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秋でもないのに、「ちいさい秋」みつけに散策、弥生町。

01
異人坂


ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた。

秋でもないのに、サトウハチロー(1903~1973)に逢いたくなって、
小さい秋みつけにかれの自宅あたりを散策に出掛けた。

ハチローは、自宅の庭の「はぜの木」が、夕日に赤く映える情景に、ちいさい秋をみつけた。

ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた。
(サトウ ハチロー作詞、中田喜直作曲)1955年


根津から弥生町に向かって、言問通りが延びている。
その裏道に「異人坂」がある。
ゆったりと、その坂を上る。
後ろから来た母子が、なにか話している。
「お約束したでしょ」
「ネ、したでしょ」
1~2才の子供が、だだをこねてなにか、ぐずついている。
写真を撮りながら、坂を登るぼくを、母子はやりすごす。
ボクが、ニッと、笑ったら、
こちらをむいた子供が、ニコッとした。
「いま鳴いたカラス」
母親も、僕を見て微笑んだ。

02
異人坂 母と子

この異人坂の上には、かって、開明期の明治に外国人の学者達が、居住していた。
日本の医学の発展に寄与したベルツ(1876年)もここを行き来したのだ。
ベルツは、この街や、不忍池をたいへん好んだという。
ハチローも、この近所に住んでいた。
自宅周辺のこのあたりは、かれの散歩道だっただろう。
坂道沿いには、名前は判らないが、白や、黄色や、ピンクなど、色ずいた木々が、連なり、和ませる。
ちょい、横道にそれてみた。
枯れた蔦が這う、古ぼけた旅館や古風な民家が、ひとけのない沈黙で、
昭和初期の時間で止まってる。

03
ハチロー邸周辺


サトウ邸は、もう壊されて、なかった。
2~3軒手前のデイサービスのマンションにいた年配のご婦人に、
ハチロー氏の印象を訊ねた。
「きさくで、おっもしろい、方だったですよ。」
むこうから、「ちいさい秋」の話題に触れた。
「歌ができたとき、だれに唄わそうか、と大声で、電話で話していたのが
 ご近所でも聞こえたそうですよ」


ハチロー邸跡は、ふたつに区分され、半分住居、残りの駐車場の角に、碑が建てられていた。
数人の、文学散歩らしい女性のグループが、説明を聞いている。

04
文学散歩の人々 ハチロー邸跡

「ぼくは、ハチローのお妾さんの息子と、小学校の同級生だったんだ」
と、案内人のレアな情報にご婦人達はざわついた。
「オモロイな」
それにしても、サトウ ハチローという、仮名書きの名前がいいね。
本名は、佐藤八郎と漢字だが、ペンネームでサトウハチローと、なぜ変えたのかネ。
理由は、群馬県で同名の強盗が、静岡県でやはり同名の詐欺師が捕らえれたのに、
嫌気して仮名書きに変えたのだそうである。

ある日の午後、ハチローは、いつものように、
敷きっぱなしの布団に腹這って障子越しに庭を眺めていた。
よく繁った「はぜ」の木に、夕日が注ぎ、真っ赤な色にかがやいていた。
ちいさい秋は、そのとき見つけたのだ。
ハチロー邸が壊されて、「はぜ」の木は、地下鉄の後楽園そばの、礫川公園に移築された。
その公園に立ち寄ってみたが、いまは葉を落として「はぜ」は淋しそうだった。
手前のベンチで、老人や営業マンらしき人達が、浮かぬ顔ですわっているせいか、
「はぜ」は、一層、寒々としてみえた。

05
礫川公園の「はぜの木」

話は、ハチロー邸に戻ろう。
「ちいさい秋をみつけた」の詩は、朝日のBeの伊藤千尋さんの取材によると、
隣家の水野陽一さん(68)の少年時代が、モデルになっているらしい。

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんがみつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
お部屋は北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋みつけた

亡くなったハチローの奥さんの房枝が、
「あの童謡のモデルは、あなたですよ」
と水野さんに語ったという。
水野さんも
「北向きの部屋で、くもりのガラスから、「はぜ」の木が見えるのは、うちしかありませんね」
と、うなずいたという。

確かに、現地に立つと、その通りの風景だとわかる。
水野さんちの、二階の曇りガラスの、窓がみえる。
蒸気でミルクのように融けた窓ガラスを通して、「はぜ」の木を眺めている、
うつろな瞳の水野少年の姿が、目に浮かぶ。
そんな少年の姿を、ハチローは眺めたのだろう。
ふと、のぞきみた印象が、詩になった。
一方で、裸で過ごすことが好きで、客が訪れると、うちわで、前を隠しながら
応対したという、ハチローの姿を少年は目撃しただろうか。

06
水野少年は2階左の部屋にいた。くもりガラスの窓だ。


ハチローは、少年時代不良で、ゆすり、暴行など、悪いことのかぎりを尽くし、
そのため無数の痛い目にあった。
落第、転校、勘当など数知れず、手のつけられぬ程、反抗し、荒れた。
それも、父紅禄の浮気や離婚が原因だった。
大好きだった母親から、もぎとられるように離され、自暴自棄に陥ったという。
アア、母恋し。

かれの詩に「母想う日の わが心 すなおなり」と、かわいい一章がある。
母と別れたハチローは、約3500編もの母を偲んだ詩をつくった。
その「おかあさん」の詩を読んで、元首相の田中角栄は、思わず涙を流した。
そして、感動のあまり、ハチローの自宅を衝動的に訪れたという。


07
弥生町から根津への展望


ハチロー宅跡に、詩碑を建てたのは、向かいに住む、岡本春枝さん(79)である。
岡本さんも、母を恋うハチローの詩への、想いは深い。
碑に刻む、彼女の選んだ詩は、

此の世のなかで
唯ひとつのもの
そは母の子守唄

サトウ ハチロー

移植された「はぜ」の木は、秋になるとすばらしい輝きで、赤く色ずくそうである。

08
岡本さんの建てた碑

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