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2011年8月

 「カレーの市民」。少年の心に帰れ、国際子ども図書館。上野。

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ロダン作、「カレーの市民」


 上野にいってみた。
西洋美術館。
ロダンの彫刻、「カレーの市民」の前で、ボランテイアのおじさんが、
子連れの母子に、「この老人の手にしている鍵は、なアんだア」などと声をかけていた。
おじさんは、それをきっかけに、この彫刻のいわれを語り出した。
ぼくも、それをきっかけに、
いままで、彫刻美としかみてこなかったこの「カレーの市民」に、もう一度、歴史の真実と
して向き合った。

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カレー市の鍵


14世紀に英仏の間でおきた100年戦争時代、ドーヴァー海峡に面するフランスの「カレー市」
は、英国軍に包囲され最後の攻撃を迫られていた。
ウスターシュ・サンピエールは、敵の攻撃を回避させるため、他の5人とともに、
英国王の陣営におもむき、首をさしだし、それを条件に攻撃をやめさせた。
後世、ロダンはこの勇気ある人々の彫像の制作を、市から依頼された。
ロダンは、絶望と苦悩のうちに市の鍵を手に、首に縄を巻いて裸足で市の門をでてゆく
ウスターシュたちの群像をつくりあげた。
じっくりみると、死に直面した男たちの、恐れや苦悩がナマナマしく迫ってきて、
胸をうつ。
「知らなかった?この話」
少年と母親に、おじさんはていねいに説明していた。


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説明を聞く、母と子


 暑い日が続いた。
しかし、上野の森は、美術館、博物館、科学博、みんな一杯の人だ。

「科学博物館で、恐竜展観たでしょう。」
科学博の付近にたむろしていた少年たちに声をかけた。
「あそこに、ハチ公の剥製があるって知ってる?」
「へえ、渋谷のハチ公の?」
少年たちは、一瞬目を光らせた。


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科学博前にいた子ども


国立博物館の西側の一角に不思議な建物がある。
白い建物の壁に、夜になると光の十字架がふたつ投影される。
一見、礼拝堂にみえるが、映画館だ。
「一角座」客席150席。
作った映画を配給を通さず即、自前の館で上映する。
「産直方式」というのだそうだ。
鈴木清順監督の作品、「ツゴイネルワイゼン」を、エアドーム型の移動式映画館で、
上映し、興行を成功させた、荒戸源次郎プロデユーサー。
かれが仕掛け、博物館の杉長敬治さんが賛同して
できあがった、インデイーズを刺激する画期的な映画館がこれである。
まあ、せちがらい営利主義の世の中で、ふたりはスゴいことをやってのけたものだ。
映画人の高い理想に、脱帽。
だが、
今日出かけたら、廃館になっていた。
日本の文化事業のはかなさを嘆いて、あえて無くなってしまったが、これに触れておく。

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一角座。朝日、戸村登氏撮影


時折、立ち寄るのだが、国際子ども図書館に今日も行ってみた。
ぼくのような大人でも、絵本を楽しむことのできる、すばらしい環境だ。
もちろん、ここは親子連れには、もってこいのすばらしい図書館だ。
広いテラスも喫茶ルームもある。
ぼくも、まだ乳児の、いとしい孫の望乃ちゃんを、いずれここに連れてくるのを夢みている。


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国際子ども図書館

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きょうは、ぼくの少年時代の懐かしい本の特別展が開かれていた。
「ジャガーの眼」「ああ、玉杯に花うけて」「注文の多い料理店」…………。
懐かしさが、こみあげてくる。
ア!
あった。
「苦心の学友」……大好きな、佐々木邦だ。

