おもろい話

おもろい話、見た、聞いた。ちょっと古いものもありますが。

おもろい話07 〜ALWAYS「味」の人を求めて〜

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ALWAYS、三丁目の夕日。
60年代の人と風景が懐かしい。
もうすこし、年代をさかのぼると、三丁目の人達よりもっとパンチの効いた
タガのはずれた味のある人に出会える。

ぼくの、静岡の実家の近所に10軒長屋があって
それはそれはユニークな人物達が暮らしていた。
その一軒に、馬喰(ばくろう)のおじさんが住まい
朝から酒浸りのおもろい人だった。

仕事は、近辺の農家から牛や馬を預かり
それを曵きながら遠方の他県に、適当な売り先を見つけるという
ブローカー的商売をしていた。
まあ、「寅さん」である。

時に、売り上げた代金を飲んでしまい、牛馬を委ねた農家が嘆いている、
などという噂話が、村の中を流れた。
おじさんは、そんな不都合をおこしても、どこか憎めないところがあって、
また、別の農家が、おじさんに家畜の売却を依頼してしまうのだった。
 
おじさんには世話してくれる女の人がいた。
寅さんのように、家をあけて旅をして戻ると、時に新顔の女を連れて帰った。
しばらく、おじさんと女性含め三人の生活が、
続いたあと、もめもせずどちらかの女性が、すっと荷物片手に家を出ていった。
そんなことが3〜4回あって、母親のちがう子供が三人生まれ、
僕達も別に異和感をもたず仲よく遊んでいた。

現代の暮らしぶりが、秩序的に変わり、それはそれでしっくりしているのだが、
時折、三丁目の夕日の風景に、リセットしたくなるのは、なぜだろう。
 
街を歩いていて、味のある人、味のある風景に出会うとなぜかホッとした気分になる。
 昭和前半の人達、エラの張った濃い顔が少なくなり、
年々、顎の細い瓜実顔の美しい人が増殖して、濃い「味」が薄くなつてきたのは寂しい。
美しい、が増えるのは嬉しいのだけど、「味」もね。ということ。


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平野威馬雄さんは、平野レミさん(シャンソン歌手で料理家としても活躍している)の
お父さんである。

フランス文学者だが、お化けを守る会なんていう会をつくる変な人でもある。
この人に会ってみたいと、かねがね思っていたが、
会ってみると、予想どうり破格な面白い人だつた。
 
話の途中で縁側から庭にむけて、ジャーっと、小便をはじめたのにはたまげた。
子供そのままを、温存しながら学者になってしまった人である。

ちなみに、おなじように落ち着いていられない人に、漫画家の久里洋二さんがいた。
麹町のマンションの事務所に、アトリエが二箇所あり、
話していても、退屈するとさっと別の部屋に逃げる。
一度、助手に捕まえさせてじっくり撮影したことがあった。


Hirano

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「人生の大目的」なんてヘンテコなもの持たなくてすんで、良かったァ

日清戦争のあとでみんないばってた


エーっと、なにをお約束したんだっけな。
えーっと、えーっと。
(格子戸を開きながら)
えーっと、なんだっけな。
あぁそうだ、インタビューだ!(大声で)

おかーさん!お茶ぁ!
ボク、あなたのね「就職なんとか」といかいうのね、
原稿かくのかなぁ、やりきれないなぁって気に病んでたんだけど
インタビューでよかったなぁ。
書くの、面倒くさくてやりきれないんですよ。
よかったぁ。
(せかせかと煙草に火をつける。その間こちらは手短に質問の要旨を話す。)

えーっと、生い立ちか。
うーん、ボクは父親がフランス人で、母が日本でしょ。
少年時代っていえば、日清戦争で日本が勝って、みんないばってた頃でしたよ。
だから、外国人と日本人の間に生まれた人間を蔑視するわけですよ。

ボクは横浜にいたんだけど、横浜のように比較的外国人の多いところでも
母なんか洋妾て言われてたもんですよ。

ボクもよくいじめられた。
それで母がいろいろ探して、混血の子がいる暁星学校へ入れたんです。
ところが面白ぇんだな。
混血ってぇのは。
互いに反発しあって、遊ばないんですね。
決して団結しないんですね。

