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2011年1月

人情深川ご利益通りの夕暮れ。

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八幡堀遊歩道


六本木や湾岸など新しい時代の都市は、さまざまな悦楽の装置で、人を酔わせる。
しかし、時折、深川の門前仲町のような、素朴な下町のエキスを味わえる街に出かけたくなる。

ぼくがよく出かけるのは八幡堀遊歩道と名ずけられた、堀を埋め立てた遊歩道のような公園のような場所だ。
ちょうど、富岡八幡宮の裏手にある静かな空間で、ここで猫と遊んだりする。
妙に、気持ちの安らぐ場所だ。
なか程に、日本で最初の鉄橋といわれる八幡橋(もと、弾正橋で京橋近くにあった)が架けられ、
学校帰りの子供が、橋の中程で道草を喰ったり、買い物帰りの主婦が、橋上から猫を眺めたりして時間がゆったりと流れる。
すぐ脇には、江戸時代、有名な料亭があって、遊歩道が水一杯の堀だった頃、
舟から降りて遊客が料亭にあがったらしい。
その料亭跡の池を通り、深川不動尊に向かう。


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車の通らぬ橋を、子供が帰る

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八幡橋

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料亭のあった池


ここ成田山の別院の不動尊に門前町が並んでいる。
「人情深川ご利益通り」と名ずけられた商店街だ。
このお不動さんも商店街も昔から人々に人気がある。
煎餅屋のおやじに「おや、しばらくみえませんでしたね」などと声をかけられるのは、下町ならではのできごとだ。


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ご利益通り

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せんべい屋


そもそも、この街にぼくが興味をもったのは、
街の中心で、足袋を商っていた大野屋とういう老舗の旦那が、大正昭和と譜請道楽という、
家を造る魅力に取り憑かれ、牢屋敷のような異様な構えの家を造り続けた、という話を知ってからだ。
サグラダ・ファミリアのように、いつまでも果てしなく推敲したそうだ。
しかも五右衛門風呂で、豆を煮て近所に配ったり、野球のバットのようなすりこぎを隣人にあげたり、
奇矯な行動で、世間の評判になったのを、本で読んだからである。
その家を主人は「二笑亭」と称した。
しかし、悲劇が始まる。
あたまおかしいぞ、と家人から不審がられ、主人は精神病院に入れられてしまった。
滝沢というインテリアの店がその「二笑亭」のあった場所である。
もう、随分前だが、「朝日ウエーブ」の小川さんとふたりで、この二笑亭を調べ廻った。
世評と違うデータが現れて、驚いたことが多かった。
機会があれば、まとめてみたいが、差し障りのありそうなこともあって、資料は眠ったままだ。


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この通りを行った左手に二笑亭があった


それはともかく、人情深川ご利益通りを歩こう。
せんべいを売る店がやたら多い。
作家の山本一力さんが、店番をされたという老舗の武蔵屋は、閉店してしまったが、
「華」や「基角」など、廉価で多種類の菓子を揃えた店が健在だ。
ぼくはお不動さんに参拝に行けば、必ずこの商店街で好物の煎餅を買って帰る。
当然、もうひとつの好物の豆大福も大鳥居脇の老舗の伊勢屋で、ということになる。
家康の時代、深川にやってきた佃煮の佃定も、京つけものとぶぶ茶漬けの近為もなかなかのもの。
旅籠(はたご)と呼びたい宿屋の大喜も商店街にしっかりと根を張っている。
老舗のひしめくなかに、洋菓子(フランスで、菓子の賞をもらったらしい)のペリニイヨンで、旨コーヒーを飲む。
深川めしの店はいろいろあるが、どこが旨いのか、これには薦める自信がない。
梅花亭は、店は狭いがおいしい和菓子の店だ。


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漬け物の近為

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和菓子の梅花亭


変わったところでは、甘酒屋がある。
30年くらい前だろうか。ここでおばあちゃんが、きんつばやをやっていた。
おいしいきんつばで、評判だった。
予約し、1~2カ月、待たされたものだった。
西大島に住んでいたぼくは、よくここへ通った。
名を告げるだけで、おばあちゃんはあいよと、カルく請け負った。
メモもとらないので、心配になったものだ。
そのおばあちゃんが亡くなって、きんつばも喰えなくなった。
そのあと、縁籍のおばあちゃんがこの甘酒屋をやっている。
店が開いている日は、みな楽しげに縁台で甘酒をのみ、おしゃべりに
夢中になっている。