ひとけの、すくない館内で、すこしぼんやり、時を過ごす。

もうひとつ、黒田清輝の黒田記念館で、作品の「湖畔」を鑑賞して、帰ろう。

なんだ、なんだヨ。
何回かここへ来たが、今日は休館だった。
この作品の「湖畔」は、箱根芦ノ湖の湖畔に憩う美女の絵だ。
モデルは、のちに黒田夫人となる女性で。1897年の作品だ。
ボクは、上野の美術品のなかでも、相当気になる繪だ。
明治文学のドラマをTVで時折観るが、鴎外の「雁」や、漱石の「三四郎」などのヒロイン役は、
杏ちゃんが演じていると、ボク好みの明治の女性が描かれていて楽しい。
「やっぱり、杏ちゃんが、ぴったりだよなあ」
ひとりで、悦に入っている。
しかし、鹿鳴館以降、、急速に激変してゆく明治日本の先端を走る女性は、
杏ちゃんより、すこし激しさと意志の強そうなニュアンスの、この「湖畔」の女性だった
ような気がする。

ボクは、杏ちゃんのような安らぐ女性のほうがずっと好きだけど。

広大な緑の上野の森。
いろんな歴史的事件や、失意の詩人白秋が、子どもを抱いて散歩したり、
原っぱで野球に興じた子規など、夢のつまった場所が、ゴロゴロこのあたりに転がっている。
文学者や、将軍の歩いた森を、想像をたくましく、楽しむ。

山をくだって広小路口に来たら、中華飯店がポツンとあった。
「エ?、こんなとこに店なんか、あったっけ?」
はじめて、めっけた店だ。
店頭に、
「ここで、ゴチになります、のロケがありました」みたいな紙が貼ってあった。
ゴチも、こんな環境にまで、遠征しているんだナ。

すぐ近くの階段に、髭ずらのおじさんが、段ボールを片手に、茜空を眺めていた。
こころなしか、
ホームレスの人達も、なぜかのどかにみえる。


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黒田記念館

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黒田清輝「湖畔」

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旦妃楼飯店

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駄菓子屋の奥でピアノのの音、火の鳥が飛んだ。鬼子母神界隈。

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鬼子母神、入り口


 森閑とした、深緑の神社の境内。
8月も半ばだというのに、蝉の声がない。
今年はどうなっちゃたの。
この静けさ。
奇麗に菓子の並べられた駄菓子屋の奥の方から、
ピアノの音がこぼれたりするらしい。
鬼子母神堂の境内、である。
黙って店の前に立つと、奥からすっと年配の女性が顔を出した。
「ピアノ弾くんですか」
唐突な質問に、彼女は、当惑しながら、はにかんで、
「ええ、まあ」とあいまいに微笑んだ。
話しを切り替えて、
「えーと、駄菓子買おう。
これと、これと……」
駄菓子をあちこちからつまみだすと、
サッと、ちいさな篭がさしだされ、
「あ、酢蛸ですね、暑いと口が締まっていいですよ。
その乾燥菓子は、すこし甘いですよ。」
ボクがつまみあげるたびに商品説明が加わる。
5~6品種つまみ終わると、
「ハイ、322円ですネ。」計算が早い。
「ア、400円で、お釣いいです」と、ボク。
「すみませんね。じゃあ、これ、おまけ。」

駄菓子屋のおばさんとのハイテンポなやりとりに、子供時代の記憶が、
さっと、蘇ってきた。


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駄菓子屋


残ったコインを握りしめていると、
「ハイ」と、亡き母が小銭を渡すしぐさがふっと浮かんだりする。
同時に、わが子の幼なき昔。
時間をかけていつまでも選んでいる長男と、ささっと、決める次男の
性格の違いなど、脳裏に浮かびあがらせながら、ひとり笑いなどしてしまった。

この駄菓子の「上川口屋」は、なんと創業が1781年、この内山さんで13代目なんだそうだ。
法明寺の鬼子母神堂は、安産、子育ての神として江戸時代から、人々の
厚い信仰を得ているだけに、境内に駄菓子屋というのはうってつけなのかもしれない。


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駄菓子屋の山内さん


「このあたりに手塚治虫さんが、住んでいたそうですね」
内山さんに訊ねると、
「そう、黒いふちの、丸いメガネの人がよく散歩していました。
あとで、あれが、エライ漫画家さんだと聞いて、驚きましたよ。」
手塚さんの住居跡に行ってみることにした。


