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明石町の外人居留地跡は、夢おぼろ。

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外人居留地跡

あり得ない風景がひとつの場所に重なる。

急ぎ足でゆく福沢諭吉と、空を仰いでいた浅野内匠頭がすれ違う。
そこで、しゃがんで遊んでいるのは、少年の芥川竜之介じゃないか。
地層が何層もの時代を重ねているように、
同じ土地の同じ場所に、違う時代を生きた人々が重なってみえる。

ファンタスジック!
歴史の重層化した、イメージをかき立てながらボクは明石町に立った。

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学問のすすめ、福沢諭吉


シーボルト。

「おお、いかめしい顔?」

オランダの、外交と医術の普及に貢献した、かれのこわいような胸像が、
まず、あかつき公園で迎えてくれる。


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シーボルト像

隅田川と築地に隣り合わせたこの明石町は、近代の黎明の町だ。
明治初頭、ここは外国人の居留地で、賑わった。
居留地が開設されのは明治元年で、たった30年しか存在しなかったが、
この僅かな間に近代文化の基盤が、ここで築かれた。

いまは、聖路加病院や、ツインタワーの聖路加ガーデンが、居留地だった中核を占めている。
みどりの大木が、街の全体を森のように覆う。


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古い洋館


 麻布善福寺にハリスが執務したアメリカ公使館は、その後ここに移り、その跡が残っている。
黒い石の彫刻だ。
シンボリックな8個の石標のうち、ここに3個残っているが、
それは、ナマナマしく、当時のアメリカ国家の意志を顕示していて興味深い。

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米公使館の石標


 ほかにこのあたり一帯、外国公使館や 医学、教会、教育など花開いた記念碑が、あちこちに散見される。 
杉田玄白や、前野良沢らが、人体解剖の「解体新書」を翻訳した記念碑がある。
当時、ここには、中津藩の奥平家の中屋敷で、福沢諭吉もこの屋敷の一角に蘭塾を開き、
それが慶応義塾に進展していった。
キリスト教の布教も、立教や、明治学院の萌芽をここに生んだ。
開明期の、ときめき。
そこに刻まれた碑には、こころなしか、若き幕末の士たちの興奮を感じさせる。


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解体新書の碑

 諭吉や、前野良沢などが仕えていた奥平家の屋敷の前は、ここは赤穂藩浅野家の上屋敷だった。
刃傷事件で、その浅野家は取りつぶしになった。
四十七士が仇討ちの首尾を遂げ、高輪泉岳寺に向かう途中、
取りつぶしになった、この浅野家の屋敷の前を通り、亡き主君を偲んだといわれる。
義士たちが、左に道を曲がろうとする角に後世、登場する、作家の芥川龍之介が、産声をあげた場所がある。
浅野、奥平と武家屋敷の跡は、現在は聖路加病院を中心に、ホテルや、看護大学やチャペルなどが、森閑としたたたずまいの
なかにある。


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立教学院発祥の地

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浅野内匠頭邸跡


かすむは春の青空か  あの屋根は
かがやく聖路加か
遥かに朝の虹もでた

「夢淡き東京」という歌謡曲がチャペルをロマンチックに描写した。

ルドルフ・トイスラー。
布教の傍ら、築地病院を買い取り、診療に従事し、それがのちに聖路加病院に発展する。
かれの執務した館は、いまもやわらかな風のなかに佇んでいる。
チャペルを仰ぐ。
古い歴史の重みに敬虔な気持ちにさせられて、荘厳な礼拝堂に参る。
不躾にカメラで、あちこちを舐めまわし、徘徊しているボクに、咎めるものはだれもいない。

若い女性が、静かに祈りをささげていた。


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輝く聖路加か

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トイスラー記念館

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祈り

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チャペルにて

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