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両国の今日この頃は、涙雨。両国その1。

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隅田川を、川下から船でのぼる。両国に船着き場がある。
かって、「家族ゲーム」(本間洋平原作、森田芳光監督)という映画で、
松田優作が、船に乗って川沿いのマンションに家庭教師の仕事に出掛けるシーン
があったのを思い出した。
それは、どうでもいいが、先ずは、両国の船着き場に着いたのだ。
(着いたことにする、今日、月曜は、船は出ないのだ)

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船着き場


場所中であれば、目の前の国技館に沢山の幟がはためき、
テレンコ、テンテンと太鼓の音が響いてくる。
7月は、名古屋場所だ。
従って、両国のきょうは、寒々として、相撲を思わせる風景ではない。
ふだんは、この町特有の風景で何処にでも若いお相撲さんがいる。
食い物屋と、パチンコ屋。
若いもんの町にしては、気の毒なくらい、遊び場のない地味な町だ。
相撲部屋は、両国だけで、10部屋くらいある。
相撲部屋の前で、四股踏んだり、自転車で、あちこち走る若い衆の姿を見かける。
微笑ましい、のどかな風景の町だ。

そんなところへ、
例の、野球賭博事件だよ。
船着き場から、国技館に向かうと、TVのカメラや報道陣で、わんわんしている。
なんだよ。あちこちで、協会の理事がつかまって、質問攻めだ。
一昨日、雨っぷりの日だったが、両国にきた。
国技館通りにある、力士の銅像は、びしょびしょに濡れながら土俵入りをしていた。
心なしか、相撲界の嵐のなかの無念の思いの土俵入りである。

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TVカメラが囲む


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雨の土俵入り


案内所のおねえさんに、大変だねと話しかけたら、
どうなるんでしょうね、と心配顔。
ちゃんこ屋あたりは、関係ないから、いいんじゃない、とトンチンカンに慰めたら、
「お相撲さん、ちいちゃくなって、いますよ。かわいそう。」
と、ちゃんこの営業の心配どころではないようだ。

たいやきを家人に頼まれたので、浪花屋本店へ向かう。
時津風部屋の横道に、4~5人、報道陣が張り込んでいる。
その先にある、錦戸、八角と並んだ相撲部屋を、ついでに覗いてみたが、
ここもひとけがない。
向かいのマンションの植え込みの手入れをしていた品のいいご老人に、
だれもいないんですかと訊ねた。

錦戸部屋も八角部屋も鉄筋マンションだ。
すげえな、いまどき、相撲部屋もマンションになったんだぁ!

「錦戸の部屋は、もと、大会社の社長の家でしたよ。」
 "へぇ。タニマチだったの?"
「いや、知りませんよ。もらったのかどうか。」
 "八角部屋もマンションだ、すごいね。"
「八角は、なんにも悪いことしてないのに、
 テレビにペコペコして、かわいそうだよね。」
 "生活指導部とか、広報とかの立場だったんだよ、ね。"
「そう、二人で、頭さげてる、あの禿げたほうの人だよ。八角は。マジメだよ」

ウム。近所の評判は、悪くなさそうだ。
頑張れよ。ハッケヨイ。

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八角部屋

たいやきやへ急ぐ。清澄通り、横綱町公園の筋向かいだ。
麻布十番と、同じ系統の鯛やきやだ。
十番の名物じいさんの神戸さんに、(このブログでも、泳げ鯛焼き爺さん、という
インタビューをやった)同じ屋号の他店舗について、いろいろ聞いてみたが、
いまいち事情がハッキリしなかった。

この両国の店は、「元祖、浪花屋本店」とある。
神戸さんも亡くなってしまったが、神戸さんと近い年頃の、ここのご主人に聞いてみた。
こっちの店が、本店なの?
「そうじゃぁ、ないんだんだよぉ。
 麻布とおれが、先代の弟弟子で、そんで、ふたり、暖簾分けしてもらったの。」
そうかぁ。
出自をめぐって、世間では虚実入り交じって語られ、このご主人も、
すこし苛ついてしまうのも無理はない。

