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2011年2月

韓流、新大久保、アニハセヨ。

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アニハセヨ。
韓流ブームに湧く新大久保は、女性の群れでムンムンだ。
このムンムンの人いきれのなかで、懐しいいふる里的感触を思い出す。
化粧品店の前を行きすぎる。
店頭に韓流スターらしき、若者のポスターが。
その向こうに、なにやら お好み焼きみたいなものをパクついている少女。
カメラをさっと右手に掴み、スタンバイ。
そこへ、

「おにーさん、写真ダメヨォー。」韓流おばちゃんの声あり。
「なんだよォー、まだ撮ってねえじゃん。チェック早すぎねぇー?」

それにしても、おにーさんッて冗句、アニハセヨってこと?。

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ここは、JR新大久保駅を起点に大久保通り、明治通り、職安通りに囲まれた台形ゾーンで、
住民の2~3割りが韓国、東南アジア、中近東、南米、ロシアなどの外国人の密集地帯といわれていた。
いた、というのは、10数年前のぼくの取材でのデータで、外国人のほか浮浪者もいたり、
風景は、いまと全然違って、やや不穏な空気すら漂わせていたのだ。

当時、この一角で、40年も靴の修理をしていた70才位の川崎さんに、
この町は、なんでこんな変わった町になったのかねえ、と訊ねたら、

「気がつけば、こういう町になっちゃった。
 新宿が近いから、そこで稼いでいるヤツらのネグラが多いんだ。
 いろんな国の習慣や、文化の違いがあるからねえ、折り合って
 いくのは、大変だよ。」

と話していたが、

「だがこの町のいいとこは、女の子たちがやさしいこと。
 家族のためによその国から働きにきている子が多いから、貧しいけど純粋だぁね。
 タイの女の子が、ここへよく来たよ。
 17~8才の子どもで、稼ぎはみな家に送金していた。
 寂しい、寂しいって、よく、片言の身の上話を聞かされたよ。」

フーン。
ここは、最初は、蛇頭とよばれた中国のあぶない奴らもいたと聞いていたが、

「いまはあまりもめごとも起こさないし、ワルはいないねえ」と、川崎さん。
「やっこさんたち信心深いよね、
 まあ、おおきなルーテル教会なんて人がはいってるよ、
 それにアパートひと間の教会なんてあるからね。
 信心はいいよなァ。」

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アニハセヨ。
ヨン様ブーム以降、韓国系の店は、一挙に増えた。
この町は、多国籍の町から、コリアタウン一色に変わった。
韓流の食べ物屋に並ぶ女性達は、少女からおばさんまで、皆華やいでいる。
どこを覗いても、韓流、韓流だ。
店から流れ出る匂いは、とても芳しい。

アニハセヨ。
最初に、述べた、この町で女性達に感じたある印象を話そう。
ここでは、
下町にたむろする、女性たちに似た、
懐かしい、カンツリーガールの匂い、おだやかで、
和みのようななものを感ずるのだ。

アニハセヨ。
それにしても、よその国の食べ物、文化、人間ゼンブに惚れ込んで、どっぷり漬かるっちゅう恍惚、
ちょっとほかの国ではみられまい。
むかし昔、福生や、ヨコスカでジャズとアメリカ文化に浸った、やや敷居の高さのある交流とは違う、
同じ根の祖をもつ、どろっとしたアジアの親近感がここに漂っている。


川崎さんを探して歩いたが、場所を変えたのか、どこかへ行ってしまったのか、会えなかった。

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猫町、幻想。

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猫町にはいる


萩原朔太郎の短編に「猫町」という作品がある。
旅人が猫達の構成する町に迷い込むというフシギな設定だが、
この物語をモチーフに、町の一角を猫町として幻想化する試みが、あちこちにあるそうだ。
そのひとつを覗いてみた。

どうせ、この不況のなかでの商店街の苦策だ。
お金もかけられないので、そうたいそうな仕掛けができるわけではないが、
その試みの熱意にこちらも乗らなければ、仁義にもとる。
できるだけ、猫町幻想に溺れてみようと思った。
それが、この数点の写真である。
フシギな建物、覗く猫や、ひそひそ囁く猫。
なぜかナマの猫は、一匹もいない。