(突如大声で)
オカーーサン!あ、イイヤ、イイ、お茶は自分でいれよう。

ボクは文学書ばかり読んでたんだ。
父は学者でね。
英、独、仏、ラテン、ギリシャ…。
とにかく23カ国語に精通してたんですよ。

それで月曜から日曜まで毎日ボクは違う国の言葉でしゃべらされたんです。
これは、たまりませんよ。
でも、なんにも知識欲のない頃から憶え込まされて、なんとなく
語学ができるようになっちゃった。

(煙草の火が畳の上にあったひもについた)

あっ!火がついてる。

(あまりあわてた様子はない)

あ、消えた。

えーーっと、なんだっけ。
あ、それから外語、上智と通ったんだけど、外国語を知らないやつに
レベルを合わせてるから面白くなかったな。


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お化けもUFOも面白いから


それでなんのひょうしにメチニコフを読んでるうちに
乳酸菌の研究をしたくなって、京都大学の農学部にはいっちゃった。
2年間、これをやったけど
やっぱりこんなもの性にあわなかったな。

結局その前に、18の時、新潮社でモーパッサンの短編集を
訳してたりしていたもんだから、やっぱしフランス文学へ戻ってきたんだな。
面白いものを書いたり、スケベなものを書くと人が喜ぶからネ。

それで生活ができたから、人生における大目的なんて
へんてこなものをもたないで、
その日、その日を楽しんで今日まできちゃった。

お化けでも(彼はお化けを守る会の会長でもある)
UFOでもオカルティズムでも、面白いからやったんだ。

混血の子も家ん中へゴロゴロさせていてね。
しょっちゅう面白いことが起こった。

いつだったか、どっかの警察署長だったか、自分の子に
青い眼で赤い毛の子ができて、これは職業上恥ずかしいということで
物置に子供閉じ込めて、2年も3年も外へ出さなかった。

それで母親がノイローゼでボクのところへ飛び込んできた。
死にたい、ってね。
ボクが馬鹿話をしてやったら明るい顔になって
堂々と親父のところへ出かけて、子供を救い出して一緒に住むように
なったってことがあった。

一文も使わないで、こんな面白い芝居みたいなものがみられるなら
パチンコやるよりよっぽど面白いや。


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死を持つ権利は誰でも平等だ


世間では、ボクのことを人道主義だ、ヒューマニストだなんていうけど
こいつが面白くてやってるんで
この頃なぜやらなかったっていうと、混血のやつらみんな家へ遊びにきやがって
女の友達とキスしやぁがって、ここを逢い引きかなんかの場所にしやがる。
なにも、こんな奴らのためにしてやることはなくなったんで
面白くないからよしちゃったんだ。

(台所のほうから奥さんの声)
ーーーお父さん、あのネ、12チャンネルで11時から再放送ですって。

あっ!
そりゃいいや。
あんた(私に)見てくださいね。
ボクの出たの、テレビでやるんですよ。

オイオイ、オカーサン!
(台所へどなる)
アーゥ!(大声)。
バカヤロ。オカーサン。

ーーーハーイ(玄関のほうから声あり)

なんだ、そっちか。

ーーー今、おむつやさんが来ているんですよ。

ナ、ナンダイ。
オレがおむつするわけないじゃないか。

エーッと
ボクの人生のモットーは面白いことをやるということですネ。
ただ一つ困ることは死ぬことですよね。
生まれたってことは、同時に死ぬことを約束されているわけで
天皇陛下から山谷のアンチャンまで死をもつ権利は平等ですよね。


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みんなひとりであの世界へ行く


死がイヤだというのは、死んでどこへ行くのかわからないということと
愛する者との別離がつらいからなんだよね。
そして、あの世界を知ろうとするとすぐ仏教だのキリスト教だの
のこのこ出てきていいことをすれば極楽の、悪ければ地獄のって
気休めみたいなことをいってるが、
ハッと目覚めた時のさびしさったらないですよ。