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樹齢、700年といわれる大イチョウ

「並木ハウス」というアパートがそれらしい。
参道からなか程の路地を右折したところに並木ハウスがある。
手塚さんは椎名町の「トキワ荘」からそこに引っ越し、
昭和29年から32年まで住んだ。
そのアパートの2階で、「鉄腕アトム」や「火の鳥」など名作が誕生したという。
当時家賃は、5000円だったといわれ、手塚さんは、当時めずらしいT.Vを購入
した折、近所の人々にも、どうぞ観てください、とやさしかったそうだ。

現在アパートに住む女性に、手塚さんの住んだ部屋(201号室)を教えてもらった。
入り組んだ裏道からしかその部屋は、みえなかった。
その部屋に隣接する民家は、かなり古めかしく、木々に覆われている。
手塚さんはこの秘めやか隣家を窓から眺めたのかもしれない。


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並木ハウスの表札

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手塚治虫は、ここで火の鳥などを創作した。

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階段の向こう側、201号室。

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すぐ隣の風景

都電.荒川線の鬼子母神駅に出てみた。
トコトコと、千登世橋をくぐって、電車が坂をのぼってきた。

最後に近くの雑司ヶ谷墓地で、ちょっと気になる墓を訪ねようと思って、
参道にある観光案内所で、場所を調べてもらったが、判らず、きょうは、35度の炎暑に
負けて帰ることにした。
でも、それについて書いておこう。
雑司ヶ谷霊園には、
夏目漱石、永井荷風、竹久夢路、ジョン万次郎など著名人が眠っている。
その夏目漱石だが、生前、小説のなかでこの墓地について触れている。
名作の「こころ」のなかだ。
その作品のなかに登場する先生は、ある事情を抱えて、友人の墓に毎月訪れている。
ある日、先生とわたしは、墓地の付近でバッタり出会った。
ふたりは、墓の間を抜けながら、墓碑銘に注意を向ける。
イサベラなになにだとか、神僕ロギンなどと変わった碑銘を眺めながら、
「安得烈」と彫られたちいさな墓の前で、
わたしは、「なんと読むのでしょう」と、先生に尋ねる。
「アンドレとでも読ませるんでしょうね」と、先生は苦笑する。

これは、
べつにたいした話ではないが、明治時代の小説のなかに描かれた墓の風景が、
いまどうなのかと、ちょっと確認してみたかった、というだけだ。
漱石フアンのボクの興味にすぎない。
たぶん、推測だが、これらの墓石は、付近にある雑司ヶ谷宣教師館に勤務された、
牧師さんたちのお墓かな、と考えている。
日をあらためて、訪れることにしょう。


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都電荒川線、鬼子母神駅。

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夏目漱石の、こころ。

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ねむの木の庭、プリンセス・ミチコが咲く。そこから白金へ。

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ねむの木の庭


もう、10年以上前だったが、夏、麻布の有栖川公園の坂上を、かみさんとふたりで散歩していた。
人影が全くない。
さらにゆくと、細い道路の信号機をひとりの警察官が、青信号に固定していた。

「どうしたんですか?」

尋ねると、

「天皇ご夫妻が、テニスにおいでになるんですよ」

と、笑って答えた。

まもなく、天皇ご夫妻だけのお車がひとつ、坂道をゆったり登って来た。
空いた窓から、天皇ご夫妻は、ぼくらふたりに笑顔で手を振ってくださった。
なんのしばりもない、ミカドと庶民、のどかな一瞬の風景。
警察官も笑顔で佇み、天皇ご夫妻も運転手だけのおでかけ。
こんな、ゆるやかなご日常が、すべてであれば、
いつも、天皇ご夫妻のみこころも安らかであられるのだろうに。