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そもそも、猫は、犬などと違って不可解な動物である。
大半の人が、それぞれの猫体験をもっている。
猫というものは、
人間に媚びるし、従順を装うが、それは瞬時でしかない。
いつしか、あの金色の怪しげなマナコを光らせ裏切りを始める。
その魔性の生態は、多くの物語を産んだ。
ぱっと思い出しても、
「長靴をはいた猫」「鍋島猫騒動」「猫と庄三と三人のおんな」……
フシギ猫の、物語はいくつかすぐ、浮かんでくる。

久世光彦さんのエッセイを読んでいて、「猫町」の源流のような小説に出会った。
19世紀初頭、イギリスのアルジャーノン・ブラックウッドによって書かれた「いにしえの魔術」という物語だ。
主人公のアーサー・ヴェジンは、都会の喧噪に疲れていた。
ある日、山間ののどかなちいさな駅に降り立つ。
そこは、一世紀程昔に取り残されたような、古い町だった。
その町のたたずまいや、もの静かな人々の動作や会話にヴェジンはすっかり気にいってしまう。
心地よい弛緩。
たぶん、それは、燐光を放ち、秘薬の匂いが漂ってくる二幕目への序章だっだのだろうが。

2日、3日と経つうちに、かれは少しずつ首をひねるようになる。
この町の住民は、足音をまったく立てない。
なぜかジグザグに歩き、まるでそこえ行かないようなふりをして、突然、小径に走り込む。
……はじめは、奇異に感じていた住民の挙動動作にいつのまにかヴェジンは
親近感を抱きはじめる。
これから、なにかが起ろうとしたり、
起らなければおかしいというという気配に、ぼくは不安を覚えるてくる。
このあたりから物語はだんだん怖くなる。
ヴェジンは自分も町の人と同じ動作をしたくなる。
そして、なぜか、
いくら抑えようとしても、のどから奇妙な声が出そうになってくる。

ーーーそしてある夜、かれは町の道路や屋根を走って、
無数の猫達が、ヴェジンの宿の大ホールに集まってくるのを見た。
かれの目に浮かんできたのは恐怖ではなく、
たまらない懐かしさだった。
かれはとうとう、猫の声で叫んだ。
無数の猫達が、一斉にかれの方を振り仰ぎ、おなじ声で啼いた。ーーー

夕暮れ近くなった、山間の駅。
青梅発東京行きの電車に、ぼくはぐったりとして乗り込んだ。
気ずけば裏山が、巨大な黒猫の背中を思わせた。


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これでいのだ。青梅に赤塚不二夫会館があっても。

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青梅の赤塚会館

TVコマーシャルには、何度繰り返してみても、思わず笑ってしまう作品がある。
好きな、まつけんの起用だったが、赤塚不二夫の「レレレのおじさん」を使ったCMは、
残念ながら、ぼくにはハズレだった。

赤塚マンガのなかでも、リアルなキャラとは、ぼくにとっては、まずレレレのおじさんだった。
故郷に、それズバリのおじさんがいたからだ。
レレレのみならず、昭和という時代には、キャラ立ちしたおじさんが、
町や村にたくさんいて、笑わせたり、悩ませたり、うんざりさせられたり、大変だったのだ。

都市の町はずれの、川べりのぼくの家の、そばには、10軒ほど連なった、長屋があった。
そこの一軒には、「ばくろう」とよばれた、牛馬の売買をするおじさんがいた。
日焼けしたいかつい顔だったが、やさしい人だった。
「おでかけですか、レレレのレーッ!!」だ。
おじさんは、頭にはちまきをし、酒の一升瓶をぶらさげ、抜けた歯を、
むき出しにしていつも楽しそうに笑っていた。
近隣の農家から依頼された馬を曳いて、1年近く東北の方に売りに歩くという生活だった。
時には、出たきリ3~4年も戻らないこともあった。
おじさんの家庭は、三人の女性が、次々におじさんに連れらて来て、また去り、
その母の違う子供達とぼくは、よく遊んだ。
おじさんは、ある日、馬を曳いて出かけたきり、戻らなかった。

