ペット

猫町、幻想。

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猫町にはいる


萩原朔太郎の短編に「猫町」という作品がある。
旅人が猫達の構成する町に迷い込むというフシギな設定だが、
この物語をモチーフに、町の一角を猫町として幻想化する試みが、あちこちにあるそうだ。
そのひとつを覗いてみた。

どうせ、この不況のなかでの商店街の苦策だ。
お金もかけられないので、そうたいそうな仕掛けができるわけではないが、
その試みの熱意にこちらも乗らなければ、仁義にもとる。
できるだけ、猫町幻想に溺れてみようと思った。
それが、この数点の写真である。
フシギな建物、覗く猫や、ひそひそ囁く猫。
なぜかナマの猫は、一匹もいない。


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そもそも、猫は、犬などと違って不可解な動物である。
大半の人が、それぞれの猫体験をもっている。
猫というものは、
人間に媚びるし、従順を装うが、それは瞬時でしかない。
いつしか、あの金色の怪しげなマナコを光らせ裏切りを始める。
その魔性の生態は、多くの物語を産んだ。
ぱっと思い出しても、
「長靴をはいた猫」「鍋島猫騒動」「猫と庄三と三人のおんな」……
フシギ猫の、物語はいくつかすぐ、浮かんでくる。

久世光彦さんのエッセイを読んでいて、「猫町」の源流のような小説に出会った。
19世紀初頭、イギリスのアルジャーノン・ブラックウッドによって書かれた「いにしえの魔術」という物語だ。
主人公のアーサー・ヴェジンは、都会の喧噪に疲れていた。
ある日、山間ののどかなちいさな駅に降り立つ。
そこは、一世紀程昔に取り残されたような、古い町だった。
その町のたたずまいや、もの静かな人々の動作や会話にヴェジンはすっかり気にいってしまう。
心地よい弛緩。
たぶん、それは、燐光を放ち、秘薬の匂いが漂ってくる二幕目への序章だっだのだろうが。

2日、3日と経つうちに、かれは少しずつ首をひねるようになる。
この町の住民は、足音をまったく立てない。
なぜかジグザグに歩き、まるでそこえ行かないようなふりをして、突然、小径に走り込む。
……はじめは、奇異に感じていた住民の挙動動作にいつのまにかヴェジンは
親近感を抱きはじめる。
これから、なにかが起ろうとしたり、
起らなければおかしいというという気配に、ぼくは不安を覚えるてくる。
このあたりから物語はだんだん怖くなる。
ヴェジンは自分も町の人と同じ動作をしたくなる。
そして、なぜか、
いくら抑えようとしても、のどから奇妙な声が出そうになってくる。

ーーーそしてある夜、かれは町の道路や屋根を走って、
無数の猫達が、ヴェジンの宿の大ホールに集まってくるのを見た。
かれの目に浮かんできたのは恐怖ではなく、
たまらない懐かしさだった。
かれはとうとう、猫の声で叫んだ。
無数の猫達が、一斉にかれの方を振り仰ぎ、おなじ声で啼いた。ーーー

夕暮れ近くなった、山間の駅。
青梅発東京行きの電車に、ぼくはぐったりとして乗り込んだ。
気ずけば裏山が、巨大な黒猫の背中を思わせた。


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ワン・コイン・エッセイ、はじめます。

1

ワン・コイン・エッセイって何だ?
ハイ。
べつに、たいした意味はありません。

先日、シネマズ@シャンテで、ミッキー・ロークの「レスラー」を観たあと、
昭和風喫茶の銀座の「ウエスト」で、コーヒーを飲んでいた時。

きのうの昼さがり、麻布十番のスタバで、くつろぎながら、
向かいのおでんの福島やのおばちゃんの所在なさそうな表情を眺めていた時。

この、時間の「ゆるさ」は、たまんないな、と感じた。
つまり、ワンコインのコーヒーでくつろいでいる時、(実際には、ウエストは、ワンコインではないが)
こんな軽さで、エッセイ書けたらいいな、と思ったのが、ワン・コイン・エッセイの発想のきっかけだった。

なんでも、かんでも思いついたことを、「ねえ、聞いてくんない」
というタッチで、やってみたい。
ぜひ、つきあってください。

2

1、ぼくの動物園。

動物が好きでたまらないのだが、いつも集合住宅住まいなので飼えない。
だから、なま身の動物体験はこのところない。
少年時代、田舎の家では、母が、動物好きで、常時、猫が、2〜3匹ごろごろしていた。

ある時、知り合いが、
「犬好きの老夫婦が、飼っている犬だが、もう自分達は、老いて充分な面倒をみれない。
 可愛がってくれる人がいないだろうか、」
と我が家に打診にきた。

猫もいたが、嬉んで飼うことにした。
スピッツで、メリーという名だ。
飼い主の老夫婦は、メリーが可愛がられているか、、毎日、心配で覗きにきていた、とあとで知り合いに聞いた。
バス停に隠れるようにして、一週間ほど、眺めていた、という。

メリーは、利口な犬だった。下校時間にはいつも、玄関でぼくの帰る方角に向き、待っていた。
ぼくは、ひまがあればいつも遊んで過ごし、夜は、一緒に寝た。
時にくさい息をふきかけてきて、閉口した。


3
メリー


多摩センターに住んだ時、十姉妹の老鳥が迷いこんできた。
二年ほどで、病気で倒れた。
片目が白濁してびっこをひいて、ぼくの左腕をよろよろ這い上がり、
ほっぺに近寄ってきたときには、泣けた。
翌日、死んだ。


4
十姉妹のピーコ


鳥でも魚でも飼いたいのだが、
「生き物に情をかけすぎる」といつも妻にたしなめられる。
だから、それからは、おもちゃを観賞することにしている。
さすが、人が気持ちわるがるだろうから、抱いたりなんぞしない。
おもちゃの動物は、まずユーモラスなものがいい。


5


つぎに、可憐さや寂寥感のあるもの、威厳のあるものなど、
わりと、はっきり意志表示をしたものがいい。
なるべく、人の持っていないキャラがいいが、金にあかせて買う余裕もなければ、
コレクションなどの執念もない。

パッと見て、オモロイと感じたら、縁だと思って、財布の許す範囲内で買う。

フリーマーケットで数百円で買ったものもあれば、
植草甚一のコレクションが市場に出た時、すこし頑張って買ったものもある。
デパートの台所用品売り場でみつけたものもある。
いずれにしても、たいした金額のものではない。


宇都宮のインデイアンの、研究家で、皮革製品の制作をしている人を取材したことがあった。
その時、小狸の顔を張りつけたポシェットを土産に買った。
小狸は、かわいかったが、なにせ本物で、家内が、こわがったので、人にあげた。

最近は、親しかった故高橋隆雄弁護士の奥さんから「傍に置いてあげて」、と
遺品のカメの置物が送られてきた。
アフガニスタンの金化石の彫り物で、愛蔵していた、のだという。
カメは首がひょいと長く、高橋さんを彷佛させる
ひょうひょうとした印象で、朝いつも話かけている。
てな、感じで、わが家の動物園というほど大げさなものではないが、
あちこちにヘンな動物が、チョロチョロして、ちょっぴり楽しいのだ。

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