皇后様のご実家跡が、「ねむの木の庭」という、公園になっている。
五反田から、坂道の続くお屋敷の間を縫って、すこし息切れしながらそこにたどりついた。
175坪。こぶりな花壇公園だ。
庭には、約60種類の草花や木々が植えられているそうで、ていねいな手入れがされていた。
皇后には、ご自分の思い出の詰まったご生家である。
さぞや、取り壊しに、みこころを傷められたことであろう。
保存の希望が、あちこちから随分でたが、「皇后様は、保存をお望みでない」と
宮内庁は、ご決断されたことを公表した。
茶色の塔のようなものが建っているが、これは正田邸の暖炉のあった場所に、
設けたガス灯だそうだ。


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ねむの木の庭

皇后様ゆかりの花が、二種類、咲いていた。
ひとつは、「プリンセス・ミチコ」と名ずけられた薔薇である。
オレンジ系の美しき微笑の花は、妃殿下だった当時、訪英の折、
現地の園芸会社が、
新種のこの薔薇に妃殿下のお名前をいただき、それを贈呈したものだという。

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薔薇、プリンセス・ミチコ

もうひとつは、「ゆうすげ」。
皇后様のお好きな、花だそうだ。
ゆりの仲間で、夕方に花を開き、一夜でしぼむ、かれんな花である。
ちょっと、はかない想いに駆られるが、
楚々として香しい。

「もう、2回ほど、この花をご覧にみえましたよ。」

庭の手入れに余念のない老齢のおじさんが、皇后様の
おしのびでみえたご様子を教えてくれた。

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皇后様のお好きな「ゆうすげ」


やはりこのお庭は、波乱万丈の昭和を生き抜かれた美智子皇后の
みこころを偲ぶにふさわしいお庭となっている。


さあ、
蔦に覆われた民家の角を曲り、白金へ向かう。
外苑西通りをプラチナ通りとよぶ、メデイアの感覚は好きではないが、
ボクの思う素敵なところは、直線は平凡だが、湾曲するあたりの緑深い街、路だ。
そのあたりにひとつの魅力のエッセンスがある。
風そよぐアベニュー。
チョコレートのエリカ、イタめしのルクソールも近い。
だが、
「エリカ」
閉まっている。

8月いっぱいは、なぜかお休みだと、花屋のお兄さんが教えてくれた。
ミルクチョコレートのなかに、マシュマロとクルミのはいった「マ・ボンヌ」。
これは、以前、賞味して、しびれたことがある。
あーあ。今日はダメかア。


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風そよぐ、プラチナ通り

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レストラン


庭園美術館に急ごう。
いまは、エルミタージュの所蔵品を展示している。
「皇帝の愛したガラス」展だ。
エミール・ガレなどもあったが、18世紀中心のガラスコレクション。
いやあ、絢爛豪華。
この美術館はアール・デコの大好きなぼくの、くつろぎの場だが、
洋風庭園がまたいい。
巷で35度ともいうこの猛暑にも、ここは涼風を感じる広い庭で、読書にひたる淑女たちがいた。
優雅ア。
最後の目的地に向う。


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東京都庭園美術館

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美術館の庭園、読書する女

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もうひとり、読書する女

時代屋、おっと、ではなく時代物の着物を扱う「池田」だ。
ぼくは、19世紀の英国製の古椅子を一脚もっているが、ボロボロなので、
ここで古い帶地でも買って、張り替えようというわけだ。
3人の親切なおばあちゃんの店員が、あれこれ探してくれた。
「あったア!」
おばあちゃん三人も同時に笑顔になった。
この店では江戸時代から現代までの布が揃うという。
着物、浴衣、羽織からちりめんの端切まで多彩。
しかも、値段はリーズナブル。