哲学だって無力だし、十万億士といわれる、あっちの世界へ行くのに
誰も道案内をもってないんですね。
しかし、絶対確かなことは、お化けがいてこれは死んだ世界からでてくる。
だから、お化けをひっつかまえてだまして、死んだ人間がどこへ行くのか
なつかしい親達に会えるのか、と尋ねたいね。
お化けは悩んで出てくる
だから悩みを聞いてやって供養してやる。
そうした上で、さぁ、今度はボクらに教えてくれ。
教えてくれるまでお化けの会をやろうというわけだ。

(突如)
オカーサーーン!!
テレビ、始まるかな。


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母の足駄に梅の花びら


ボクはあとにも先にも1回だけ婦人クラブってので編集長やったんです。
表紙が竹久夢路の版画でね。
ボクが夢路に原稿料やってたんですよ。
それを3ヶ月ぐらいやって、軽井沢へ行って帰んなかった。
やんなんちゃってね。

オカーサン!
やるぞ!あと2分だぞぅ!
ションベンして帰ってきて間に合うかな(席を立つ)。

……

まだかな。
ションベン途中でやめてきたからここでやっちゃおう。
(ガラス戸をあけて、庭に放水する)

さぁ始まったよぉ!(テレビが始まる)オカーサン!
あぁ北松戸、うちの門だ。
いたいた、ボ、ボクだ。

……


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その番組は終わりに近づいた。
彼の誕生パーティのシーンが映し出された。
彼の詩が誰かによって朗読された。

「母の足駄 平野威馬雄」

母の足駄の片っぽが
春のぬかるみ、つけていた
母の足駄の片っぽに
梅の花びら、ついていた
母の蛇の目を陽にすかし
紫色の空をみた
母の蛇の目のなつかしや
にぎりに巻いた竹のつや
いつまで母の白粉の
においが残って、小半日
僕はメンコの自雷也と
さびしくなにか話してた。

朗読にモダンなリズムとメロディがだぶって
感傷にひたらせた。
「ばばあが、ボクを叱ってばかりいたから、ボクは子供
 一度も叱らなかったんだ」
などと亡き母に悪態をついていたこの人が
なんと小児のように神妙な顔をしてテレビに見入っていた。


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おもろい話06 〜およげたいやき爺さん+麻布十番〜

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およげたいやき爺さん+麻布十番

たいやきの浪花屋、麻布十番本店。 
いつも客が数人並んでいる。
「ナニ?30分待ちィ?ふざけんなよォ。」文句言い言い若者も並んだ。

「まいにち、まいにち、ボクらはテッパンのオー」
というあの唄のモデルは、ここのたいやきだそうだ。

作詞家の高田さんが、この店の前を通るたびに、
ガチャガチャと、はさみのお化けのようなテッパンを、
リズミカルにひっくりかえしているのをみて、作ったのだそうだ。
だから、ここの主人のかんべさんに、「泳げ、たいやき爺さんだね」というと、
えへへと笑った。

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この麻布十番は、ちょっと下町の商店街の匂いがする。
この町を20軒ほど取材して、思った。都心のど真ん中にありながら、どうして下町っぽいのか。
しばらく探索を続けよう。

ここは古い歴史町らしく、老舗が多い。
商店主同士もガキの頃から知り抜いた仲だ。
よその店の批判もポンポンでてきて小気味いい。
「あの店は、いま三代目だが、先代みたいにやる気がないねえ。」とか
「自分の商売は下手なくせに町の役ばっかりやりたがる。」などと
歯に絹着せぬものいいで、面白い。
かんべ評も、大半が好意的だが
「お節介でうるせえおやじだ」とけなす人もいる。

ズケズケ言い合えるのも、互いに知り尽くした仲だからだろう。
壁に耳をたてるような噂話も多く、腹をかかえてしまう。
原スーパー店主のおばさんは、ぽぽたーじゅで、必ず雑煮を食べる。
そんな話を聞きこんで、現場でその人を捉えた。

彼女は、なかなかの人気者、町の主のような存在らしく、噂話もメジャー級だ。
「志村けんの仲良しが、あの店のマスターだよ、」とか
「グッチ裕三の、料理の指南役は、ミスター、ガーリックのおやじだよ」とか
週刊誌級に詳しい。