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レレレのおじさん

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ばくろうおじさんの長屋があった

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レレレの像


赤塚不二夫のことから、つい自分の体験に話が脱線してしまった。
きょうは、青梅の赤塚不二夫会館にきたのだが、
ぼくは、1回だけ、赤塚を取材したことがあった。
なにせ、はっきり覚えていないが、三角地のようなところに建てられた
2~3階建ての赤塚の家で、屋形舟のような感じの広い畳部屋での取材だった。
雑誌社からの、いってこいの取材だったし、その頃は赤塚まんがに興味もなかったので、
ライターに、取材を任せ、写真だけを撮っていた。
最初の名刺交換で、ぼくのちいさな活字の名刺をみて、
赤塚は、「あんた、こんな字がちっちゃいと、キャバレーじゃ、読めないよ」
といって、ばかデカイ字で印刷した自分の名刺を渡し、
「ホレ、これと同じにしなよ。暗くてもはっきりわかるからサ」
といった。
思わず、みんなが吹きだした。


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会館には、こんなコーナーもあるのだ

ぼくの次男は、小、中学生の間、赤塚まんがに没入していた。
電話帳のように厚い「赤塚不二夫1000ページ」は、読み込んでボロボロになっていた。
そんなに、面白いのか?
ぼくも、デイック・フランシスに溺れて全巻繰り返し読んでいたから、
かれの心理はわからなくもない。
いまにして思えば、この赤塚の神髄を先取りしていた次男がうらやましい。
あの時、赤塚に惚れ込んでいたら、
たしか、取材の時、猫がいたから、
赤塚と菊千代(猫)との劇的なやり取りも、興味深く、観察できたかもしれない。
妻の真知子が撮った赤塚と猫の映像が残っているらしい。

赤塚が、菊千代(猫)に話かけている。
「お前が死んだらね、凄く可愛いアメリカン・ショートヘアを飼うの。
 だから、早く死にな」
とたんに菊千代は、赤塚に噛みつく。
「なに、ここにいたいの?じゃ、可愛いワンちゃん飼うよ。ワンちゃん」
菊千代は怒って、赤塚をひっかいて逃げてしまう。
赤塚は、動物と話ができるのだ。
(武居俊樹 著。赤塚不二夫のことを書いたのだ!!!文芸春秋刊)


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菊千代の像もあるのだ


赤塚の対談集も面白い。
特に女性に浴びせるセクハラじみた語りは秀逸だ。
女性が、それを怒りもせず許容するのは、赤塚によほどな魅力があるからだろう。
赤塚は、満州育ちで、戦後辛酸をなめた。
赤貧、肉親の死、泥棒、いたずら、という尋常な人生ではなかった。
鳩の糞を三歳の、ジョンジョンに食べさせた。
「味はどうや」
「にがい」
デカイ野良猫を罠でつかまえた。
縄でぐるぐる巻にして、石をくくりつけて池に投げ込んだ。
2~3日後、野良猫は、ケロっとした顔で、野原を走り回っていた。
その後ジョンジョンは、「おそ松くん」のチビ太となり、不死身の野良猫は、「もうれつア太郎」
のニャロメとなって赤塚まんがに登場し、バカ道を突き進んだ。
どんな酷い目にあっても、へこたれず、ずるがしこく、みんなしぶとく生きる。
赤塚自身のこんな馬鹿話もある。
裸で尻にろうそくを挟み、雪の中を這って廻った、という。
こういう究極の馬鹿っ話には、
笑いころげながらも、吐く言葉はみあたらない。

「ただ馬鹿っったって、本当の馬鹿じゃなきゃあ駄目なんだからな。
 立派な馬鹿になるのは大変なんだ」

プレイボーイの「人生相談」で、赤塚は、若者達にそう言っている。(武居俊樹)

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トキワ荘、台所で入浴。ジオラマ山本高樹、作

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会館、館内

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乱歩、鈴懸けの道、明日館

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藤田新策、絵。江戸川乱歩、KAWADE ムック。


2月に入った寒い日。
地下鉄有楽町線の池袋駅の改札口を出て、しばらく西に向かうと、
街路樹のふしぎな配列が妙に非日常に誘い込むような道がある。
一角に、

 うつし世は  ゆめ
 よるの夢こそ  まこと

という、乱歩の言葉の刻まれた碑がある。
更にゆくと、怪人二十面相らしき館を発見した。

なんと、鉄の扉が開いている。
あたりを窺いながらそろりと邸内に入る。
あたまのなかは、すでに少年探偵団の小林少年になっている。
「ムムッ」
天井の高そうな洋館がある。


