で、転々と暮らしたという人生だったらしい。
口数の少ない男だ。

07


男の、素性については、誰も知らなかったが、
東京で、金庫破りでは右にでるものはいないといわれた、鍵師だった。
長い間の金庫と格闘の明け暮れで、しばしば臭いめしを食った。
あるとき忍び込んだ松濤のお屋敷で、難解な金庫に出会い、失敗。
もう腕の限界。
この仕事から足を洗わねばダメだなと、観念した。
針金や、小道具の手先の作業だけでなく、頭脳的な鍵との格闘で、
カチリと解を得るあの快感は、忘れがたいものだが、
いつまでも、夢を追ってもしょうがない、と男は、過去をすっぱり捨てた。

帰るところは、老母のいる故郷しかない。
そこで男は、戦績の記録のように、
売る意思の稀薄な、ギャラリーのような鍵屋を開いた。
ストイシズムといったら、叱られそうだが、ぼくは、この男のなかに、
僅か残っている、「負」の、男のプライドを感じとった。


しかし、人生は、ロマンだけでは進行しない。
20キロほど離れた本署から、私服の刑事が、
男の店に、たまに立ち寄ることがある。
要観察というわけでもないだろうが、
警察も不気味な男だと気がかりだったのだろう。
それに、もうひとつの理由は、鍵にからんだ事件で、手を焼くと、
警察では、必ずこの男に犯罪の手口を聞きにくるのだそうだ。
犯罪者で教師という、倒錯。
東京に住んだ頃からの警察との、そんな関係だった。

08


ぼくに、男が話さなかった、肝心な素性を教えたのは、
この所轄で、あまり素行のよくないと噂されている若いお巡りだった。
蛇の道はへび、で、同じアブナイ筋の人間の匂いがするのだろう。
かれは、時々、私服でぶらりとヘンリーの店にやってきて、
煙草をくゆらせながら、世間話をしていた。
なんとなくではあるが、その世間話には、ねちねちヘンリーに
からむような感触が見受けられ、ヘンリーは、いつも浮かぬ顔をしていた。

そのうちヘンリーは、店から姿を消した。

ヘンリーは、あの若いおまわりにつきまとわれ辟易していたのだろう。
落ちぶれて流れてきた故郷なのに、安らぎを得られないなんて、
ホントにナンギな話だ。
でもヘンリーは、やっぱり金庫の解錠に挑むしか、
生きる充実はない、と気ずいたのだと、思う。
腐った日常から、抜け、
もう一度緊張感を、とり戻どしたい。
あとでない、そんなイリュージョンをめっけに出かけたのだろう。

生きるということは、難かしい。

ヘンリーという、ちょっと変わった男の、
心の奥をもうすこし覗いてみたかった。

誰か、ヘンリーを知らないか?

(この話は、事実をベースにしているが、フィクションである。)


03

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