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はじめて、たいやき屋のかんべさんをみかけたのは、
5年前、スタバでコーヒーを飲んでいるときだった。
商店街を足早にゆく、この人をみた。
TVや雑誌でおなじみの顔だ。
ちょび髭に蝶タイ、赤いチョッキにコック帽。
派手だナア。
みんな振り返る。
たいやきという商品のどろ臭さと、かんべさんのいでたちのバタ臭さとのミスマッチ。
なんだろう、あれは。
だがそれは誤解であることが、あとでわかる。

かんべさんは戦時中、俘虜収容所に閉じこめられていた。
そして、戰争が終わり、解放の時がきた。
しかし、喜びの反面、自分は敗者の立場だ。
これからどうなるのか不安だった、という。
すると、米軍の将校は、こう言った。
「さあ、君達、ゲームオーバーだ。これから仲良くやろうぜ。」
かんべさんは、この言葉にしびれた。
外人は頭の切り替えが、はえーや、そして明るいわ。
そう思ったかんべさんは、自然に欧米贔屓に、
そして、ライフスタイルも、洋風に変っていった。

関西生まれで、和風、田舎風なたいやきだが、
ありがたいことに外国人にとても好まれるのがわかった。
外人客が来る来る。
例のイタリアのモダンおやじジローラモさんは、
ドルチェ好きで、味にこだわる人らしい。
この人が「日本ですごいドルチェを見つけた。
たいやきだ。
それも浪花屋のたいやきだ。」と、絶賛してくれたんだ、
と、かんべさんは、胸を張る。

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田舎クサイたいやきとモダンかんべのミスマッチが誤解だった、というのは、そういうこと。
たいやきも美味いが、かんべさんも味がある。
いろんなメデイアが取材に来る。
「何百回きたか、わかんないね、月に10本くらいうけるかな。」
というから、すごい人気だ。

そのなかでも、かんべさんの自慢は、ジャパンタイムスの取材だ。
タイムスはこう書いた。
「大正期になんと150店を経営していた企業がある。
 たいやきの浪花屋だ。
 ケンタッキーフライドチキンが始めて日本でチェーン展開をした時、
 それより100年近くも前に日本でチェーン展開していた
 たい焼きやがあったのだ。」
と誉めた。

さらに、驚くことに、ももひきに荷車の走る当時
営業権と製法の商業登記をしてあったというから
その先進性にタイムスも驚いた、という。

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ぼくの取材の終わりしな、かんべさんは、姿勢を正してこんな話をした。

「あるやんごとなき方が、おみえになって、たいやきを、お召しあがりになった。
 ああいう方は、われわれ庶民とは、ぜんぜん食べ方がちがうね。
 じつに優雅にめしあがった。」

「島津貴子さんでしょう。」
ぼくは口を挟んだ。
有栖川公園で散歩されているのを、おみうけしたことがあって、あてずっぽうにそう聞いたら、
かんべさんは、口に人指し指をたてて神妙な顔をした。


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かんべさんは、ちょび髭で、十番の広告塔のような役割を果たしているが、
それだけじゃないよ、といいたい。

かんべさんの先祖は、寛政年間、
東本願寺の再建の奉仕をした大津屋庄兵衛という人だ。
その記録「金剛一統志」の古文書をかんべさんは、鉛筆なめなめ現代語訳した。
奉仕の精神は、家系なのだろう。
かれもいろいろな福祉施設にたいやきの慰問を続けている。

しかし、まあ、あのたいやきを30分待てないという人には(私もそうだが)
すぐ近くの月の家の黄金焼きも別種の味だが、美味しいよ。

十番は、ヘルシーで、おいしい食べ物屋が多い。
やきとりの鳥章の材料へのこだわり、福島屋のおでんも、手作りで旨い。
練り物は、おやじが毎日丹念に魚をたたいて作っていた。
洋食のエドヤのオムレツ、丁寧で昔の味。
彦麻呂的にいうなら、麻布十番の食べ物屋は、
「健康優良児の味や」、というところか。


