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君とよくこの店に来たものさ、学生街の….。お茶の水周辺。

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学生街の喫茶店


君とよく この店に来たものさ
訳もなく お茶を飲み 話したよ
学生でにぎやかな この店の
片隅で聞いていた ボブディラン
あの時の歌は聞こえない
人の姿も変わったよ 時は流れた 
(学生街の喫茶店。)(ガロ 歌。山上路夫 詞。すぎやまこういち 曲。)


ぼくは、毎日、キャンパスの取材で、駆け回っていた。
69年1月、バリケード封鎖されていた東大安田講堂が、
機動隊との攻防で陥落し、学生運動も収束に向かうようにみえた。
70年代にはいり、学生もぼくらも疲れて、放心した虚しい日々が続いた。
72年にガロが歌った、「学生街の喫茶店」は、
そんな頃の、友人との別れも織り込んだ、傷痕の歌のように聞こえる。


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あの頃は 愛だとは知らないで
サヨナラも云わないで別れたよ
君と


当時、時代の気分と、別れを歌う曲が多かった。
「神田川」「赤色エレジー」「なごり雪」……
そして「学生街の喫茶店」。
この歌のモデルは、とくにないと山上さんが、述べているそうだ。
この詩は、誰もが体験した、学生時代の思い出や風景の歌だから
舞台は、あそこだ、いやここだ、とみんなが自由に推測するのだろう。
ガロの大野さんは、早稲田の街路樹をイメージして歌っていたそうだ。
歌のモデルと自分の青春を重ねて、その喫茶店を探索したり、
空想して楽しむ人も多いのだろう。

ぼくは、60年代末から70年代にかけて、学生運動の撮影や、キャンパスの取材などで、
お茶の水、神田界隈に日参していた。
子供二人を、猿楽町の錦華小に通わせたこともあり、この街には、若干詳しかった。
「学生街の喫茶店」が流行し、即座に脳裏に浮かんだのは、お茶の水、神保町界隈だった。


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山上さんは当時、フランスに旅して、その折パリの喫茶店のイメージをからめ、作詞したという。
そんなエピソードを聞き、ぼくはお茶の水の「とちの木通り」(マロニエ通り)が目に浮かんだ。
お茶の水は、
周辺に多くの大学や専門学校のひしめく、学生街だ。
パリとの類似点もないことはない。
ここ駿河台周辺は日本のカルチェラタンといわれた。
マロニエの繁る、この並木道の尽きるあたりには、アテネフランセもある。


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お茶の水

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マロニエの並木道

まあ、それはともかく、今日は、マロニエ通り(勝手に言い換えた)を散策することにしよう。

お茶の水駅から駿河台を下り、すぐの右側にマロニエ通りがある。
右折し、坂を上る。
静かな、みどりの並木道だ。
明大のキャンパスが道の両側にあり、それを縫って道は伸びている。
この丘の上で、ぼくは、70年代に、未来の「ナベさん」とは知らず、
「コント赤信号」ほかの、明大落研の人達を、スナップしていた。

学祭の時で、彼らの青春真っ盛りだった。
毎年、同じような風景が展開されていた。


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丘の上。落研のグループ


先を急ごう。
すぐ左折すると、山の上ホテルにぶつかる。
ロビーや、随所にアールデコの意匠に飾られた、ちいさな、静かなホテルだ。
文豪や文化人達の愛用したホテル。
そこに立ち寄らずらず、ひき続きマロニエ通りを直進する。
右手に文化学院がある。
大正12年の創立、蔦の這う、アーチ型の学舎で、多くの芸術家や舞台人
などが巣立った。
ファサードに隣接した、ちいさな森のベンチ。
うーん、安らぐなあ。


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山の上ホテル

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文化学院

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隣接の小さな森とベンチ

その正面に、当時、喫茶「マロニエ」があり、そこも歌の有力モデルらしい。
「マロニエ」は消えたが、すぐそばに「れもん」が健在だ。
アールヌーボー風な扉、19世紀の雰囲気の喫茶店だ。
ここも歌詞にそぐう風景だナ、と勝手に空想する。
その店に入ってみた。すぐの脇に、ワインが、並べられている。
パリの雰囲気のただよう、素敵な店だ。
テーブルに着くと窓のむこうに、マロニエの葉がそよいでいる。
ボブ デイランこそ聞こえてこないが、