きょうは、フシギな感覚の散歩になった。
いつもはセレブな街にまぎれこむ異物のような感じのボクだが、意外やきょうはそれなりに
楽しめた一日だった。

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時代着物店の池田

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「本郷館」も消える。明治は遠く、本郷三丁目。

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本郷館が消える。


 上野の不忍池から本郷に抜ける坂道、無縁坂。
その坂の途中にある格子戸の家に、おとなしくて気立のいい娘、お玉が高利貸しのお妾さんになって住んでいた。
お玉は、いつもその坂を通る医学生の岡田にほのかな想いを寄せ、
岡田がいつか自分をとらわれの身から救い出してくれはしないか、と夢想している。
これは、
森歐外の「雁」に描かれた悲恋の物語の風景だが、
その医学生の岡田の下宿しているという設定の、
「本郷館」が、築106年を経て、8月1日、取り壊されることになった。
関東大震災や東京大空襲にも耐えてきたが、建物の老朽化が激しく、
家主は、解体を決意した。(本郷6丁目、1905年、明治38年建築、木造三階建て、76室)
一見すれば、巨大軍艦を思わせる、存在感あふれる
この木造三階建てに、感嘆しない人はあるまい。
存続を願う人々と家主との間に訴訟まであったらしいが、
結果は、残念なことになってしまった。
あわてて、ぼくも、現場に駆けつけてみたが、同じような思いの若者や、年輩者が
名残をおしむように、カメラをむけ、坂に沿った建物のあたりをうろうろしていた。
この界隈は、旅館の鳳明館や、本郷会館はじめ古い民家など、明治大正が息ずいており、
この巨大な本郷館は、その中核としての風景を形成している。

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巨大な三階建て。

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反対派は、近所で、展覧会を展開。

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解体を惜しむ、街頭展覧会。

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旅館、鳳明館。


「先日の東北大震災でも、瓦ひとつ落ちなかったのにねえ」と、近隣に住むらしい老人も嘆いていたが、
「うーん。」ぼくも嘆息しか出てこない。
ふと、「人生は、レジグナテイオン(あきらめ)だ」という、鴎外の人生観を思い出した。

広大な東大キャンパスの前、本郷通りをへだてた本郷3~6丁目を中核としたエリアに、
多くの東大生や、文人、学者が、生活し歴史を育んで来た。
そのあたりに残存する明治や大正、の風景に浸りながら、ぶらぶら歩いた。

樋口一葉の住居あとに、しばし佇む。
彼女が暮らした、
手押しポンプや、狭い路地裏の空間に、遥か、明治への想像の絵を描いてみた。
質素で、美しい一葉。
冬、凍えた手で汲んだであろう、手桶をもった姿。
溢れるような才能を潰しにかかった貧困。
あえかな半井桃水への、慕情。
過去は痛ましく、いとおしい。


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一葉の暮らした路地裏と、ポンプ。

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明治に抜ける、鐙坂。

すぐ裏手の、
鐙坂で、坂上の白く抜けた空間をみつめてみる。
その空間は、そのまま明治に抜けていって欲しい幻想を想起させた。

菊坂に戻り、一葉の通った旧伊勢屋質店の前で、カメラを向けていると、自転車で、
きたおばさんが、荷台からごそごそと紙片を取り出して、
「11月の一葉さんの命日に、質屋さんのなかが見学できますよ」と教えてくれた。
紙片はこのあたりの案内図だった。
よく情報誌に推奨されている、すぐ近くのキッチン「まつば」で、チキンカツを食べた。
白髪のやさしそうなおばあちゃんが、店を仕切っている。
「本郷館なくなるんだってね」
語りかけると、
「ウン、寂しいね」
おばあちゃんは、ポツリと答えた。
下宿めしのような、素朴だが、ボリュームたっぷりの、こころ暖まる食事だった。

これも古い歴史の「万定」でフルーツジュースを、と寄ってみたが、閉まっていた。
外壁はアールデコの装飾が懐かしい、フルーツパーラーだ。
本郷通りの「ルオー」で、黄いろいタングステンのやわらかな光に包み込まれるように、
コーヒーをゆったりと味わった。
今日は、
妙な寂寥感で過ごしたが、一方、なんとなく慰められた気分の一日でもあった。


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一葉の通った伊勢屋質店。

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万定フルーツパーラー。

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喫茶、ルオー。

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