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きんつばのばあちゃんの店


もうひとつ、ぼくのこだわりは、俳人の園女のことである。
芭焦が、大阪で最後の句会を開いたのは、園女の屋敷でだった。
楚々とした彼女に、芭焦は一句詠んだ。

  白菊の  目に立てて見る  塵(ちり)もなし。

句会に訪れた芭焦の視界に、白菊とその先に塵ひとつない行き届いた家屋があった。
その手入れの床しさに、園女の風姿をだぶらせて、賛美した句だ。
皮肉にも、ここでの馳走が、芭焦が命を失う結果になったとも言われる。
芭焦なきあと、そのあとを追うように、芭焦の拠点だった深川に園女は移住して、ここで生涯を終わる。
園女の芭焦への想いは勝手に想像するほかないが、彼女は、なにも語らず生涯を終わる。
彼女は富岡八幡宮に36本の桜を奉納、季節には園女の桜が、
美しい風情を醸し出している。
隣接する深川公園には、その由来の「歌仙桜」の碑がある。
園女の辞世の句。

  秋の月  春のあけぼの見し空は
  夢か うつつか  南無阿弥陀仏

園女は、深川の雄松院に眠っている。


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園女、歌仙桜の碑

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園女の桜がいっぱいだ

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幻影師は踊る。

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どこかで、チャイムが聞こえる。
17時だ。
瞬間、つめたい LED  の灯りが、ざあっと、あたりの闇を破る。
この LED のバケガク的なひややかさは、一瞬死の匂いがする。

「ホホウ!」
こんな仕掛けがあるなんて、
知らなかったらしい年配の通行人の夫婦は、
瞬時に出現した氷細工みたいな幻影に軽くのけぞる。
東京ドームからJR駅に抜ける人々は多い。
遊園地は、昼も夜も面白いナ。
だが、ぼくは、乗らず、喰わず、賭けず。
孤独な、散歩者には、眺めだけが十分なご馳走だ。
遊興マシーンに興ずる若者。
ウイークデーの冬じゃあ、カップルも暖まんないナア。
場外馬券売り場も、きょうの開催は草競馬だ。
やはり、土日の中央競馬とは異なる、お父さん達のうらぶれ感がいい。


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突然の点灯だ。

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遊園地は昼の如く。


再び、LED の幻想世界。
帰宅したら悲報が届いていた。
城内惠子さんの急死のしらせだった。
彼女は城内実議員の縁戚にあたる人だ。
じつは、わたしの実家が公共事業のため転居を余儀なくさせられていた。
書けばキリのない程、これには難問が待ち構えていた。
彼女は、ふらりとわれわれの前に出現し、あらゆる問題に解を与えて去った。
まるで、そのためだけの使命をもったかのように。
住まいが消滅し、また誕生する。
その面倒なすべて。
時期、条件、タイミング、あらゆる難問は彼女の振るタクトで、ハーモニーのなかに溶けた。
新しい住まいは、幕末から居をかまえた先祖の土地にちかく(祖先の土地は子孫が、友人の保証人となって失った)
そして、そこは父が住まうチャンスを逃した痛恨の思いの残る地域でもあった。
子孫は、彼女のアレンジでその「約束の地」へ戻ることになった。
家屋の問題だけではなく、家族の抱える難問も氷解への道筋がついた。
これら難問の解決を願いながら、
未解決のまま死んだ父が、城内さんを駆使しながら奔走し、
すべて「終了!!」と宣言して去ったかのような、明快な解だった。


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悲報が届いていた。

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2日前、(亡くなる当日だったと思われる)彼女から電話があった。
用件のついでに、
病む妹の処遇について私の考えるひとつの案を示し、彼女なりの判断を訊ねた。
「それが一番、良い方法だと思いますよ」
シンプルな一言だったが、
これも、ぼくは亡父のメッセージと読み取った。

城内惠子ーーー
それは、わたし達の前に現れた幻影だったのかもしれない。
そうであるならば、お父さん。
あなたは、わたしたち兄弟姉妹のしあわせのために演じて去った
彼女を操る、幻影師だったのではないですか。
ネ。
そうだったんでしょ?

