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あの人の味覚、通いつめた店。新橋、銀座あたり。(その1)

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 カメラマンのぼくは、
銀座にある情報関係の会社の仕事を長く続けた。
関わったある雑誌では、センスの違う重役にしんどい思いもしたが、編集者の仲間たちとは、
いつも勝ちゲームを続けるように高揚し、楽しかった。
その女性編集者三人のポートレイトを撮ってあげたことがある。
彼女たちは、お礼にマキシムのデイナーをプレゼントしてくれた。
ある夜、
妻とふたり、その豪華料理をいただいた。
その時、仲間の彼女たちの微笑ましいエピソードの話題に夢中なあまり、
申し訳ないが、肝心の料理の味の記憶が残っていない。
モチロン、これはぼくの味覚のつたなさで、マキシムの超一流の技量に文句をつけるわけではない。

 一方、素朴な食べ物に、ひどくこころをうたれたこともある。
東北の黒沢尻工業高校のラグビー部の取材の折、監督の先生に学校前の、
おばあちゃんの経営するちいさなカウンターだけの食堂に案内された。
そこで、揚げたての厚揚げを醤油をたらしてイタだいて、
素朴だが、感動的だった味の記憶が何十年経っても消えない。
なんでも、食堂の隣りが、妹の豆腐屋で、できたてホヤホヤの豆腐を即、食堂のおばあちゃんが、ごま油で揚げるのだそうだ。
たしか、メニューは、その厚揚げだけだったような気がする。

 食べ物の感動や価値観は、その人その人、それぞれだろうし、
その時の諸条件が、つくりあげるものだろうが、
銀座のような洗練された味覚の溢れる街で、ぼくは、過去あまり味の恩恵を受けるような人生は、選んでこなかった。
探求心と経済力のなかったせいだが、その気になれば最近では、一流の店でもリーズナブルな価格で
ランチなど提供するようになった。


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こんぱる通りを、4丁目方向にゆくと、寿司の「銀座久兵衛」の前で、女性が打ち水をしている。
著名なこういう老舗は、「お金持ちさん、どうぞご利用を」、と庶民は、パスしたいところだが、
ここは、巨星、北大路魯山人が愛した老舗である。
たとえお金持ちに占有される店だろうが、魯山人のお墨付きとあらば、庶民としてもゼヒ行かねばならぬ。
せめてランチでも。
生ちらし志野が、人気メニューだ。
味もさることながら、姿や色合いが美しい。日本の色、姿ッ。
その、料理の姿から連想してしまうのは、銀座菊迺舎(きくのや)本店の富貴寄赤丸缶である。
小箱の、菓子函だが、
なかは、色とりどりの小粒な干菓子が乱舞している。
これも、ニッポンの色。
色とりどりの、てんてんてんまり、てんてまりと、ニッポンの色への幻想は、どんどん広がってゆく。

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久兵衛の前で、打ち水する女性


外堀通りの有賀写真館のビルの一角に、いぶし銀のような洋食の「銀座キャンドル」がある。
1950年に、オーナーが、進駐軍のベースで、バスケットに盛られたフライドチキンをたべて
感動、この店を開いたのだという。
店名は、映画「哀愁」のなかの、キャンドルライトクラブから、つけた。
ここへ、開店早々から、作家の川端康成が、若かりし三島由紀夫を連れてしげしげと通った。

 遡る、川端の少年時代は、不幸だった。
川端は、満一才で、父が死に、その翌年、母。七才で祖母、そして、姉、14才で、最後の肉親の
祖父を失った。
孤児。
壮絶な人生である。
あちこち居候の身で、食べ物の不自由さでも、骨身に滲みたことだろう。
後年、その繊細な感覚で、日本と日本人の美の世界を描写し、ノーベル文学賞に輝いた。
しかし、そのやわらかな感受性は、孤児同然の少年時代からズタズタに切り裂かれたのかもしれない。
最後、ガス自殺で人生を閉じる迄、若い頃から睡眠薬に依存し、苦しんだ。

 一方、「キャンドル」に足繁く通った。
好物のチキンバスケットにについて、かれのどんな思いがあったのか。
こまかないきさつは、わからないが、人間だれでも「食」にかかわる
印象的な思い出はもっている。
こころに深く、秘めながら。

 帰途、キャンドルの階段に、ずらりと著名人のサインの並ぶなかに、寅さんがいた。
小川軒や、このキャンドルは、洋食屋さんといっていいだろう。
庶民派の寅さんは、味のある洋食屋が好きだったんだなあ、と感慨深い。


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銀座キャンドル

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おなつかしや、寅さんのサイン


銀座通り7丁目に、「カフェ、パウリスタ」がある。
日本の喫茶店文化は、ここから始まったと言われている。
明治末期、初代社長が、ブラジル移民団長として、現地に渡り、コーヒー豆の輸入を始めた。
喫茶を始めるや、
大正期のモダーンな、文化人や時代感覚を先取りする人々が、ここに集った。
そして時代は、だんだん重苦しく、戦争に傾斜してゆく、風潮だったが、ここには自由な風が吹いていた。
そういえば、有名な話だが、ジョンレノンとオノ、ヨーコ夫妻も、3日間ここに通い続けたという。
パリのカフェに似て、歴史をくぐり抜けてきた喫茶店が、いまもなお健在であるのも嬉しい。

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パウリスタ


偶然だが、パウリスタの前に、作家の山本一力さんの、ご愛用の店、「吉宗」がある。
これは、一力さんなればこその、珍らしい、懐かしい味である。
どんぶり鉢がふたつ。
ひとつは、錦糸玉子やそぼろなどの三色の蒸し寿司、もうひとつは、巨大な茶碗蒸し。
あわせて「夫婦蒸し」とは、なんちゅう上手なネーミング。
しかも、うまい。
なんてったって、庶民派の、一力さんのご推奨なんだから。


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吉宗

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もうひとつ。
これは、新規開拓だった。
K子ちゃんが、「行くべきよ」、と強制的に薦める店だ。
ベルギー生まれの、チョコレート店。行列店だそうだ。
「ピエールマルコリーニ 銀座」だ。
K子ちゃんの指示通り、ソルベ(シャーペット)に、狙いを定めた。
だが、どうも地番の場所がみつからない。
ウロウロして、そばにいた、ふたりの女性に尋ねた。
「わたしたちも探しているんですよぉ」
いっしょに探しません?
おれが言ったんじゃない、女性が言ったんだ。
「あ!あった」
おれが見つけた。


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ピエールマルコリーニ。探した女性ふたり。

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