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2011年5月

五月みどりの風。 根津、谷中。

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喫茶『乱歩』猫のホスト

五月の爽やかな風。
こんな気持ちのいい、好日は、一年でも珍しい。
写真クラブの人達と、根津から谷中、千駄木の外郭をぐるりと、散歩を楽しんだ。

言問通りをくだり、桜木通りをのぼり、初音通りに曲り、夕焼けだんだんの商店街をくだった。

ああ、おいしいものを食べ、人々と微笑をかわし、ゆったり流れる時にひたる。
贅沢な一日、
神様、ありがとう。


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うどん、釜竹

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釜竹、店内

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根津神社、乙女稲荷

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根津神社、境内

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表具屋さん

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昔、このあたり藍染川

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旧、吉田屋酒店

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甘味屋の客

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大正時代から質屋だった画廊

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谷中、夕焼けだんだんの猫

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谷中の夕暮れ。


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気分がいいから、美術館に出かけた。

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国立新美術館


六本木に出かけた。
三軌会の絵画展の案内状をもらったから。
会場は、国立新美術館で、季節も春、環境も緑が風にさわさわ。
気分は最高だったが、
やはりここでも人出が少なかった。
この美術館のデザインは、例の黒川紀章氏、
だるまの腹みたいにふくらんでカワイク、すてきな建物、
なによりぶらっと散歩するには、とてもゆったりしているところだ。

絵画展って、
いつもさっと見て過ぎるのだが、きょうは体調がいいせいかじっくりご鑑賞だ。
かなりの量の絵画が展示されていて、
全部見終わるとヘトヘトになってしまった。
面白いのもあった。
吉田照美さんの自画像もあったが、
ちょっと、いい男に描き過ぎてねーかと。
でも、じょうずだ。

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植木善三郎、絵

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高橋富美江、絵

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堀川いさ子、絵

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滝浪文裕、絵


この三軌会の会長の森田一男さんは、ボクの昔からの友人である。
ボクより年長だが、いつも、ぼくは森田さんの絵にケチをつける。
かれの作品は、おだやかな風景画が多いせいで、ボクの好みではないからだ。
二人でいつも口角泡をとばせて、論争になるが、
人格者の森田さんは、ゆったり、いつもボクをあしらっている。

だが、今回の絵は、いつもとゼンゼン違う。

「お!」

画伯!!
今回は、絵が火を噴いていた。
タイトルが「ジハード、自爆する男」だ。

「エ!?%$#………」

こんなモチーフで描いたのは初めてじゃん。
絵の出来は、素人のボクには、論評できないが、このところ
なにかと萎縮しがちなボクには、森田さんのこの変貌ぶりは、ドカン!ときた。
この、元気!!
この、暴走!!
こりゃあ、負けちゃあいられないぞ。
控室で、会長さんは、新聞記者の取材を受けていた。

「おう。ひさしぶり、あとで来てェ」

あとでいくと、また別の社の取材を受けていた。

「森田さん!凄いじゃん!」

横から不躾に口を挟み、
火を噴いてることに感心したと、だけ伝えて帰ろうとすると、

「ホントォ?」(……いつも、ケチばっかりつけるのになア)

と思ったかどうか、知らないが、
寺尾聡のコマーシャルみたいな顔して、ニッと、笑い、手を振った。


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「ジハード、自爆する男」森田一男


ロビーに出ると、西洋人の5~6人ほどのグループをみつけ、ちょっと安心する。
コーヒーをすすりながら、まわりを見渡す。
もの思いにふける女性をみつけ、ぼんやり眺めていたが、
ボクは視線に気ずかれたのを折に席を立って、すこし森を散歩する。


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外人がいた

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もの思いにふける女性

この六本木周辺は、もう黄色に変った、ボクの青春のアルバムのなかに懐かしい。。
ボクのアルバムは、ジャズ喫茶や、バーなど、気の利いたエリアではなく、
へんてこりんなところが多かった。

星条旗新聞社の前にあった西洋道具屋の埴生商店には、毎日いりびたっていたし、
食事の世話までしてもらった。
奥さんの手料理の「ラザーニア」は、グンバツの味だった。
「輸入もののレンジでないと、火力が弱くて、おいしく焼けないの」
奥さんはそう言っていた。

