赤ゲット70年代のアメリカをいく

70年秋、はじめて渡米した時のメモ。写真はその後渡米したものも。

赤ゲット70年代のアメリカをいく 06

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10月22日

上原君より、電話で伝言あり。
「明晩、篠原有司男氏のアトリエで、パーテイあり。馳せ参ぜよ。」
電報のような伝言だった。
当然、馳せ参ずることにする。
篠原さんは、通称、モヒカンのギュウちゃんと呼ばれる、世界的な、前衛芸術家だ。
ボクシング、アートが有名だ。
ヴァワリーのロフトを、アトリエ兼住まいにして、驚愕的、創造的生活を送っている。

10月23日

篠原邸にゆく。
アトリエに、女物の着物が行列のように並んでいる。
昔の遊女のイメージの、艶やかで、しどけない、古びた着物の行列だ。
遊女の幽霊の行列。
これが、ギュウちゃんの作品かあ。すげえ。

ロフトの奥のほうには、建築家、画家、デザイナー、カメラマン、など、
満面髭男や、ボーズアタマで、目のまわりを黒く塗ったヤツや、
パンティ一枚の金髪女など異形の面々が、たむろしていた。

まるで、仮面舞踏会か、秘密結社の会合か。
ブキミ。
テーブルの上には、ちぎった野菜類がバケツに、
鳥の丸焼き。それも羽根のむしり残したものがデーンと。
ごはんは、木のみかん箱にびっちり。
なんじゃあ、コリャ。
そのうち、グワン!という大音響が響き、ヒッピー的な音楽がなりだすと、
ジンやシャンパンや、ウオッカがボンボン抜かれた。
怪しげな煙が廻され、パーテイは佳境にはいる。

こんな感じで、饗宴は、朝まで続くらしい。
おれは、吐き気がしてきて、ほうほうのていで、ホテルへ逃げ帰った。
ゲージツカには、とてもなれそうにない。


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10月25日

朝、早くおきてしまった。
今日は、撮影にいく。
59ストリートから地下鉄に乗り、ローアマンハッタンに向かう。
車中、いい獲物がいた。
窓際に、ヒスパニック系の中年男だ。
髭が八の字で、目がギョロリ。
味のある顔だ。


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気付かれないように、ノーファインダー、スナップだ。
シャッターを切り続けるうちに、
電車は、目的地を通り過ぎ、あっという間にイーストリバーを渡り、
ブルックリンに入ってしまった。
あわてて降りると、背中にピシッと、にぶい音。
パチンコ玉のように丸めた紙の弾が飛んできた。
振り返ると、例のヒスパニックが、恨めしげな顔で睨んでいた。
「畜生、撮りゃあがって」
ーーなんだ、知っていたのか。

乗り越したところは、まるでゴーストタウンのようで、
崩れかかったビルや、ボロボロの広告塔、道には、フロントグラスを銃弾で撃ちぬかれた
車が擱座していた。

あたりにたむろしている黒人の視線も厳しく、攻撃的だ。
かまわず、カメラをガンガン向ける。


「ブルックリンで、なんとあぶないことをーー」
上原くんに、あとであきれられた。
「よく袋だたきにあわなかったですね」
かれは、ため息をついた。
知らぬが仏だった。


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赤ゲット70年代のアメリカをいく 05

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10月18日

しばらくアメリカに滞在していて、妙な変化に気ずいた。
腰高で足の長い外人女性が、美しく感じられなくなったのだ。
胴長の日本女性が、妙に魅力的に思えるのだ。
なんだろう。この美意識の変化は?
まあいい。

ひとりで、グリニッチ、ヴィレッジへゆく。
クラシックな街並にどぎつい原色のペインテイングが氾濫し、ちょっと疲れる。
公園でベンチに腰をおろすと、スーとグリーンのスーツに赤いチョッキのホモらしい男がやってきた。

「何時か」と聞いたから、知らねーよと、立ち去る。
すこし歩くと、栗売りが、4〜5メーター置きに座っている。
しばらくいくと、一人の老人の栗売りと目があった。(写真参照)

