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ぐるっと、谷根千。谷中その4。

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根津駅ちかく。

指人形の「笑吉」の店がある。
人形作家は、露木光明さん。
谷根千のユニークなスポットだ。
粘土で造った、指人形が店内に並べられ、小さな演台でそれを操る。
キャラクターは、老人のコミカルな表情や仕草の人形が多い、
いろんな職業や、さりげない動作、政治家の顔も、リアルでコミカル。

思わず、吹き出す。
「表情の面白さは、歳とった方には、かないませんよね」
作者の露木さんは、いう。
根津の一角で、指人形の製作から、劇の公演から、販売まで、露木さんは頑張る。
似顔絵の指人形も一体、2万円程度で製作してくれるが、希望者が多く、2~3年は
待たされるようだ。

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人形作家、露木光明さん


「笑吉」は、どうして生まれたか?
ぼくには、露木さんが「笑吉」人形を生み出した、
苦労の経緯が、とても興味深い。
聞いてみた。

露木さんは、かって、縫製の会社のサラリーマンだった。
子供の頃から絵が好きで、日曜画家。
「ウーン。自分の絵画、花開かせたいなァ」誰でも抱く、人生の願望だ。
子供の絵画教室などバイトもやっていた。
ある時、教室でのカリキュラムの一環で、粘土細工をやってみようと、
教材のサンプルを造っていたところ、なかなか表情の面白い人形ができた。
「そうだ! この粘土細工は、オレに向いている」と小躍りしたという。
自分の才能、適性は、「絵画」より「これではないか」と、実感したのだ。


「13才のハローワーク」という職業適性の探索本が有名だが、
露木さんにとって、自分の適性と才能の発見は、中年以降まで遅れてしまったが、
じつに、ドラマチックな自分発見の瞬間だった。

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谷中に煎餅屋が何軒あるだろうか?
煎餅には、目がないぼくは、かたっぱしから、探して買ってみた。

三崎坂の「菊見せんべい」から、スタートした。
店先で、いきなりお使いワンちゃんに遭遇した。
首に袋をぶらさげ、心得えた顔をしているが、
うしろにおやじが、ひもで曳いてるから、お使いじゃなかった。
菊見せんべいは、創業1875年の老舗だが、煎餅の値段は庶民的。


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地元の常連客、「菊見煎餅」

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明治の菊見煎餅

不忍通りにでると、「八重垣煎餅」がある。
そこで、徳用袋を買い、善光寺坂に曲がる。
「大黒屋」だ。
いかにも、庶民的な「商い」といった小さな店だ。
薄暗い、奥の部屋から、もぞもぞっと、中年のおじさんが出てきた。
れっきとした、職人さん的な人だ。
買った。
高けえな!
でも、それだけ味に自信があるんだろう。


その足で、夕焼けだんだんに近い、「谷中せんべい」に寄った。
先代が亡くなって、そのあと、40代の跡継ぎが頑張っているらしい。
丁寧な物腰の若者。

トドメに、「谷中煎餅」裏の「初音小路」にある「都せんべい」に立寄った。
この「初音小路」は10数軒の小店舗のひしめく、昭和ムードたっぷりな小路だ。
「都せんべい」で、谷中の有名どころの煎餅は、あらかた踏破したかな?
立ち寄ったが、留守だった。
2~3日経っても、閉まっていた。

3回目。やっと、店が開いた。
「おばさん、3回目だぞオ」
「悪かったですね。おじさんが、ケガしちゃったんですよ。」
奥で、おじさんが、しゃがんで、黙々とせんべいを焼いている。
ヴィジュアル、つまり、煎餅の焼き加減の色合いから、堅焼きの厚いのは、僕好みだった。
谷根千の煎餅屋は、老舗揃いだけあって、どれも美味かったぞオ。


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初音小路の都せんべい

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だいぶ前に、画集で観た絵だが、印象に残った。
都市の暗い風景を描いた絵だが、
暗さの中に、リリカルな風情があって、寂しい。
画家の名は、松本竣介(1912~48)だった。