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浪花屋本店


昭和初頭だろうか、100人ほどの旦那衆の集まった集合写真がかざってある。
これは、なんだろう?
「新年で、全部の店が、集まった時の写真だよ。」
系列店が、こんなにあるんだぁ。いやあったんだ、か?
で、麻布と同じたいやきの味なの?
「いやあ、型も違うし、味も少し違うよ。
ほれ、この型、すっきりしてるだろう。
あっちは、泳げたい焼きくんのブームで、売れまくって、型ぁ、つぶしちゃったんだ。
うちは、そのままだよ」


ウーム。
人気店だけに、どっちも、張り合ってきた様子が窺えるな。
そうして、競ってまた、味もよくなる。
ぼくも、麻布に住んだころ、神戸さんの店へよく行った。
繁盛して、30分待ってねぇ、とか、1時間とか、っていわれて、
「神戸さん、若葉のたいやきに鞍替えしちゃうぞ、」などと毒ずいたこともあった。
両国のたいやき、は、待たされず、かつ、旨い。150エン、だ。

よく、甘味抑えてなんていうけど、頃合いの甘味だし、やっぱり年期が入った味だ。
神戸さんも死んじゃったから、
ぼくは、これからここへ買いにこよう。
あれ?おやじさんの、うしろに神戸さんの写真が飾ってある。
しかも、位置的に、大事な場所だぜ。
互いに張り合っても、この年代のおじさん達は、情があるんだな。


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浪花屋店主


信号を渡って、東京都慰霊堂へいく。
ぼくは、ここへくると、林家三平(先代)の奥さんの海老名香葉子さんの、
悲痛な叫びを思い出すのである。

昭和20年3月10日東京は、アメリカの爆撃機の猛襲撃を受けた。
幼かった「かよちゃん」は、当日、沼津へ疎開していたが、兄ひとりを除き、
両親、兄弟全部、爆撃と大火災で殺された。


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慰霊堂

お手て つないで 野道をゆけば
みんな可愛い 小鳥になって
毎日、夕暮れ時、お母さんが、かよちゃんの手をひいて、晩飯のお惣菜を、
商店街に買いにゆくのだった。
お母さんの必ず歌う歌だ。
そのささやかな幸せから彼女は、一挙に、孤児にちかい境遇に突き落とされた。
とにかくその空襲は、ひどかったらしい。

昭和19、20年と続く、連日の空襲で、10万の命を奪われた。
4代目柳亭痴楽によると、彼も赤ん坊を背負いながら妻と逃げたという。
逃げても、逃げても、大量のB29爆撃機の焼夷弾が豪雨のようにふりそそぐ。
まわりは死体の山。
頭抱え、この絶望状態を「どうする?」
二人は、その死体の山をかき分けて、その中に潜り込んだのだという。
赤ちゃんは、着物も焼け爛れ、死んだ。

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慰霊堂を望む

さかのぼる、大正12年、
大震災は、東京市の大半を焦土と化し、58000人の市民が、業火の犠牲になった。
つまり東京の、近、現代は二度にわたり、大災害に見舞われたのだ。
震災記念堂
東京都慰霊堂
いずれも、その災害者を追悼し、忘れぬモニュメントとしてある。
26日にも、堂内で、その災難を忘れぬ集いが開かれていた。
敬虔な、バスツアーの人々も、平和祈年の碑の前で、追悼や、自らの
戒めを誓っておられたのだろう。
付近に震災の痕跡を証言する、すざましい証拠が、展示されている。
ビール工場の焼けつぶれた、釘の束の大熔塊や、同じく焼けつぶれた
100万馬力の電動機の残骸。
自動車の車両番号第一号という、銀座の明治屋で使っていた乗用車の
無惨にもシャシーだけが、残るのも痛々しい。
ナガサキ、ヒロシマだけじゃない。
忘れてはいけない、という自戒をもて、と天から突きつけられ、
唇を噛み締めて帰った。


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焼け爛れた釘の束

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焼けた明治屋の車

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追悼し、歴史を学ぶ

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