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爺ちゃんは、カメラをぶらさげている俺に、写真を撮れという。
もう随分前に亡くなった祖父を思い出し、「いいひげだね、おれのじいちゃんを思いだすよ。」というと、
栗売りは、立ちあがり、オレの肩に手をかけて”*#&?ボーイ”とか言った。
そして、十字を切って、「神の恵みあれ」みたいなことを呟く。
なんか知らないが、爺ちゃんに懐かしい気持ちが湧く。

栗を買い、マジソンスクエアーガーデンの前で、
コンクリートのベンチに腰かけて、元村を待つ。
栗を食べる。
痩せた栗で、味もよくないが、爺ちゃんの人生を思いながら齧った。

その夜、わが家に手紙を書く。
「N,Yは昨日からめっき寒くなりました。
 マジソンスクエアーで、隣のほうで、黒人の浮浪者が、パンを齧り
 ながら、デカイ声で、なにかを叫んでいます。
 なにか、とても寂しそうな人が多い街です。」

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10月20日

オフ、ブロードウエーのラ、ママで、東由多可のパフォーマンスを観る。
すげえ、外人のインテリさんのような客が多い。(写真参照)


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ラ、ママの近くで、”寅さん”を見かけた。
とっさのことで、知り合いのように手を挙げてしまった。
しかし、あの笑顔で、むこうも手を挙げた。サービス精神汪盛!
70年、演劇好きの寅さんは、多分、ここで東由多可の東京キッドブラザースの公演を観たであろう。

帰国が近ずいて、おのぼりさんのオレとしては、摩天楼に是非、登らねばなるまい。
出かけると、ここも混んでいた。
観光客で、エレベーターは、ひしめいている。
長い、さすが、エンパイア、ステイトビルデイングだ。
なかなか上まで着かない。
屋上では、もっぱら、風景よりスナップすることに、集中する。
恋人どうしのシーンに、集中する。(写真参照)

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赤ゲット70年代のアメリカをいく 04

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10月1日

豪華ななヒルトンホテルから、三流のパリ−スホテルへ移る。
ぐっと、もの寂しい。
落差が凄い。

ホテル代は、15ドル。(ヒルトン29ドル)
やや半分だ。

太ったフランス人のおばちゃんが、ぽつんと、カウンターに立っている。
背後に、鳥獣の、ペン画のような額が、架かっている。
なんかこんな風景を、古い外国映画でみたことがあるぞ。
元村と顔を見合わせ、そう話した。

おばさんは、愛想がよかった。
5階の部屋に入る。

窓の向こうは、道をへだてて、ずらり煉瓦のビル街。
寂寥感があふれてくる。
唯一、救いは、左に見えるハドソン川が、キラキラと美しく光っていることだ。
このホテルは、日本人客が多いとかで、日本語のパンフレットも置いてあった。
しかし、建物も古いが、パンフレットも古風だ。
驛(駅)とか、價格(価格)、當(当)ホテル、とかとにかく、
バックトゥザフューチャーで、アタマが少し混乱する。

突如、脈略もなく、
「ギョエテとは、おれのことかと、ゲーテ言い」
という川柳を思い出す。

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10月2日

窓の向こう側に見えるビルは、アパートのようだ。
夜7時頃、食事の支度をする姿があちこちで。
テーブルクロスが、きれいに掛けられ、ローソクを灯す家もあり。

すこし、早めに寝たが、3時頃、目が覚めて、
無性に日本の我が家が、恋しくなった。
今頃は、TVでマンガに興じているだろう子供達が、目に浮かぶ。
もう、数年も離れているような、気分に陥った。

翌日、日本レストランの「ゆき」にゆく。
席に座るやいなや、美空ひばりの唄が流れて、
全身、ぐらぐらと旅情に揺れる。

たらこのお茶漬け!
湯豆腐! おしんこ! あかだし!
口が、鉄砲玉のように、勝手に注文を連発した。

ごはんが、タイ米で、細長い。変に臭う。
しかし、夢中で口にねじ込む。
ウーム。
日本じゃあとても食べられる味じゃあないが、郷愁をかきたてて食べる。

支配人、ボーイ、全部日本人だ。
味は、不味いが、客扱いは、日本より、はるかに丁重だ。
グッド。


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曲は、いつしか、”丘のホテルの赤い灯も、と変わっている。
元村は、すきやきどんぶりを注文したため、大盛り、かつ不味さのため、苦労している。
「おい、愛国心で、全部食えよ。」と、オレが訳のわからぬ
ことをいうと、ギョロリとした目をこちらにむけて、
「たとえ、正露丸の世話になろうとも。」と、全部、かきこんだ。