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目白通りから、関口芭蕉庵まで、ぶらり散歩。

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民家のウインドウ

道路沿い、民家の飾り窓から、花が通る人に微笑している。
目白通りは並木道だけに、ショウウインドウに映る、木々の模様が、お洒落なムードを醸し出す。
品がよく、由緒正しい風景が残っている街と言えば、
いま散歩している目白通りも、そのひとつだろう。

日本女子大あたりから、江戸川橋方向に向かう。
直線の続くこの道は、学習院や川村学園も含めて学生街だけに落ち着いた環境なのがいい。
Tさんが、学生時代に印象的だったというデザイナーの水野正夫さんの喫茶店も健在だった。

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学生の多い、目白通り

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水野正夫さんの喫茶


いまは、新しい都市は、店舗もコンビニに集約されるように、
ほとんどが衣類や食事の店舗に変わってしまった。
だから、このあたりに、子ども靴のオーダー専門の店や夢路とよぶ画廊や、古い酒屋などめっけると、
なんとなく散歩が楽しくなってくる。

ふと、柄になく、ポエテイックなイメージが湧いてくる。
ランボーの、「わたしは、星と星に綱をかけて、そこでブランコをするんだ」という詩の一編などが浮かんでくる。


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子供靴の手ずくりショップ

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画廊、ゆめじ


あれ、目白の田中邸はどこだったかな。
聞いた。
「あそこよ、真紀子さんちでしょ。公園の隣よ。」
主婦はなんでも知っている。
角栄邸も、真紀子さんの時代に移り、一層、凛としたスゴイお屋敷になった。
隣接する公園も都会の公園らしく、おしゃれで、楽しそう。


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公園、右手に真紀子さんち


さて、銀色のステルス戦闘機を思わせる、東京カテドラルにしばし、見とれる。
通りすがりの若い外国人の牧師さんがやさしい視線を投げてきた。
アラフォーの女性が、広大な敷地のなかでたったひとり、ベンチで文庫本を読んでいる。
静かなるハイ、ヌーンだ。

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東京カテドラル


講談社野間記念館のてまえを右に曲がる。
このあたりは目白台。
風景は一変する。
幕末か、明治か。
しばし、この界隈に佇む。
焦雨園や細川家の永青文庫が一挙に時代を遡及させる。
焦雨園は、坂本龍馬の時代と同じ、土佐藩出身の尊王の志士の田中光顕の屋敷だったところだ。
6000坪の広大な敷地で、建物の壮大さと精緻な造りには息をのむ趣があるといわれるが、
原則、非公開だ。
向かいの永青文庫は、細川家のコレクションの国宝、重要文化財の展示をしている。


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蕉雨園界隈

更に進み、関口芭蕉庵と水神社に囲まれた、胸突き坂の急勾配をくだる。
このあたりで、神田上水の工事に携わった芭焦が彷彿として目に浮かぶ。
工事の4年間、芭焦は、ここに住んだ。

芭蕉庵の隣り椿山荘の一角にこれまた古風な二階が窺える。
撮影していると、
近くにいた老人が、「五慶庵」というんだ、と教えてくれた。
東急グループの創設者、五島慶太の所縁の建物なのだそうだ。
京都の二条城の前にあった三井邸を買い取り、移築したらしい。
「戦後の経営者は凄かったな、ヤツは強盗慶太とよばれたんだよ」
アっハッハッと、老人は豪快に笑った。
このあたり、まだ一月十日なのに梅が奇麗に咲いていた。


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水神社。前方に神田上水

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関口芭蕉庵

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椿山荘、五慶庵

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梅は満開。江戸川公園

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赤い鳥、小鳥。童謡の街、目白

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都会の夕陽


都会の「夕焼け」は、故郷をすてた身を、そぞろ抒情に誘いこむ。
薄赤い曼荼羅の空には童謡が、いくつも浮かびあがってくる。
赤い鳥、鈴木三重吉、とPCのキーを入れると、北原白秋、西条八十、と
ぼろぼろっと、懐かしい名がこぼれ落ちる。
西条八十の「カナリヤ」は、童謡にフランス象徴詩の手法をとりいれた、
夢幻のファンタジーを紡いだモダンな童謡だった。

 唄を忘れたカナリヤは
 象牙の船に 銀の櫂
 月夜の海に浮かべれば
 忘れた唄を思い出す


これは、
三重吉の童話童謡誌「赤い鳥」に発表され、新鮮な感覚の童謡に人々は驚いた。
その、三重吉ゆかりの「目白」に出かけた。
三重吉の住んだあたりや、「赤い鳥」編集部のあった森の目白庭園などを散策した。
木々が手を振り踊っている。
まるで森の精がタクトを振っているかのよう。
このあたり、静かな住宅街である。
街を絵本にしたような風景にも出会う。
フシギな着物屋さんがある。