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おもろい話05 〜青春どすこい〜

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青春どすこい

名門、出羽の海部屋にお邪魔した時の写真です。
かなり前のこと。
あの時、頬っぺから湯気を立たせた少年達が目に浮かぶ。
その少年たちも、いまはどうしているだろうか。
その頃、べそかいたり、故郷へ長電話をかけたりしていた彼らが懐かしい。
 
昨年、しごき事件で一躍相撲部屋が注目されたが、
私が取材した折の少年達は、部屋も、大学の合宿のようで、
みなユーモラスで倔託がなかった。


きびしい修行めいた、集団生活の一方、そんな明るさを保ち得ているのは
やはり、希望という名の青春を生きているからだ、と思った。
 
遊び盛りだけあって、いちばん欲しいのは自由デス、と彼らは言っていた。
ほとんどが、親や知人のすすめで入門してくるそうだ。
好きで入門するケースは少なく「ま、やるだけ、やってみよう。」と、
先のことはこだわらず、あっけらかんとしている。

しかし、どの部屋でも、逃げる奴はいるそうで、

「うちでも、いたよ。寿司屋の息子で、親から3年修行してこいって言われて、
 10ケ月頑張ったけど逃げた。オレが、自動車教習所で、ハンドルにぎって、
 ふうふういっていたら、奴がバイクでやってきて、
 『オーイ、おまえも逃げろ。』なんて笑っていたけど、すぐ、つかまって戻ってきた。」

稽古がきついだろうっていわれるけど、一時間くらいで終わっちゃうから、
サラリーマンが、さて働こうかといってる時間にこっちはソロソロ昼寝しようかってんだから、
大変でもないよ。

土俵の塩は、しょつぱいというよりカライんだ。
あれを噛むと背骨がしゃきっとする。なめくじみたいだったからだが、シャンとする。
ヨシ、かあちゃんがんばるぞ、なんて、気合いいれてやるわけよ。

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相撲のおもろい話、聞きたいと思ったら、やはり、田子の浦さんでしょう。
本音でしゃべり、しかもユーモラス。
伝統だの、国技だのって堅い話じゃなくて。
この人の泣き笑い相撲人生を話してもらいました。


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(田子の浦)ーーーー

エーっと、生まれたとこから言うの?
千住。
子供のじぶん、両親が急に死んじゃって一人ボッチになっちゃってね。

で、からだがデカイからって、人にもすすめられて、相撲の世界にはいったってわけ。
14だった。
当時はネ。
拳闘もレスリングもなんにもなかったから、われこそはって、
腕っぷしの強い奴はみんな相撲取りになったんだ。

相撲社会ってのは、一段違うと虫ケラだ。
一枚違うと殿様と家来だって言われるくらい待遇が違ってネ。
 
師匠が真っ白い大福もってきて、「オイ、この大福は真黒だなア」って言やあ、
イヤ真白ですって言うもんは絶対いないわね。

とにかく序列の社会だ。いいもの着たり、うまいもの食いたきゃあ、強くなれと。


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だから、ぶったたく、けっとばす、そりゃ大変なケイコだった。
当然、逃げちゃったのも多かったね。
俺は、逃げたくても帰る先はないし、ここにいようにも相撲は弱いし、
毎日どうしたらいいかってクヨクヨしていたネ。

東京の生まれで、大きいもん一つ持ったこともなくて、
体ばっかりデカく、ブヨブヨしてたんだから弱いワケだよ。
だから下積みも長かったア。

冬の寒い日なんか、部屋がすぐ両国の川っぷちだったから、
雪の降る川を眺めていると、前が柳橋の料亭でネ。
ドンチャン、ドンチャン飲んだり騒いだりする声が聞こえるわけよ。
 
俺は、相撲とったってダメだし、ほかは何もできないし、
ほうり出されたら、どんなとこへ寝るんだろう、
とそんなこと考えていたら、悲しいやら、なさけないやら。
 
人生、川ひとつへだてれば、こんなにも違うものかとつくずく思ったネ。


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しかし、16、7になってみて、
結局、俺はこの世界に食らいついていなけりゃあ
他にできるものはないんだからと悟って、さみしいとか辛いとか思わないようにした。
 
