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静かなる廃市。洲崎。

01
洲崎全景

今は、そこは町名も変わり静かな住宅街に変わりつつある。
もとの名は、洲崎という。
隅田川の先、いまの深川が海に面していた頃の埋め立て地に、遊廓がつくられた。
明治20年のことである。
遊女が、2000人ともいわれた。
堀と海で逃亡をはばむ、収容所のような閉ざされた場所だった。

話はすこし、飛ぶ。
ぼくは、いま東雲に住んでいるが、
いつだったか、
「東雲のストライキ、さりとは辛いね、てなこと、おっしゃいまいしたかね。」
という戯れ歌を聞いたことがあった。
東雲に、工場があり、そこでの工員さんのストライキがあったのだと思っていた。
ところが、どっこい。
そうではなかった。
ものの本で、いわくを知る。
洲崎遊廓に「東雲」という大きな遊廓があり、そこで娼妓と雇い主の争いがあった話だった。
大正期に娼妓自由廃業運動の嵐が吹きまくり娼妓のストライキや、足抜けがあいついだ。
客がそれとも知らず店に立ち寄ると、娼妓のストライキで登楼がかなわず、やれやれ。
それから、この戯れ歌が、できたらしい。
「さりとは辛いね、」というのは、すかされた、客のぼやきだろうが、歌詞がなんとも面白い。

02
昭和初期の建物にはタイル貼りの装飾


この苦境の彼女達を助け、受け入れたのが救世軍だった。
洲崎には、遊女の救出のために、当時客にまぎれて救世軍の兵士が、うろついていた。
そのため警戒している妓楼の男衆や地回りに、兵士と間違えられた客が
半殺しの目にあうこともめずらしくなかったらしい。
女性の解放のために、救世軍の熾烈な戦いがあったわけだ。
つい最近も救世軍の兵士達をみかけた。神田神保町のあたりで社会鍋という献金箱を前に、
「悩めるものは来たれ、皆来たれ。」と楽器を奏らし、募金活動していた。
楽器を鳴らし、平和そうな活動をしている背景には、厳しいドラマがあったんだ。
脱帽。


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洲崎神社

だが、廓の女たちも、暗い話ばかりではないのが救いだ。
この街の古い資料をみていると、富岡八幡宮の例祭で、
洲崎遊廓に繰り込んでくる神輿のねじり鉢巻きの若い衆に、
廓の女達が嬌声をあげエールをおくったという。
いかにも深川らしい粋で活力のあるエピソードである。

04
洲崎神社の弁天様


戦後、法改正により、制度は変わったが、
特殊飲食街として、ひき続き実態は、花街で、「洲崎パラダイス」とよばれた。
自由を得た女性達は、掘を渡り隣にある洲崎神社に詣でることができるようになった。
ちいさな神社だが、女性達は店明けの宵になると、出の支度をして、
三々五々、堀を渡って洲崎神社にお参りにゆく。
いわば、その日の縁起だった。
神殿裏の小さな弁天池の前に立ち、水面に鎮座する弁天様に視線をむけると、
当時の女性たちが、みつめただろう姿が彷佛として目に浮かぶ。

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洲崎パラダイスの名残の商店街


この特飮街の周辺を描いた芝木好子の小説の題名が、同じく「洲崎パラダイス」。
映画化もされた。
小説は6つの小編で成り立っているが、ストーリーはほとんど特飲街の中ではなく、
居酒屋などの、周辺が舞台になつている。
戦後の改革で、人身売買に類する遊廓制度は廃止されるが、
赤線とよばれる自由な売春の商売が、行われた。
人身売買の苦から解放されたものの、女性が安易な道を選ぶ危険な環境でもあった。
生活苦やら、男女の哀切や、やりきれなさ、に悩む女たち。
しかし、あの世界に行ってはいけないよ。
芝木好子は、そんな女のドロドロした生き様を、赤線の対岸から、描写した。

6編のひとつ、
「洲崎界隈」では、主人公がその世界に落ちようとする女をたしなめる場面がある。
「橋を渡ったら、お終いよ。あそこは、女の人生の一番おしまいなんだから。」
しっかり者の徳子は、ふらついている文子をどやすようにそういう。

「蝶になるまで」には、鈴子という少女が居酒屋で働く話がある。
「橋を渡った埋め立て地は運河に囲まれて、特飲街になっている。
 三吉はあとからついてきた鈴子に、
 ”あっちへいってはいけないよ。あっちは娼婦がいるからな。” 
 橋の上から見ると、コンクリートの堤防で仕切られた運河の水は、案外にゆらめいている。
 上げ潮かも知れない。青や赤に点滅する橋の上のネオンを仰ぐと、洲崎パラダイスと書いてある。
 鈴子は16才の少女で、石川県から、小父の三吉を頼り、上京。
 三吉に、洲崎の特飲街の手前にある居酒屋街のひとつの店に雇いいれてもらったのだ。」
その居酒屋は、橋のむこうの特飲街へ、これから繰り込んでいく男たちの景気ずけの場でもあった。
田舎出の小娘は、歓楽の街の雰囲気に染まりつつ、したたかに成長していくのである。


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さえずり通りの居酒屋街


その洲崎という世界が、昭和33年、売春防止法の施行で、町の名前もろとも消えてしまった。
その異界に渡る運河も埋め立てられ、散歩道に一変した。
だが 街に入る橋の手前に”さえずり通り”という道があり、鈴子の働いた居酒屋が今も、数軒並ぶ。
バラック仕立てでおぼつかない店だが、懐かしさをただよわす。

洲崎特飲街は、ほとんど取り壊されたが、タイル張りの門柱や窓枠などに
当時の独特なデザインの建物が少し残つている。
窓はアーチ型のアールデコ風な装飾で、そのままアパートや商店として使われている建物もある。
ここを廃市とよぶには、正確ではないが、
昭和の特飲街の名残が、ここ、そこに姿を覗かせ、
静かなる廃市をイメージさせるのだ。

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昭和初期のユニークなデザインの建物


永代通りから大門通りの右角にそばの「志の田」がある。明治29年(1896)の創業だ。
あげかすと油揚げのつけ汁にそば、昼時にはいつもたてこんでいる。
もう一軒の老舗、10割そばの「やぶ正」は合鴨せいろがうまい。

移りゆく時代。
当時を残こす風景は、しだいに影をうすめていき、
空想や、残された映画の世界で偲ぶほかなくなった。
それにしても「洲崎」とは、ホントにあった世界なのだろうか。

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直進する先にもと”洲崎パラダイス”があった。右角は老舗そば屋の”志の田”


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