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人情深川ご利益通りの夕暮れ。

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八幡堀遊歩道


六本木や湾岸など新しい時代の都市は、さまざまな悦楽の装置で、人を酔わせる。
しかし、時折、深川の門前仲町のような、素朴な下町のエキスを味わえる街に出かけたくなる。

ぼくがよく出かけるのは八幡堀遊歩道と名ずけられた、堀を埋め立てた遊歩道のような公園のような場所だ。
ちょうど、富岡八幡宮の裏手にある静かな空間で、ここで猫と遊んだりする。
妙に、気持ちの安らぐ場所だ。
なか程に、日本で最初の鉄橋といわれる八幡橋(もと、弾正橋で京橋近くにあった)が架けられ、
学校帰りの子供が、橋の中程で道草を喰ったり、買い物帰りの主婦が、橋上から猫を眺めたりして時間がゆったりと流れる。
すぐ脇には、江戸時代、有名な料亭があって、遊歩道が水一杯の堀だった頃、
舟から降りて遊客が料亭にあがったらしい。
その料亭跡の池を通り、深川不動尊に向かう。


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車の通らぬ橋を、子供が帰る

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八幡橋

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料亭のあった池


ここ成田山の別院の不動尊に門前町が並んでいる。
「人情深川ご利益通り」と名ずけられた商店街だ。
このお不動さんも商店街も昔から人々に人気がある。
煎餅屋のおやじに「おや、しばらくみえませんでしたね」などと声をかけられるのは、下町ならではのできごとだ。


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ご利益通り

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せんべい屋


そもそも、この街にぼくが興味をもったのは、
街の中心で、足袋を商っていた大野屋とういう老舗の旦那が、大正昭和と譜請道楽という、
家を造る魅力に取り憑かれ、牢屋敷のような異様な構えの家を造り続けた、という話を知ってからだ。
サグラダ・ファミリアのように、いつまでも果てしなく推敲したそうだ。
しかも五右衛門風呂で、豆を煮て近所に配ったり、野球のバットのようなすりこぎを隣人にあげたり、
奇矯な行動で、世間の評判になったのを、本で読んだからである。
その家を主人は「二笑亭」と称した。
しかし、悲劇が始まる。
あたまおかしいぞ、と家人から不審がられ、主人は精神病院に入れられてしまった。
滝沢というインテリアの店がその「二笑亭」のあった場所である。
もう、随分前だが、「朝日ウエーブ」の小川さんとふたりで、この二笑亭を調べ廻った。
世評と違うデータが現れて、驚いたことが多かった。
機会があれば、まとめてみたいが、差し障りのありそうなこともあって、資料は眠ったままだ。


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この通りを行った左手に二笑亭があった


それはともかく、人情深川ご利益通りを歩こう。
せんべいを売る店がやたら多い。
作家の山本一力さんが、店番をされたという老舗の武蔵屋は、閉店してしまったが、
「華」や「基角」など、廉価で多種類の菓子を揃えた店が健在だ。
ぼくはお不動さんに参拝に行けば、必ずこの商店街で好物の煎餅を買って帰る。
当然、もうひとつの好物の豆大福も大鳥居脇の老舗の伊勢屋で、ということになる。
家康の時代、深川にやってきた佃煮の佃定も、京つけものとぶぶ茶漬けの近為もなかなかのもの。
旅籠(はたご)と呼びたい宿屋の大喜も商店街にしっかりと根を張っている。
老舗のひしめくなかに、洋菓子(フランスで、菓子の賞をもらったらしい)のペリニイヨンで、旨コーヒーを飲む。
深川めしの店はいろいろあるが、どこが旨いのか、これには薦める自信がない。
梅花亭は、店は狭いがおいしい和菓子の店だ。


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漬け物の近為

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和菓子の梅花亭


変わったところでは、甘酒屋がある。
30年くらい前だろうか。ここでおばあちゃんが、きんつばやをやっていた。
おいしいきんつばで、評判だった。
予約し、1~2カ月、待たされたものだった。
西大島に住んでいたぼくは、よくここへ通った。
名を告げるだけで、おばあちゃんはあいよと、カルく請け負った。
メモもとらないので、心配になったものだ。
そのおばあちゃんが亡くなって、きんつばも喰えなくなった。
そのあと、縁籍のおばあちゃんがこの甘酒屋をやっている。
店が開いている日は、みな楽しげに縁台で甘酒をのみ、おしゃべりに
夢中になっている。

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きんつばのばあちゃんの店


もうひとつ、ぼくのこだわりは、俳人の園女のことである。
芭焦が、大阪で最後の句会を開いたのは、園女の屋敷でだった。
楚々とした彼女に、芭焦は一句詠んだ。

  白菊の  目に立てて見る  塵(ちり)もなし。

句会に訪れた芭焦の視界に、白菊とその先に塵ひとつない行き届いた家屋があった。
その手入れの床しさに、園女の風姿をだぶらせて、賛美した句だ。
皮肉にも、ここでの馳走が、芭焦が命を失う結果になったとも言われる。
芭焦なきあと、そのあとを追うように、芭焦の拠点だった深川に園女は移住して、ここで生涯を終わる。
園女の芭焦への想いは勝手に想像するほかないが、彼女は、なにも語らず生涯を終わる。
彼女は富岡八幡宮に36本の桜を奉納、季節には園女の桜が、
美しい風情を醸し出している。
隣接する深川公園には、その由来の「歌仙桜」の碑がある。
園女の辞世の句。

  秋の月  春のあけぼの見し空は
  夢か うつつか  南無阿弥陀仏

園女は、深川の雄松院に眠っている。


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園女、歌仙桜の碑

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園女の桜がいっぱいだ

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ブログを見るのをとっても楽しみにしています☆これからも楽しく読ませて頂きますね(*^_^*)

投稿: 費用対効果 | 2011年1月30日 (日) 12時17分

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