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森に詰まった物語。小石川植物園界隈。

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小石川植物園

いや驚いた。
植物園というから、温室に毛の生えた程度のものを想像していったら、
多彩な植物はもとよりだが、美しい並木道や、緑の広場。
それだけではない。
池の多い、湿地帯から、崖をあがる。
奥へ、奥へ、多分、北西の方角か。
低地から登って進むと、
道が判らなくなりそうな、針葉樹林の生い茂る森に迷い込む。


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ふと、なにか気配を感ずる。
野良猫が、じっとこっちを凝視していた。

サバイバルゲームのマニアが、よだれを垂らしかねないほど、
野趣に富んだ森が、存在していた。

小石川植物園。48,000坪。
広大な面積だ。

入り口のパン屋さんで、
おばさんから330円の入場券を買って入るというのも、
意味がわからないが面白い。

かなり以前から、ここへ来てみたいと思っていた。
なぜか。


メンデルの遺伝の法則、とか、リンゴが落ちて、ニュートンが重力を発見。
そんな、なんだか判らないままに、幼児時代から、
キンダーブックなどで、なんとなくなじみの話があった。
長じて、そのメンデルや、ニュートンの、
ゆかりの、りんごやぶどうの木が、
ここにあるということを知った。
そうか、それは是非、見てみなければなるまい。
当然、そう考えていた。
で、やっと今出掛けてきた。

広大な森だとは、先に述べた。
案内のパンフには、木で鼻くくったような説明しかない。
園内の植物を鑑賞している、おばちゃん達に訊ねた。
ニュートンのリンゴの木って何処?
「エ!それ、何?」的で、おばちゃん達は、ニュートンなどについて、要を得ない。
やっと、学生らしい集団に話しかけて、一緒に探がして、その木を発見した、というわけだ。
木は、古木で、こぶりながら、よく手入れされている。
物理学者のニュートン(1822~1884)が、生家の庭で、
「万有引力の法則」を発見した、その木の一部を1964年に英国から贈られたものだ。
メンデルの木にも、同様な経緯がある。
青い未熟な、ぶどうや、リンゴであろうとも、巨大な「意味と歴史」を背負って生きている。
その果実に、壮大な過去への思いを遡らせる。
ちょっと、感動。

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ニュートンのリンゴの木

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リンゴの実

この園の歴史は、
要点のみでいうと、江戸時代、ここは「小石川御薬園」といって、
幕府直轄の薬草栽培地だった。
山本周五郎の代表作「赤ひげ診療譚」という物語がある。
貧しい、人々の病気を手当てした、赤ひげ医者、
小川笙船の江戸小石川養生所は、ここにあった。
いまも、当時の井戸が残っている。
黒沢明も、この史実をもとに映画「赤ひげ」を撮ったといわれる。
われら日本人は、こいう話、好きだ。


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赤ひげの井戸

また、青木昆陽が、ここで、さつまいもの栽培を手がけて、
飢饉の際の食料の確保を計った。
これもいい話。
このように、この森には、いろいろなドラマが、積み重なっている。
夏目漱石の弟子の寺田寅彦に、「団栗」(どんぐり)という随筆がある。
この、植物園で、寺田は妻の夏子と、どんぐりを拾った思い出がある。
夏子は、20才の若さで亡くなってしまったが、
寺田は、忘れ形見の6才の娘とここに遊びにきた。
娘は、母に似てどんぐりを拾い集めることを喜び、
加えて、折鶴の上手なところも夏子に似ている。
娘が、運命までも母に似ないように願いながら、薄幸の夏子を偲ぶという、
なんとも哀しい話を書いている。
ほかにも、
アインシュタインが、訪れたり、ベルツの歓送会が崖下で開かれたり、
東西古今の文人や、学者、要人が、ここで、くつろぎ楽しんだという。


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博物館の分館


植物園の出口に近く、赤い古い建物がある。
旧東京医学校本館で、国の重要文化財になっている。
本郷から、ここに移築したが、森鴎外などが学んだらしい。
いま、東大の博物館の分館になっている。
化石や動物の骨格などが、陳列されている。
それを、チラリと覗き、園外にでる。

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博物類を観る


バットケースを担いだ野球帰りの二人の高校生と出会う。
オット、おいしいアイスクリーム屋どこ?
「あ!そこです。そこです」
さんきゅう。植物園から直ぐだ。
北海道の牛乳と新鮮なフルーツのヘルシーな、アイスクリームの
「スペールフルッタ」で、K子ちゃんのご指名の店だ。
"そのオレンジのやつ”といって、ひとつ買い、食べた。シャレた味だ。

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湯立坂を上る。
100mほど左手に、啄木終焉の地がある。文京区小石川5-11-7。
そこは、マンションに変わって味もそっけもないが、そのかわり
啄木の亡くなった日時、時間と、立ち会った、人物の名など、
詳しく由緒が書かれている。

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啄木、終焉の地


湯立坂に戻る。
左手に、大正元年に、楠の木の一枚板で造られたという、
銅(あかがね)御殿、という国の重要文化財に指定された屋敷がある。
迫力のある門で、一見の価値あり。


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銅御殿

その右手は、カイザースラウテルン広場があって、一角獣やアンモナイトを、
モチーフにした、彫刻の並ぶ、面白い公園になっている。
広場の名は、区と姉妹都市の、ドイツの街の名だそうだ。


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カイザースラウテルン広場

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去年だったか、不況のあおりで、小林多喜二の小説、
「蟹工船」がブームになった。
この植物園あたりも、印刷会社が建て込んで、徳永直の「太陽のない街」という、
同じような悲惨な労働争議の小説が書かれ話題になった。
その印刷会社がひしめくあたり、植物園に添って長い道をゆく。

寺があった。
「わが心 鏡に映るものならば さぞや姿が醜くかるらん」
と門前の壁に書いてあった。


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新福寺

茗荷谷駅近く、藤坂がある。
傍らに、藤寺があり、門前に地蔵が立っている。
江戸時代、徳川家光が狩りの帰りに、ここを通り、
寺いっぱいを覆う、藤の花を見て感嘆し、まさしくこれが、藤寺だと述懐したという。
藤のシーズンにもう一度、来てみたい。


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藤寺

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