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フシギな並木道


そっと、そこを覗くと、二十面相の趣味なのだろうか青いソファが、
いままでそこに彼が座っていたかのような気配を感じさせる。
異様な眼鏡が、あって、思わずうしろをふりかえる。
誰もいない。
その館をぬけて、裏の庭をそろりそろりと進むと、
やや!!
二十面相が、盗み取った財宝を隠匿したのではないかと、
推測される黒い倉があるではないか。
土蔵の陰を覗く。

宙を歩く  白衣夫人や  冬の月      乱歩

重く沈黙した、この秘密めいた建物になにが秘められているのか?

「20万冊の資料が、そこに入っています」
うしろから突然、声をかけられた。
スリムな女性が、書類を抱えそこに立っていた。

ちょっと、ふざけた筋書きにしてしまったが、大体、そんな感じで、
入り込んだ江戸川乱歩邸は、
今は立教大学江戸川乱歩記念の「大衆文化研究センター」として公開され、
彼女はその研究員の方のようだった。
来訪者はぼくひとり。
人の気配のない屋敷に入り込んだために、彼女の後ろからの出現には、
ドキリとさせられた。


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乱歩邸

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乱歩邸、応接間

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メガネのかずかず

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フシギな蔵があった

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乱歩、収集品など


次に進もう。
若者には馴染みがないだろうが、こういう青春ソングがある。

友と語らん
鈴懸けの径(すずかけのみち)
通い慣れたる まなびやの径
やさしの 小鈴 木陰に鳴れば
夢は帰るよ 鈴懸けの径       
(灰田晴彦 詞、曲 灰田勝彦 歌)

立教大学の構内にきれいに並んだ鈴懸けの並木道がある。
いまは、枯葉の散る寂しさだが、学生たちが急ぎ足でこの長い並木道を行き来する。
歌のモデルは立教に学んだ勝彦の散歩したこの並木道だ。
ぼくの次男もここに学んだ。
わが子の学生時代の日々は、親の目からは空白の時間である。
ふと、学生の群れの中に、過去の記憶が混じり、次男の姿を追ったりする。

この歌には面白いエピソードがある。
ハワイに渡った灰田一家だったが、父を亡くし納骨のために灰田兄弟は来日した。
そして、再びハワイに戻ろうとしていた。
その帰国前夜、ふたりは泥棒にパスポートをはじめ、すべて盗まれてしまった。
やむなく、日本に腰を据えることになった兄弟がハワイアンバンドを組み
この曲を兄がつくり、弟が歌い、ヒットさせた。
まさに不運が一転、幸運を産んだという話だ。
鈴懸けの歌碑が並木道の傍らにある。
美しいメロデイが、音もなく耳に流れてくる。

やさしの小鈴   木陰に鳴れば
夢は帰るよ   鈴懸けの径

兄弟はすでに亡い。


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鈴懸けの道

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立教大学あたり

そこから20分ほど歩くと、自由学園の「明日館」(みょうにちかん)がある。
教育の理想をめざした羽仁もと子、吉一さん夫婦のいろいろなご苦労をここで偲ぶことができる。
建築はフランク・ロイド・ライトの設計で、アールデコのデザインが楽しい。
孫の羽仁進さんが少年時代、自由学園の登校前、雑木林の道で
蟻が列をなして林の中に消えて行くのを追って、いつも遅刻した。
しかし、その好奇心を大切にさせるため、先生はいつも遅刻を咎めなかったという。
ぼくは、進さんに取材でその話を聞き感動、幼児だった長男に、
衝動的に自由学園の通信教育を学ばせたことがあった。
まったく、粗忽な教育パパだった若気に、いまでも恥じ入ることだらけだ。
しかし、1921年学園創立時、
「みずからを、教育しようとする、少年少女よ来れ」と、もと子さん達のよびかけた、
鮮烈な革新性には、いまだにぼくはしびれている。


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自由学園、明日館

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明日館

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明日館傍の、ティールーム、シャトレ

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