6ドル70セントの支払いにチップ10〜15%だから、70セントから1ドルが
妥当だが、1ドル50セントはずむ。
支配人は、「1ドルで結構です」と、こちらの懐を見抜いたように、辞退した。
「チップを遠慮する店主が、N,Yにほかにいるかなあ。」
元村は、すこし感動していた。
「やっぱり、日本人だからかな。」
また、意味不明なことを、おれは言ってしまった。


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10月15日

2週間で、パリスから、プリンス、ジョ−ジ、ホテルに移る。
14east 28th street, new york,N,Y
パリスと比べ、ダンチの豪華なホテルだ。
中世の王宮のような、といえば、ちょっとオーバーだが、
あまりにパリスが、ひどかった。

ホテルを変わると、告げると、パリスのデブのおばちゃんが
ちょっぴり残念そうな顔をした。
でも、おばちゃん、宿賃が、違いすぎるよ。
パリス、1週間116ドル。ジョウジ週75ドルだよ。それにあっちは王宮だよ。

パリスを出てタクシーを待っていると、向こうからインドネシア風のおじさんが、来た。
タイかな、フィリピンかなと思って見ていると、
驚いたことに元村にピョコンと会釈した。

元村は「やっと、日本人が挨拶したよ。」とニッコリした。
事実、こちらの見知らぬ日本人どうしは、
目を合わせると、プイと顔をそむけるのだ。  

まてよ、おれは考えた。
あれは、確か東南アジア人だとおれはみた。
間違いない。
元村の顔をみた。
浅黒く、禿げ、目ギョロ。
ウム。これこそ東南アジアの顔ではないか。
「オイ、元村。あいつは、おまえを東南アジア人とカン違いしたんじゃ
 ないか。」

タクシーが来た。
話はそこで中断したままになっている。


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赤ゲット70年代のアメリカをいく 03

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9月23日

ニューヨークに着く。
摩天楼のそばの、アスラッド、ヒルトンにはいる。
チェックインで、黒人の若者が、応対する。

「日本語が、話せるか」
と聞いたら、
「ノー。あなたは、ドイツ語が話せるか。」
と言ゃぁがった。
この野郎、アタマにきて、そのあとは、野郎が何を言っても
全部、日本語で切り返した。
「なにを言ってるのか。」とか、「どこへ、サインするのか」とか。

なんだ。どんどん事は、すすんでいくぞ。
結構、野郎は、言っていることが解っているじゃん、と元村の顔を見合わせて
笑った。

まわりに日本客のおじさんや、おばさんが団体でいた。
京都からきたのだそうだ。
懐かしそうに声をかけてくる。
「若い人はいいね。ポンポンものも言えるし。いいわね。」

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9月24日

上原君に教わった住所へ、田辺三太郎氏を訪ねる。
ミッキー安川、風。を、すこし知的にした感じ。
奥さんは、小沢スポーツの、シー坊に似た、(註、だれも知らないだろうが)
愛嬌のある顔で、かわいい団子っ鼻。
赤ん坊が、2ヶ月で、奥さんに瓜ふたつ。
似てるねぇ、と元村がクククと笑った。
誉めようがないので、黙っている。

三太郎夫妻は、マンハッタンのど真ん中に住んでいた。
日本でいえば、新橋の裏通りのムード、わがアパートの3倍位の広さで、
家賃1万5千円だという。
夫妻は、深夜の電話の懸念は、全く杞憂で親切な人達だった。
夕食をご馳走になる。水炊きだ。
おいしい。
たとえ、こちら製の豆腐や、なると巻きなど、やや、異なる味の具であろうとも、
それは、ニッポンに思いを抱かせる、鮮烈な味であった。


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用件のひとつである、スミス氏に会うべく三太郎氏が電話してくれた。

