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唄を忘れたカナリアは、上野の森をさまよった。

01
教会

唄を忘れた カナリヤは
うしろの山に 棄てましょうか
いえいえ  それはなりませぬ

生活に押しひしがれて、落ち込んだ気持ちの時だった。
詩人の西条八十は、まだ5カ月の長女の「ふたばこ」を抱いて、
上野の東照宮の境内を散策していた。
ふいに、ある記憶が蘇った。脳裏に浮かんだのは、
14~5才のころ親に連れられて行った教会のクリスマスのことだった。
堂内の灯りが、いくつも華やかにともるなかに、
ひとつだけポツンと消えている電燈があった。
きらびやかのなかの、喪失感。
それをみていると、自分だけが歌うべき唄をわすれた小鳥をみるような、
さみしい気持ちに襲われたのだった。

02
上野東照宮

ぼくは、4月の雨のそぼ降る日、上野の東照宮のあたりと、不忍池のまわりを歩いてみた。
西条八十の心情を偲びつつ。
日頃は、人出が多いのに、この日は、まばらだった。
枯れ草に覆われた不忍池。
ここは、都会の真ん中でありながら、静けさをただよわせている。


03
不忍池


西条八十は、池のほとりのアパートに住んでいた。
不忍池は、
春先の今頃は、当時も、こんなおだやかな風景に映っていたのだろう。
ただ、かれの心のうちは、違っていた。
東京、牛込の裕福な家に生まれながら、父の急死、兄の放蕩、財産の散逸、
さまざな不運に見舞われ、八十は、深い絶望に陥っていたのだ。

ただ、チャンスは、かれの気づかぬところで、用意されつつあった。
おりしも、夏目漱石の門下で作家の鈴木三重吉は、
子供にいい童謡を与えたい、と1917年に児童雑誌「赤い鳥」を創刊した時だった。
その雑誌は、子供の歌を、教訓的な「学校唱歌」から、「創作童謡」へ変える、画期的な児童文芸誌だった。


八重吉は、伝統的な「わらべ歌」と違う、欧風な香りの西条八十の
「鈴の音」(王様の馬の、黄金の鈴……)が既に評判になっていて、かれに注目していたのだった。
八重吉は、直接、八十の自宅を訪れ、新しい童謡の作詩を依頼した。
「芸術的な子供の歌を」
しかし、いままでそんな童謡を書いた人なんて、だれもいない。
悩みに悩んだ末、西条八十は、童謡にフランス象徴詩の手法を取り入れよう、と考えた。
子供に「高貴なる幻想」を与える。

04
ヨーロッパ王宮

難しそうに思えるが、要するに、「童謡とは、芸術的な内容をもった詩だ」
と結論ずけたのである。

唄を忘れた カナリヤは
象牙の船に 銀の櫂
月夜の海に浮かべれば
忘れた唄を思い出す

夢幻のファンタジーを紡ぎだしたこの唄は、国中の子供や親から大きな反響を呼んだ。
八重吉は、とても喜んだという。
この時の「カナリヤ」の唄の感動を、娘のすずさんは、よく覚えている。
当時、大きなラッパのついた蓄音機を懸命に廻して、父八重吉が聞かせて
くれたという。


05
大きなラッパの蓄音機 手でまわす


不忍池のほとりに、この、歌碑がある。

06

西条八十の童謡は、都会の少年のマインドが匂う。
僕の印象に深いのは、「きりぎりす」という童謡である。

「夕べ、夢で、姉さんの赤い手箱に
 『きりぎりす』を入れておいた。
 どうなっただろうか。
 それを、確かめようと、
 朝、ふたをあけると、
 『きりぎりす』は、
 緋鹿子(ひがのこ)のきれいな、
 ひすいの櫛(くし)になってころげでた。
 これは、夕べの夢にみた
 『きりぎりす』なのだろうか。」


姉の持ち物とはいえ、赤い絞り染めの、ひすいの櫛はなまめかしい。
若い女性の持ち物をめぐって、ときめく思春期の少年の、危うさがファンタスジックだ。

西条八十は、その後、童謡をつくり続けるが、だんだん
童謡から、少年詩の方向にむかっていく。

母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね?
ええ、夏、碓井から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

                    
この、「ぼくの帽子」という詩は、森村誠一の小説「人間の証明」(1976)で、
一躍、有名になった。
エレベーターのなかで殺された黒人が、西条八十の詩集をもっていて、
事件の解決に、この詩が重要なてがかりになるという、ストーリーだ。


ぼくもこの詩が好きだ。
不思議な非現実のイメージのこの詩は、少年詩の新ジャンルを予感させたが、
大震災を経て、西条八十は、大胆な方向転換をしていった。
大衆歌謡の方向に切り替えてゆくのだ。
関東大震災のがれきの中で、人々は虚脱状態に陥っていた。
そんな時、上野の山で、少年が大衆歌謡をハーモニカで吹いていた。
人々がそれに引き込まれるように聞き入っている。
それをみて、西条八十は、なにかを感じとったのだった。

07
下町風俗資料館 昭和の喫茶店


昔恋しい銀座の柳
仇な年増を誰が知ろ
ジャズでおどってリキュルで更けて
あけりゃダンサの涙雨
    (東京行進曲1929)

あなたのリードで、島田も揺れる
チークダンスの悩ましさ
乱れる裾も恥ずかし嬉し
芸者ワルツは 思い出ワルツ
   (芸者ワルツ、1952)


「え?これ西条八十の唄なの?」
フランス象徴詩の影響から発し、童謡、それから少年詩、最後は、大衆のなかに
ひたり、ともに肩組み歩むようなパワフルな歌謡曲をつくっていった。
「誰か故郷を想はざる」「青い山脈」「王将」など、
大衆に愛された、童謡,歌謡曲は2500曲に及んだという。


ぼくは、帰りがけに不忍池のほとりの「下町風俗資料館」に立寄り、
大正、昭和の道具や玩具など生活の品々をみながら、
いや、さわりながら(さわっていいそうだ)西条八十の時代の匂いにひたった。
人間が人間臭く、貧しさ、や災害、戦争に苦しめられた、大正、昭和。
そのあけくれが、涙や、あきらめの歌に、滲みでた。
すぐれた作詞、作曲家たちが、素晴しい作品を生み出し、
いまも、ぼくたちを癒してくれるのである。

08
伊東深水の画


09
昭和の駄菓子屋

八十の散歩道の東照宮そばに新鶯亭という、だんご屋がある。
抹茶、餡、白餡の三色だんごだ。
大正4年(1915)からの名物茶屋なので、八十も食べたかもしれない。
それと、この前も紹介したが、K子ちゃんご推奨の上野の「みつはし」で、
おいしいあんみつを買って帰った。


10

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