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目白庭園、森だった頃、赤い鳥編集部があった

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赤い鳥社、鈴木三重吉宅跡

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乱舞する木

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着物屋さん


 金襴緞子(きんらんどんす)の帯しめながら
 花嫁御寮(はなよめごりょう)はなぜ泣くのだろ
 ー蕗谷虹児(詞)杉山はせを(曲)ー

「貝の小鳥」というお店は絵本の古本屋さんである。
絵本のような家もある。
ファンタスジック。

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絵本の古本屋、「貝の小鳥」


そういえば、ここは若かりし頃の紀子様と宮様の夢のデートの街だ。
「そこの、志むらにもいらっしゃったの」
和風の喫茶店があった。
ファミリーマートの店員のおねえさまが教えてくれた。

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喫茶「志むら」

ぼくのこころを揺さぶる風景は、丁度、学習院のキャンパスの切れるあたり、
鬼子母神に近い、橋の上から電車を眺める風景だ。
坂をりきみながら、電車がのぼってくる。
夕陽に追われ、帰途を急ぐかのように。

 あかい夕日の てる坂で
 われと泣くよな ラッパぶし
 みなし児~白秋

なぜか、幼児のぼくが無口な父に手をひかれて、
眺めたイメージがここだったかのように目に浮かぶ。
本当に見た風景は、故郷の田園を走るチンチン電車の風景だったのに。


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JR目白駅

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学習院

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夕方を急ぐ、都電

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こんな時代の疲れには、盧花恒春園の樹々が効く。

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盧花恒春園の竹林


朝日新聞の何処かでみかけた。
「この猛暑も、みんな政府のせいにされ」みたいな川柳だった。
笑った。
やること、なすこと、ボコボコにされているいまの政治だ。
電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなあなたが悪いのよ、というわけか。
そう、みんなあんたが悪いんだってよ。
政権を担えない連中も悪口と批判の垂れ流しで、国がどうなろうが知らん顔だ。
どいつも、こいつもミッション(使命感)なんて、もってないもんね。
そんなことを考えていたら、胸くそが悪くなった。
ああ、疲れた。

反射的に、すがすがしい風景に浸りたくなった。
明治の文豪、徳冨盧花の残してくれた7万平方米の自宅跡の
「盧花恒春園」にムショウに出かけたくなった。
竹林や、武蔵野の匂いのするふところに抱かれて、
盧花の抱いたミッションを噛みしめたくなったのだ。
盧花は、弱者への深い思いを抱くトルストイに心酔した。
遠く厳寒の地にトルストイを訪ねたこともある。
かれらは、生まれながらに人道主義の明確なミッションを
もっていたような気がする。
自然と人生の調和も盧花の主題だが、「勝ちのかなしみ」という
論旨で、ナポレオンなどの勝利者の胸に去来する悲哀を論ずるなど、
深い人間省察で当時の若者に感銘を与えた。

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盧花居室

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芦花公園、竹林

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盧花公園、紅葉

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居室


ぼくは高校生の時、ナチの強制収容所で死の淵まで体験した心理学者の
ヴィクトール、フランクルの「夜と霧」を読み、感動した。
「どんな絶望的な状態に陥ろうが、何処かできみを必要とする人が待っている。
だから、絶望の淵に立たされても、あきらめてはいけない」という意味のことをフランクルは述べている。
ウーム、「自分を必要とする人間が必ずどこかで待っている」と信じることか。
これも難しいことである。
しかし、この絶望的状況でも、それが自分のミッションだ、と信じ耐え抜いた人がいた。
事実、親族、友人のほとんどが死に絶えたなかで、かれを待ち続けた奥さんと奇跡的な邂逅を果たしたという。

恒春園の林のなかを歩きながら、盧花やフランクルが願ったことについて
いろいろ考えてみた。

めでたい正月でさえ、時代の暗雲に虚しい思いをすることもある。
そんな時、
芦花公園駅南口から、
ひとけのない竹林や樹木の生い茂る風景のなかを、
ぜひ盧花恒春園へ歩を運んでみてくださいネ。


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盧花邸庭

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元、ウテナ会長宅

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門前の小川の鯉

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街には大木が多い

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巨木の生い茂る屋敷

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