不在だった。

「いつも、あの方は所在不明でね。じゃあ、突撃でいきますか。
 そのほうが、つかまるかもしれない。」

三太郎氏の判断で、スミスのアパートに出かけた。

やはり留守だった。
入り口に鍵がかかり、「ガス代払え」とか、
「水道代いくら」とか、紙がペタペタ貼ってあった。
われわれも、重要な用事で来たので、連絡が欲しい、と紙を貼り、帰った。

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9月28日

一年前からデザインの修行にきている、若い川添クンに電話した。
汗をかきながら、大急ぎで、かれが来た。
懐かしい。

やはり、オレの興味は、ヤツが異国でどんな生活をしているか、ということだ。
金のない川添クン。
「ダイジョウブ、ないところは、アタマでカバーしてますから」
毎週、木曜日には街なかに家具が捨てられるそうだ。
それをせっせと拾う。
後に、かれのアパートの豪華な、家具類に驚くことになる。

マンハッタンには、アーチストのたまごが、1000人くらいいるらしい。
「みんな、拾ってますよ。」
そうなんだ。

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「街を歩きましょう。面白いとこありますよ」
かれは、先に立ち、早足でいく。

新聞のスタンドがやたら目につく。
30種類くらいの新聞が山と積まれている。
ニューヨークタイムスなど、朝日新聞のような知的な新聞は、
一部のインテリしか読まないのだそうだ。
「殺人!」などというショッキングな見出しで始まる、イエローペーパーは、
アウトローが、読んでいる。と、彼は言う。

アメリカ人の大半が、ベトナム戦争でアメリカが勝っていると思いこんでいるんだよ。
新聞の多くが、ナショナリズムの強い洲新聞だ。
地方紙だから、なかには、勝手な、嘘八百を書いている、という。
ホントかネ。

「ホラ、変な広告もあるでしょう? 」

ーーーーアングリーフェイス、二ーデット。(villege news)

川添クンの話は、どんどんエスカレートしていく。

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赤ゲット70年代のアメリカをいく 02

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9月21日夜。

玄間で大きなコリーと、女の子が出迎えてくれた。
うしろに、200ポンド級の大女が、にこやかに手を挙げた。

その人は、上原君のル−ム、メイトだと、紹介された。
オイオイ、そんな大事なこと、早く言っとけよ。
またまた、ビックリした。

キャロルは3才。
なんとか、ピーチク、パーチクいいながら、
おれの膝の上に乗ったり降りたり、して遊ぶ。

「デイー」などと言って、字を習っているらしく、おれに書けという。
「D」ぐらいなら簡単だ。
ホラ。
キャロルの額をパチンと指で弾く。

いろいろ、からかっているうちに、キャロルが、「ドンバン」とか、「ノンバン」とか、口ばしった。
上原君に聞くと、それは、この辺のスラングで、ひどい差別語らしい。
要するに、日本語で言うと、よくいえば「バカ」ですかね。
涼しい顔、で上原君は解説した。


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大女の料理は、旨かった。
ロスのホテルや、レストランの絶望的な不味い料理を食べさせられていただけに、
お世辞でなく旨かった。

しかし、日本人の胃袋は、小さいのです。
いくつかの皿の、それぞれは、半分程残ってしまった。

「私の料理が不味いので、この男達は、沢山残したのか。」
緊張した表情の料理人は、上原君を、なじったらしい。
上原君は、「ノーノー」と、両手を上下、左右に
めちゃくちゃ動かしながら、弁明していた。
なんとか、大女を宥め、ほうほうの態で、ホテルに逃げた。


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9月22日

朝、9時。
きっかり、上原君は、ホテルに迎えにきた。
上原君の素性は、元、丸紅飯田の商社マンだ。
こちらに転勤で勤務中、気が変わり退職。
カメラマンをめざすべく今修行中なのである。
その道で食べられるようになるまで、領事館のバイトで食いつないでいるというわけだ。
その領事館に行く。

そこは、100階くらいのビルの、94階にあり、エレベーターで30秒くらいで着いた。
ちなみに、銀座のスポット商会の旧式のエレベーターは、5階まで30秒だ。
94階からのシカゴの眺めは、絶景だった。
ミシガン湖をひかえた森の都。
すごいというほか、表現を知らず。