いろいろ西洋の、道具や家具の知識もそこで教えられ、
ウエスチングハウスやG.E の中古を買い込んで、かみさんに叱られたのもその頃だ、
防衛庁前のラーメンの天鳳にも通いつめた。
今日、帰りがけ、あいさつだけと店を覗くと、
客は、そこそこはいっていたが、
おやじは、「ミッドタウンにやられてるよ」、と客の減ったのを嘆いていた。
東京ラーメンの、大八は、つぶれ、ボロボロの店だけ残っている。
もう、すっかり主役はミッドタウンに変わった。

貧乏人のボクにはふさわしくない街だが、
ここへくると、
ちょっぴりボクの贅沢で、トラットリア、ナプレで食事し、
メゾンカイザーでパンを買う。


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東京ミッドタウン

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佃の沈みかかった舟。

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K君、その後、どんな調子ですか。
若いK君の、ひきこもりを心配しつつ、ふと、振り返れば、
ボクも東日本大震災のあと、心身ともに変調をきたして腑抜けのようになっていた。
まず、ものごとに執着する気持ちが薄れた。

病院に出かけたら、A 1c もクレアチニンも滅茶苦茶な数値ですよ。

「からだ、どうすんですか」

と、医者にも、文句言われた。
なんか、深刻なありさまのようだが、
人ごとのような出来事に思える。
家にゴロゴロしている。

奥で、かみさんがなんか言っている。
ボクはこう答える。

「なんにも欲しくないよ」
「任せるよ」
「動きたくない」

この2カ月、反応は、この3つのパターンになった。
からだが、自立性をなくした。
腹痛や下痢が襲う。
K君に、えらそうな顔をしていたかもしれぬが、いま、自分が自分の統治能力を失しなっている。
欲しいもの、見たいもの、やりたいこと。
すべてが薄いヴェールの向こうに、かげろうのように遠い。

まずいぞ。

なにか
ひとつひとつ、執着できるものを、瓦礫のなかから掘り起こさなければネ。
いまやっとこ立っているのに、チョッピリ風でも受けたら、ボロボロに崩れそうだ。

ふと、考えた。
記憶喪失者のことである。
突如、記憶を失った男は、自分はなにものか、どんな欲望や、目的をもっていたのか
懸命に探そうとするだろう。
そんな迷子の状態に自分も陥ったように思えてきた。

うーん。
これが、空虚っていうやつか。
ヤバイぞ。
すこし動いてみよう。
とりあえず、あてもないがバスに乗ってみた。
そのとき、

「そうだ、佃にいってみう」

と、ピピっとひらめいた。

ぼくの生家は、いま話題の浜岡原発から30キロ程先にあるちいさな町の小川のほとりにある。
少年時代、その川を上って田畑の耕作に急ぐ、「べか舟」の人の姿をよくみかけたものだ。
川べりには、佃の堀のべか舟のように、沈みかかった舟がいく艘か見受けられた。
ぽっかりと空洞化した気分には、
こういう時を超えたた風景は、瓦解した気持ちに馴染むものだ。

佃で、ゆったりと午後の時間が流れた。
べか舟のみならず、
芝居の書き割りのような、この町のたたずまいにボクは吸い込まれていた。

そして、
この潤沢な癒しの時間を費やして、すこしボクは元気を取り戻したみたいに思えた。


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根岸。子規、羽二重団子、三平堂。

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汽車過ぐる....