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松本竣介の作品


最近、谷中を歩き回っているうちに、
若い画家達の、溜まり場だった「りりおむ」という喫茶店が、
昭和初期の谷根千にあった、という情報をキャッチした。

場所は、団子坂と三崎坂のぶつかる、あたりだった。
無頼の画家、長谷川利行や、麻生三郎、あい.光、
などの画家達のほかに、松本竣介もグループ「赤荳会」のメンバー達と溜った。
峻介は、聴覚に障害があった。
あの暗い、音のない絵の世界は、多分、そこからくるように思われる。
勿論、ひたひたと迫ってきた、戦争への不安や絶望も、
あの暗さと悲しみに影響したに違いない。

ぼくが、注目したのは、もう一人。
「りりおむ」の経営者の中林政吉だった。かれは、画家達の力強い支援者で、かつ、
進歩的文化人であった。
「りりおむ」の経営は、昭和初期の短い間ではあったが、
その間、ラジカルな若い画家達の燃焼の場として、中林が支えた力は大きい。
しかし、あっという間に店は、権力によって、つぶされた。
画家や美校生の左翼活動の拠点となった嫌疑で、閉店を強いられたのだった。


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「りりおむ」中林敬治画

店をめぐる人々の、人間的な結束は固く、店主の中林が、政治活動の嫌疑で、
再三、警察に拘留された時も、峻介はじめ仲間が結束し店を守ったという。
強い友情と、芸術に対する熱い思いが、「りりおむ」に充満していたのだ。

店内には、ジョセフィン、ベーカーのシャンソンや、
チャップリンの「街の灯」などの曲が、流れていたそうである。
店は、ゆりかご、のような、安寧の空間でもあった。
そういう人々の熱い思いを谷中は、やさしく包みこんで、刻が流れてきたのだなア、
と思わず、吐息が洩れる。


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左上、俊介。左から二人目中林政吉


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「初音町」の名の町があった。
うるわしいひびきだが、そのあたり、鶯谷とよばれ、
鶯の初音を楽しんだところから生まれ町名だそうだ。
近くには、蛍坂もある。もち、蛍で有名だった。
このあたりは、豊かな自然の谷あいだったのだろう。
大木の林を一部残した初音公園があるが、運動公園で情緒はない。

そのあたりに「岡倉天心記念公園」(谷中5丁目7番)がある。
天心は、従来の日本画の流派に反対し、洋画の手法をとり入れ、
近代日本画に、清新の気を与えた人だ。
住居跡が、小公園になっていて、平櫛田中作の天心の座像が、置かれている。

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岡倉天心


初音公園脇の坂を上ると、築地塀の観音寺がみえる。
この塀は、瓦と土を重ね合わせた、珍しい塀だが、
もう日本には、築地塀は、僅かしか残っていないそうである。

この観音寺には、もうひとつ由緒がある。
赤穂義士に名を連ねた、近松勘六行重と、奥田貞右門行高の、碑があるのだ。
なぜ?
義士と寺との関係はこうだ。
義士の行高は、この寺で修行していた文良と兄弟だった。
文良は、のちにこの寺の第六世の、朝山大和尚となった人物である。
寺伝によれば、僧の文良は、討ち入り前の浪士達の会合の便宜を諮り、寺内で、しばしば
かれらの謀議がおこなわれたという。
谷中という町では、
江戸から明治にかけて、義に加担した人々の逸話が多い。
そういう逸話に接するたびに、心を洗われるように思うのだ。

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観音寺の築地塀

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観音寺


観音寺から、日暮里に向かう途中で、数人の高校生らしい外人旅行客とすれちがう。
すると、また、向こうから三人の、外国人の女学生がやってきた。
通学中の女生徒と見間違うほど、町に溶け込んだ表情をして歩いている。
え!地元の学生かア?
いや、旅行客だろう。
それにしても、土地に溶け込んでいるなあ。
人けのない、寺の脇道で外人の老夫婦に出会った時も、さりげない会釈で、
土地の人のような、すれ違いをした。
区の広報によれば、谷中は、年間80カ国、13万人の外国人客が、訪れるという。
原宿や秋葉原で見かける外国人が、異邦人であるのに対し、
この町では、かれらは、土地に自然に溶け込んでいるのが微笑ましい。

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谷中をゆく女生徒

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