領事館で休憩ののち、上原君が、取り壊し中のビルを案内するといい、現場に立つ。
これまた、凄い。


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上原邸で夜半まで過ごす。
明日、僕達はニューヨークに発つ。
現地での世話役を、上原君は、手配してくれていた。
そして、その人、画家の田辺三太郎氏に、電話しておかねば、と言い出した。

いま、ここシカゴは、夜半の1時だ。
現地、ニューヨークは、時差の関係で、夜半3時である。
電話は、不味いんじゃない?
「いや、芸術家が、夜中に寝ているはずがない。」
上原君は、そう言って、ニューヨークへ電話をいれた。
しかし、芸術家は、寝ていた。
そして、不快気に話している様子だった。
ニューヨークでは、われわれには、多少苦労が待ち受けているように思えた。


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そのうち、上原君は、昼間見た、あの壮絶な廃墟ビルの風景をいまから
撮りたいと言いだした。
でき得れば、ぼくら二人に裸でモデルになってもらいたい、と言う。
またまた、俺達は、仰天した。
ほうほうの態で、今夜もホテルへ逃げ帰った。
しかし、上原君は、貧乏だが、精一杯僕達をもてなしてくれたのだ。
しみじみ感謝しながら眠りについた。

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赤ゲット70年代のアメリカをいく 01

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 赤ゲットとはーーー

当然、ご存じでしょうが、蛇足に岩波の国語辞典を引いておく。

1、赤い色の毛布。
2、都見物のいなか者。おのぼりさん。 *明治時代に東京見物の地方人の多くが赤い毛布を羽織っていたから。
3、ふなれな洋行者。

とある。
ぼくは、3、のふなれな洋行者であった。

70年の秋、はじめて渡米した。
結構マジな、目的で出かけたのだが、その話は後日書く。
仕事の合間にとんだ赤ゲットぶりをやらかしていた。
そのメモが、ひょっこりでてきた。
写真は、その後何回か渡米した折のものも混じっているが、
話は、赤ゲットの当時の、とぼけた出来事である。


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9月19日

ロス着。
ヒルトンホテル。
チェック、インの手続きをしていると、団体の日本人客が、ざわめいている。
農協さんのグループだ。

「なんとか農協」の旗をたててる。
初体験のアメリカらしい。
みな高揚している。
太った外人の男の両替商が立っている。
年配の農協さんが、そこへ、つかつかと寄り、
円札を差し出して、
「イチ、ドール、チェンジね。」と、やった。

両替商、キョトンとしている。
異変に気ずいた添乗員が、駆け寄り、
「ワン、ダラー。ワン、ダラーですよ。」
などとあわてている。

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9月21日

タクシーで空港に向かう。
黒人の運転手だ。

運転手に、ロスはきれいな街だね、とみえすいた世辞をいうと
うれしそうな顔で、ぺらぺらと、早口で返事がきた。
トウキョウなんとか、カントカといったので、
イエスイエスと、あてずっぽうに返答したら、ポカンという顔をした。
友人の元村は、「東京は、雪か、って言ったんじゃないか。」という。
なにか、おれがとんでもない返事をしたのは確からしい。
シラケたので黙る。

ホテルー空港、6ドル、80セント。
チップ1ドルのところ3ドルあげた。
「サンキュウ、*%+#!!」
おおきな顔で笑い、金歯がきらきら光った。

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9月21日午後

シカゴ着
飛行機を降りたつと、出迎えの群れがあった。
2〜30人。

なんと、一番前にチョンマゲがいるではないか。
(いまはちょんまげは、べつに変ったスタイルではない。しかし、その時は70年である。
 そんなへんてこなものは、見たこともなかった。)

さらに、驚くことに、チョンマゲは、われわれに声をかけてきた。
仰天した。
これが、こののち、ぼくらが、大変世話になる、上原君であった。
かれは、領事館の文化担当で、2日間、ぼくらの世話をしてくれる手はずになっていた。

空港から、車で、市内へ。
シカゴは、欧洲風のシックな街だ。
すばらしい。
道中、上原君は、大きな紙袋に食料品を買い込み、自宅アパートに向かった。
アパートは、階段つきのファサードで二階建て。凄い。
「フランス映画で観たことがあるぞ。デヴィヴィエだ。」と、その時の、印象である。

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