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灼熱の午後、丘に、一隻の老船を訪ねて。第五福竜丸。

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第五福竜丸


八月。暑いですね。
躍動する雲の下、港はびっしりと小型クルーザーが密集し、停泊している。
その仲間に加わらず、
一隻の老船が、丘の上にいる。
1954年3月1日。南太平洋でビキニ環礁での、アメリカの水爆実験の、
死の灰を浴びた漁船だ。
静岡県の焼津港に拠点をもった、第五福竜丸。
奇禍に見舞われた、不幸な船の終着点。
今日は江東区夢の島公園内にある、その「第五福竜丸展示館」にやってきた。


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「その日、早朝、いきなりオレンジ色の光が空一杯にひろがり、黄色い閃光が走った。
 まもなく、ドドドドド、と轟音が地底から鳴り響き、船を激しく揺さぶった。
 地球にひびがはいったのか」

天変地変のような現象に恐怖したことを、乗組員だった、大石又七さんは述べている。(朝日夕刊、昭和史再訪)
2時間後、白い粉雪のようなものが、雨と一緒に降って来た。
死の灰を浴びた乗組員達は、焼けただれたように顔が黒ずみ、重篤なだるさ、歯茎からの出血、
半年後に無線長の久保山愛吉さんが亡くなり、ほかの乗組員も後遺症に苦しんだ。


船の展示館に入った。
入り口に、消毒液のようなものが置いてある。
「気になる方は、お使いください」みたいなことが書いてある。
ナナ?なんだ。
意味がわからない。
坊主頭の60代くらいの男性が、やはり消毒液を見た。
「放射能が、気になるようだったら、こんなとこ来るなよ。なあ。」
奥さんらしい人に、振り返って言った。
ウーン。
放射能だったら、消毒じゃあ、消えないから、なんのためだろうね。
久しぶりの第五福竜丸は、下から見上げるせいか、
白いペンキの躯体が随分デカくみえた。


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1961年だった、
ぼくは、サラリーマン生活の休日、焼津にでかけた。
カメラマンに転進しようとしている直前のことで、
「福竜丸と焼津」は、避けて通れぬ写真のテーマに思えた。
若かったぼくは、将来の不安だらけの
鬱屈した気分もかかえていて、カメラでそれを撥ね除けたい。
そんな思いも重なって、「焼津へいこう」
そう、思い立たったのだ。
その日、
昼過ぎだったこともあって、漁港には、ほとんど人は、いなかった。
なぜ、人がいないのかな。
あとで、
放射能禍で、マグロは廃棄させられ、焼津港全体が汚染されたかのような、心ない噂をする、
そんな風潮が続いたことを知らされた。
漁港を歩いていると、何回か来た町なのに、
萩原朔太郎の「猫町」に迷い込んだような、見たことのない町に思えた。
ぼくのカメラの捉える映像は、死や、喪失感の滲み出た、心象風景になってしまった。
寒々とした町に変わった、寂しさをいまも覚えている。


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1970年代にはいった頃、「夢の島」の廃船の捨て場に、
「第五福竜丸」が浮かんでいた。
その頃、大島4丁目に住んでいたぼくは、二人の幼い子供をつれて、
ときおり、ボール遊びの帰りに、そのそばを通った。
雑誌のグラビアで、赤瀬川原平さんを撮影することになった。
当時、赤瀬川さんは先鋭的アーチストで、千円札を使った芸術表現が、裁判沙汰になっていた。
ぼくは、グラビアの撮影現場を夢の島に選んだ。
夢の島といっても、埋め立て地でゴミの山である。
多分、闘争中の赤瀬川さんの心情も、
ここが、撮影の背景にふさわしいだろうと、勝手に推測したのだ。
その日。
廃船の捨て場に放置されている、荒廃した第五福竜丸を眺めながら、
スタッフはみな、無惨な姿になにかを感じていた。

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赤瀬川原平さんと。右上に第五福竜丸。

時間は遡るが、
第五福竜丸は残留放射能の消えたあとも、
せっせと働らき続けた。
時には、商船大学の教習の実習船として、
のちに、心臓部のエンジンは別の船に搭載され、働き続けたが、
その船は熊野灘で座礁し、エンジンは海底に沈んだ。
その、ぼろぼろのエンジンが、海中かれ引き揚げられ、
展示場の屋外広場に展示されている。
それは、まるで、墓標の並んだ姿のようにみえた。


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墓標のようなエンジン


廃船直前だった、第五福竜丸と、この波瀾万丈のエンジンも、
きちんと保存されることになってよかった。
正義と勇気ある人々が力を尽くして、展示館に収まったのだ。
やはり、船の前に立つとその存在感は、ただならぬものを思わせる。

2010年。いま。
かって、赤瀬川さんを撮影した廃船の捨て場、第五福竜丸の晒された場所。
そこは、きれいなクルーザーの繋留場所に変わった。
第五福竜丸が、メタンガスの臭う廃船置き場のここで、ゴミに
消える運命だったことは、あまり知られていない。
時間は、記憶をうすめるが、それであってはいけないと思いつつ…。


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クルーザーが並ぶ


クルージングを終え、数人の中年男性が、タオルや、小荷物を抱え、下船してきた。
「じゃあ、来週、和歌山..………」と一人が大声で告げ、仲間は、それぞれ散った。
ぼくは、ベンチに座って、しばらく体を休めた。
黒いトンボが、ぼくのサンダルに留まり、飛び立ち、また戻り、それを繰り返した。

「おい、黒ちゃん、いつまでここにくるの?
 おれが、帰れないだろ」

トンボが、飛び立ったすきに、腰をあげた。
涼風とトンボが、暑さ疲れをすこしやわらげて、ちょっぴりトクした気分だった。


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