窓の外 街路樹が美しい
ドアを開け 君がくる気がするよ
あの時は 道に枯葉が
音もたてず舞っていた 時は流れた


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喫茶れもん

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店内から、マロニエの葉がみえる


「れもん」のマスターが、ポツリ、ポツリと語る。
あの歌のモデルの店が、ここだとおっしゃる方もいるようです。
でも、多分、違うでしょう。


ラジカルな60年代から70年代、ぼくがカメラマン仲間とたむろしたのは、
このハイブロウな「マロニエ通り」の喫茶店ではなく、
「さぼうる」や、「ミロンガ」など、「すずらん通り」裏の、狭いロッジ風な喫茶店が多かった。


時は流れて、
お茶の水駅に向かう帰途、「かえで通り」に出た。
賑やかな通りで、スタバなど、リーズナブルな新しい喫茶が、いくつか出来た。
全面ガラスで、明るい店内で客の出入りも多い。
こういう喫茶店から、どんな詩や曲想の歌が生まれるのだろう。
それはそれで楽しみだ。
変わる時代が、街の姿や、個人の思い出を織りなす。
その懐かしさの拠り所に、
名曲があって欲しいのはいうまでもない。


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「かえで通り」の喫茶店

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コメント

はじめまして。

10年ちょい前に、文化学院通ってました。
写真の中のアーチと蔦が懐かしくて、おもわず、足跡残させていただきます。

投稿: ねねこ。 | 2010年10月18日 (月) 01時41分

ねねこ。さん

ブログ観てくれてありがとう。
文化学院は、マロニエ通りでもひときわ存在感のある建物ですね。
随分前のことだけど、トンネルのようなエントランスを抜けると、
ポカッと空まで抜ける空間があって、スカッと自由を感じたけど。

あなたは、あそこで学んだんだぁ。

投稿: ゲンゴロウ | 2010年10月18日 (月) 12時57分

なんとも懐かしい話ですね~ 私は学校は池袋(中学~大学)でしたがアテネフランセに(高校~大学時代)に通ってました。
アテネの帰りには『マロニエ』に寄ったり山の上ホテルのワインバーでフランス人の先生とワインを飲んだり、
アテネの近くの西洋館ビアホール『コペンハーゲン』でクラス仲間とビールでおしゃべりをしたり
三省堂裏の木造一軒家の『兵六』で焼酎をあおったり、『ラドリオ』でビールを飲みながら一日中本を読んだりしていました。

学生運動には興味が無く昼からビール片手に西片町や本郷森川町を散歩していると東大の安田講堂から流れてくる催涙ガスで
目が痛くなったことも有りました。

その後パリに暮らしましたが、シャンソンなどに描かれた、日本人の心の中にある巴里はお茶の水やミロンガ・ラドリオ・サボールなどのある神保町
などがぴったりと合うと思います。

今は谷根千に住み下町散歩酒をブログに書いています。
よろしければごらん下さい、これからもよろしくお願いします。


拙ブログ ↓ です。


http://blogs.yahoo.co.jp/hanakoparis

投稿: ティコティコ | 2010年12月11日 (土) 19時33分

ティコティコさん

ブログ読んでいただいてありがとう。
神保町、お茶の水周辺の情報は、随分詳しいですね。
脱帽。
パリにいらっしゃったんですか?
ぼくもパリの初体験で、夕暮れ、モンマルトルのラパンアジルあたりをぶらつき、
幻想的な雰囲気にしびれたことがありました。
学校は池袋ですか?
この返事のオペレーションをやってくれている息子が、多分同じ学校だと思いますよ。
また、ブログを拝見させていただきます。
写真がすっきりして視やすかったです。

投稿: ゲンゴロウ | 2010年12月11日 (土) 21時38分

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