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ぐるっと、谷根千。バックトゥーザフューチャーに嵌まる。「谷中」その1。

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JRの日暮里駅の南口を出る。
すぐ左手の丘には、広大な谷中墓地が広がっている。
そのまま、御殿坂を直進する。
なだらかな坂の先は、商店街に下る有名な階段の「夕焼けだんだん」がある。

あ!「谷中せんべい」
煎餅好きの僕の目に、大きな看板が飛び込んできた。
スイカ型の丸いガラス瓶が並び、小さなのや、四角やら、醤油せんべいが詰まってる。
旨そう。
からだが、ダダダと店の側に傾れていく。
おっと、いきなりそっちへ行っちゃあいけないよ。
買い物はか・え・り。

煎餅屋の前の寺で、ドキンとする、歴史的な「あるもの」をみるのだ。
大黒天、経王院。
門扉に残る、銃弾の痕だ。


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上野戦争(慶応4年、1868)という、上野の山で戦いがあった。
政府軍と彰義隊の戦い。
敗れて、寺へ逃げ込んだ彰義隊士を寺側は、匿った。
このため、山門は政府軍の銃撃を浴びたのだ。
義を貫いた寺当局は、その歴史的な証言物を保存してきた。
皆、興味深くその門の銃弾の穴を眺める。
「これも銃弾の痕よ。あ、これもそうだ。」
若い女性が、その弾痕の穴を指で、ぐりぐりっと
こね回し、
「ほら、みんながやるから、穴が、まん丸くなっちゃったア」
などと言っている。
おいおい、それって、文化財の損傷じゃないの?
「えへへ」だってさ。

さあ、ぼくは、「夕焼けだんだん」に行くぞ。
夕焼けが望める、階段がそれだ。
ここを下ると、細く長い商店街が延びている。
丘の上から、下界を見おろす気分、なんともいいもんだ。

考えてみれば、東京で、こんな景観が望める場所は、もう少ないのかもしれない。
雑誌などで、その「だんだん」を散歩しているネコの写真をみかける。
坂の途中で、カップルが、ネコちゃん、発見。激写だ。

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夕焼けだんだんで、ネコ発見。

「ほら、こっこちだ、こっち。」

ネコといえば、谷中は、放し飼いのネコだらけ。
墓地だろうが住宅街だろうが、
どこにでも、もそもそと歩いている。

「あ!商店の屋根にもいるぞ。」

あれはつくりもんだよ、と店員さんが教えてくれた。
あ、そうなんだぁ。しかし、リアルぅ!


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店頭に、でかい招きネコを置いてある店もある。


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なんと、10匹くらいの捨て猫を飼っている寺もあった。
日蓮宗、龍谷寺だ。
寺の玄関口で、のたりのたりしているネコ達を発見、パチリとやっていると、
若い女性が、すいっと、賽銭箱に近寄る。
のたり達が、瞬間、豹に変わった。
ネコは、全員、全速で、女性をめがけて走った。

「参拝客は、餌をやるので、賽銭箱のあたりに近寄る人に、
 狙いをつけているのよ。」

寺の、おかみさんが、いう。

なんだァ。ぼくは、ハナから、ネコに読まれて、無視されていたってわけだ。
おかみさんが、あはは、と笑った。

10匹のネコは、もともと2匹の捨て猫が増殖したものだという。
もう、谷中の猫熱には、驚くほかはない。
ほかに、ねんねこ家とか猫町カフェ29とか、猫にからんだ沢山の店があり、
その探索は、別の機会にしょう。


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龍谷寺のネコたち。

話は、歴史に変えよう。
世間は新タワー建設に、湧いている。
谷中にも、タワーがあった、
昭和まで、残っていた五重塔である。
しかし、その塔で男女が心中し、その道ずれに塔は放火され、消失した。

塔は、当初、(仮に第一次と言おう)1644年に創建され、1772に火災で消失、その後、
職人魂の権化の、大工棟梁の八田清兵衛が48人を指揮、
渾身の技術で再建したものだ。

塔建設の挿話に感動した作家、幸田露伴は、
明治24年に「五重塔」というテーマで、清兵衛の職人魂を小説に書いた。
その塔が消滅したのは、昭和32年7月だった。
地域の人々は、荘厳の美や、誇りのシンボルを失い、
いまだに、深い喪失感に傷ついている人が多いという。
映画監督の舩橋 淳さんは、ここに住みついて、それに気付いた。
消滅した塔を、いまも心の拠りどころとする、人々の多いことを。

それが動機で、かれは映画「谷中暮色」を撮りあげた。

塔の跡地は谷中の墓地にある。
墓地の50メーター程、手前で、自宅の庭を掃いていた老人をみつけた。

焼ける前の塔をご覧になりましたか?と訊ねた。

「ご覧になったもなにも、小学生の頃だったからね。
 いまで言やあ、ロケットの打ち上げってなもんで、空へ火柱が抜けて行くみたいで、
 腰がぬけたよ。」

いやぁ、そうだろうな。
跡地に行ってみた。
礎石だけ残っており、そこに説明板がある。
塔の由緒と、写真で「健在だった塔、燃焼中の火柱、残骸」と3枚が添えられている。
この写真をみると、
ああ、塔が実在したんだな、放火のショックはすごかっただろうなと、
しばし迫力のリアリテイを、追体験させられる。


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五重塔の跡。


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塔消失の写真。

上野桜木通りを言問通りにむかって下る。
右手に、和菓子の「岡埜栄泉」がある。これは、文化財レベルの建物だ。
思わず、引き寄せられる。
重いガラス戸をあける。
ショウケースには、菓子がすくない。
2~3の和紙に包まれた干菓子らしきほかには、豆大福が、ひとつだけ置いてある。
声をかけても返事がない。
だが、奥から、大柄な店主らしき人物がぬっと現れた。
これだよ、昔の職人は。無愛想なほど腕がいいって言うじゃん。
豆大福を一箱(1個230円)買った。
さらに根津駅にむかい、一軒の甘味屋で(1個130円)
大福を一箱買い、帰宅後、どのくらいの違いか味比べをした。
問題にならなかった。


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岡埜栄泉

老舗といえば、
言問通りに面し、江戸時代以来、昭和61年まで営業していた吉田酒店の旧店舗が、
公開展示されている。
真っ黒で、がっちりした建物だ。
なかには、沢山の展示物がある。
懐かしいポスター、帳場が意外に狭いのが面白い。
外人の老人夫婦が、目をきょろきょろさせながら、丹念に見物していた。
面白いと思える感覚は同じなのだな。

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吉田酒店

ここから、すぐの左手に、小さな店だが田辺文魁堂がある。
筆で有名な店だ。
ウインドウには、巨匠のピカソや、ミロがこの店で買い求めたのと、
同じ筆が、ぶらさげてある。
ボタッ!という四角、小太りの筆で、
この筆を、ピカソが使ったのかあ!
どんな絵を描いたのかなあ。
ガキのように、いろいろ想像を巡らせてしまう。

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中央の筆をピカソは買った。

もう陽が落ちた。
「夕焼け、小焼けで日が暮れてェ」
谷中一丁目、蛇行する細い道の先に、
昔みた、もう思い出の中にしか存在しない風景があった。
町はずれの三叉路。
大きなヒマラヤ杉が、民家を傘で守るように立っている。
迷路のような小径で、ひょいと出会った風景だけに、嬉しさは格別だ。
ちいさな感傷を、だいじに抱えながら、帰路についた。


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ヒマラヤ杉の三叉路。

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