汽車過ぐる あとを根岸の夜ぞ長き 子規


根岸は、JRの鶯谷の駅の前にある街である。
上野の山から、ストンとズリ落ちたフラットな地形だ。
駅前に立つと、いきなり密集した商店街が迷路のように包み込む。
うろうろ、きょろきょろしていたら、交差点で元気のよさそうなおばあさんを見つけた。

「子規と三平と団子やに行きたいんだけど」

と訊ねたら、

「ホイキタ、みんなおんなじあたりだよ。ついてきな」

と、切れ味がいい。
そして、さっさと先にたって歩いていった。
悪いね、案内してもらっちゃあ、と恐縮したら、

「なに、わたしんちは、三平の裏だから」

こりゃあ、ハナっからいいおばあちゃんに会ったわ。
ついてる。

しばらく歩くと、ラブホだらけの狭い道にはいった。
ギンギン、ギラギラ……
古い歴史のある町なのに、いきなり、ギンギラの建物がひしめく、一角だ。
こりゃなんだ。

「外国みたいだろうがね。」

おばあちゃんがつぶやいたが、おばあちゃんの言いたげなホンネのニュアンスは、
なんとなく判った。

「このあたりは、加賀の屋敷跡だったんだよ。
 こんなんなって、殿さんも泣いとろう」

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この横町の先に子規邸


すぐ、その近くに子規の家があった。
子規も、泣いてるかな。
おばあちゃんは、

「ここが、子規、右手の書道会館の裏が、落語の三平、そこから左に
 ゆくと、羽二重団子だよ。」

簡潔に説明し終わると、ちょっこっと左手を振って、すたすたと彼女は去って行った。

「おばあちゃん、ありがとね。」

大きな声で、その背中にお礼を言った。

子規の住んだ家は、加賀の屋敷の一角にあるこじんまりした借家で、
裏庭には、へちまが植えられていた。
肺を患っていた子規のため、薬用に妹の律が植えたものといわれる。
子規といえば、終生、この業病との闘いだった。
この家で病と闘いながら、俳句の道に精進し、弟子や友人が繁く出入りした。

「戸を推すと、戸につけてある鈴がチリリンと鳴って、
 玄関の障子があく前に、必ず主人の咳を聞くことであろう。」
と、虚子は述べている。

子規は、業病を抱えていただけに、せめてもの、食への執念が強かったのかもしれない。
近くの店の羽二重餅をよく食べたといわれる。
甘いものが好物だったのかなあ。
子規は、明治21年22才の夏休みを、向島の長命寺の桜餅の店の二階で過ごした。
これも、甘い餅の店だ。
その時、店のおろくという美しい娘に恋をしたと噂された。
だが女性には、不器用だったのだろう。
華やいだエピソードには、恵まれなかった。
10年後、再びかれは向島のそこを訪れたが、おろくは嫁ぎ、会うことは叶わなかった。
子規は、土手にあがって隅田川の夕景を、しばらく眺め続けた。

葉隠れに 小さし夏の桜餅   子規

その時、うまれた句だ。

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子規邸

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子規邸

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子規邸の庭

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長命寺、桜もちの店

林家三平宅には、以前ぼくは、奥さんの香葉子さんのインタビューに伺ったことがあった。
いま家は建て直されて、ねぎし三平堂と命名、記念館になった。
子規は漱石と親交を結び、二人は落語が大好きだった。
仮に三平と、生きた時代が重なったらば、三平の落語を二人はどう評しただろうか。
学校帰りの小学生が、「サンペーでーす」などと唱和しながら走り去った。
ぼくも、羽二重餅屋に急ぐ。


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三平堂


この店は、子規が贔屓しただけに、店では子規との縁を強調し、ウリにしている。
店の繁盛ぶりを詠んだ子規の句もある。

芋坂の  団子売る店にぎはひて
団子くふ人   団子もむ人 (子規)

建物は、コンクリートに変わったが、裏庭は当時を偲ばせ、昔の店の資料なども、
保存されていて、客を喜ばせる。
羽二重餅は、団子の甘辛があるが、餅の風合いが、とても柔らかい。
そこから羽二重の名がついたといわれる。
ふわふわの餅だ。

「赤ちゃんが食べれそうだな」

ふと、わが家の、ののちゃんの笑った顔が目に浮かんだ。
さらに、これもまた老舗の豆腐の「笹の雪」の前を通り、駅に急ぐ。

みなずきや ねぎしすずしき ささのゆき  (子規)

根岸は、子規の句がいっぱいで、明治と現代の混じり合った、フシギな街だった。


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羽二重だんご

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羽二重団子

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店内の一角

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豆腐料理、「笹の雪」

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