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2011年10月

フランシスの荒野とワン・ウイーク

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 9月29日、
この一ヶ月あまり。
胃の激痛に苦しみながらも、キャベジンや漢方薬などで、だましだまし、ごまかしてきたが、ついに病院の門をたたいた。
ながい間、酷使してきた胃だ。

 20代、新宿歌舞伎町で、友人たちと生ビールをあをったあと、
アツアツのラーメンを胃に流し込んで、倒れたこともあった。
胃を大切にした記憶はない。
そんな長年にわたる不摂生に胃は、悲鳴をあげたが、それでもまだボクは「どの病院へいこうか」、
いくつか、候補の病院に迷っていた。
 わが愛妻は、病院にあまり知識はないようだったが、「聖路加へ行ったらどう」と勧めた。
その愛妻の助言が天の声のように聞こえ、「ハイっ」と、ボクは、それに従った。

 いろいろ検査の結果、胃の傷み方はひどいし、糖尿病だの心臓もなんだのかんだので、いい話はなく、
これからは、多臓器不全に陥るまで、こつこつメンテナンスに励む人生しかないように悟らされた。

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 ケータイで、「入院だってよ」と、家に連絡した。
総勢、駆けつけてくれた。
内心のさまざまな思いを、かみ殺してベット傍に立っている家族に、
申し訳ない思いでいっぱいだった。

 それにしても、胃痛に苦しんだ、じぶんが、じぶんだけの苦しみだと勝手な思いこんでいたのだが、
帰ってゆく家族の背中が、静かに反省の時間を蘇らせてくれた。

 病室の窓から、みえる勝鬨橋あたりの空に、カモメが2~3羽舞って、音もない夕暮れをみていると、
ふと、遠い知らない街に迷い込んだ感覚に襲われた。
……遠くで汽笛を聞きながら
「何もいいことが、なかったこの街で……」なぜか、アリスの一節が浮かび感傷を呼んだ。


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 2~3日、経っただろうか、
T.Vを観ていると、日野原先生の100才の誕生日だ、と報じている。
ボクの病室は792号室だ。下の何階かで、医師や看護婦さんやフアンに囲まれて、
ケーキの蝋燭を先生は消していらっしゃることだろう。

 一角獣のように、髪をまるめた、かわいい看護婦の前田さんが、TVで流れている
ノーベル賞の選考のニュースに「村上春樹は、どうなんでしょうね」
と、体温計をもちながらつぶやいた。

「そういえば、’風の歌を聞け’を讀んだのが、春樹体験のはじめでしたよ」とボクは思い出した。
コーヒーブレイクのように、音楽を聞くように、あんなに楽に讀んだ純文学もなかったなあ。
楽しい思いが蘇った。
「フフフ。」彼女は、わたしも似たような体験を思い出したワ、と笑った。

 後藤繁雄の「写真という名の幸福な仕事」という著作を長男が、置いていった。
そんな重い話しは、読めないよ、といったらかれは怪訝な顔をしていた。ゴメンね。
 じじつ、ぼくは、いま病床で読めるのは、デイック・フランシスしかなかった。
妻に4~5冊もってきてもらっていた。
苦痛を強いられるような時や、悩みにめげている時、フランシスの冒険小説は、いつも不屈の闘志と、
高いプライドで、読者を励ましてくれるのだ。
ぼくは、いろいろな人との出会いから、フランシスの熱狂的なフアンをめっけるのを楽しみにしている。
 いつぞや、仕事を一緒にしたジャーナリストの千葉望さんが、
「わたしも、フランシス大好き!」と、眼を大きく見開いた。
思わず美しい彼女と共感のエールを交わしたっけ。


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 自分が思うよりからだにガタがきていことを思いしらされた入院だが、
どうやら一週間あまりで退院する事が出来そうだ。

 6週間は、とんかつやラーメンは、ダメですよ。と医師に戒められて、
ぼくは、せめて、おいしいたべものの幻想のなかにひたり続けた。
意外とその幻想と、現実の飢餓は、あい闘うこともなく、ボクの脳味噌と、胃袋
は、平和に妥協し沈静化していた。

 しばしの闘病中にボクのカメラマン意欲を刺激したのは、東日本の惨状への想いもあるが、
天の啓示のように、「きみは、カメラマンとしてのテーマをいつまで見失っているのか?」
という、鋭い指摘が蘇ったことだ。

 1才に満たないが、かわいい、孫の望乃ちゃんは、いま、ぼくの最大の関心事である。
だがこの子は、次男夫婦の長い苦労の果てに得た珠玉のような存在である。
ぼくの横取りできる存在ではない。
ふと、この子は、不思議な眼でこちらを眺めることがある。
それは父祖からの視線のように思えることがある。
 そんな時、この子を連れて、木曽福島の山村や、佐渡のたそがれた港町を、
彷徨いながら彼女の成長のドキュメントをまとめあげてみたいという幻想が浮かんだ。
 これには、連関する体験があった。
 それは、戦争で傷を負った父が、伊豆の吉奈温泉で療養していた時のことだった。
白衣の傷病服をまとい、太平洋戦争で失った部下の慰霊のため幼いぼくを連れて、
何日も、伊豆の遺族の家々をめぐった体験が、響きあったと思われる。


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 病気は、いろいろ荒野をかけめぐる幻想や、意識の変化をせまってくる。
 病院傍の、隅田川べりの夕暮れは、病める人々の影などで風景は寒い。
ボクは、貧血のせいか、陽光もないのに、いやに視野には白く光が散っている。

 湾岸のドックの広場にやってきた。
太陽がいっぱい、だ。
若い生命が躍動している風景に、やっと生命の輝きを感じとることができた。
「ああ、生きるということって!………」

 退院の日、ベットの上でフランシスの「標的」を読み終えた。
冒険をくぐり抜けた主人公。
最終ページ、かれは作業台の上にある本に、ふと、眼が触れた。
そこには、「荒野から無事かえる」というタイトルが書かれていた。


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