馬鹿なこと言ってみたり、ふざけたり、すごくケイコしたり、
つとめて暗かった性格を明るく変えようとしてみたんだ。
それからだった。あいつア、相撲取りン中で一番面白いとか、
朗らかだとか言われるようになったのは。

そんなことをしていたら、番付けもどんどんあがっちゃって、
なんだ、やれば出来るんだナってことがわかった。


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途中で、兵隊にとられたけど、普段なぐられたり、けっとばされたりしていたから、
軍隊なんて遊んでるみたいなものだったネ。
同じ隊へ入った連中は、辛いって泣いているんだよ。
そんなのが不思議でネ。
あんた達こんなもの辛かったら、相撲社会なんて一日もいられないよって言ってやったネ。
 
三役にあがるときかな、落ちるときかな、
ちょっと面白くないことがあって横綱とケンカやっちゃって、
この野郎って思ったのネ。
そうしたら今まで、ケイコやってて一度も勝ったことがなかったのが、
翌日申し合いやったら、五番やって四番勝っちゃった。

この野郎!って気持ちをもつと、自分の力以上のものが出るんだね。
自分でもビックリした。
相撲なんて、そんな気力が大事だね。

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相撲の世界にいて、辛いことって二通りあった。
ひとつは、俺だけのことだけど。
激しい稽古なんかじゃなくて、それよか精神的なもののほうだったネ。
 
たとえば、夏になると親兄弟のある者は浴衣を送ってくる。
冬になりゃ足袋だ。
それをみんなの前で開くんだナ。
そうして
「こんなもの送ってきたって、田舎の宿屋の寝巻じゃないか。
 みっともなくて着れるかい。だれか着ろよ。」
って得意そうにほうり投げるんだネ。

親兄弟がある奴はいいや。
こっちは横目でみてて、それが辛かったワ。


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もうひとつ。

相撲社会にはこれだけは耐えられない、ということもあるんだヨ。
幕の内あがって、若い者三〜四人つかって背中洗わせたり、尻はらわせたりしている。
そのうち、自分が幕下に落っこっちゃって、
こんどは、自分の使っていた奴が関取になったりすると、逆転だ。
 
そいつがめしを食い終わるまで、じーっと待っていなくちゃあならない。
それは昔も今もおんなじ。
そんな時のみじめさったらないネ。
だから引退ってのは、体力の衰えだけじゃなくて、
そいう屈辱に耐えられなくなって、ということもあるわけだ。

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若秩父という若い力士がいた。
俺と取る時、塩を大にぎりにつかんでパッと土俵いっぱいにまくんだ。
だから、おれは、指先でつまんで、チョビッと落とす。
すると、館内が爆笑の渦だった。
あいつが、23〜4で充実して下からあがってくる。
こっちは34〜5で下り坂。
同じ力でぶつかったって本当は勝てないんですよ。
 
お客が、ワーってわいてくれることによって、相手が動揺する。
そこをつけこむわけだ。
だけど、客は出羽錦(当時のしこ名)の野郎トボケてるなんて思ったらしいネ。
年とるとネ。もう体力がなくなるから色々、策を考えるんだヨ。

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引退するまでに、胸を合わせた横綱は10人くらいだったかねエ。
中には立ち合い前にドキドキして、胸ンとこの筋肉がピクピクしている奴とか、
仕切る時にハーッと下むいちゃう奴なんかいたな。
そういう奴は、あまり強くなかった。
そら、あのxxね。
知ってるでしょう?
あれなんかそうだった。
名前ちょっと言えないよね。

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ーーーーーーーーーーーーー


田子の浦さんの面白い話を聞いて、帰り道両国を通り、下町にある自宅に帰った。
両国、深川界隈は相撲部屋が多い。
時折、ちょんまげで、めがねを掛け、半ズボンで自転車を漕ぐ、若い力士を見かける。
ぼくには、それが自然な風景だ。

のたり松太郎や、田中クンの姿が、いつも若い相撲取りにダブル。
どういうジャンルのアスリートよりも、彼らに人間味を感じてしまうのは、
どうも、ちばてつやの読み過ぎのせいかもしれない。

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おもろい話04 〜金原亭馬生、こころに残る人。〜

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金原亭馬生、こころに残る人。


馬生師匠は、古今亭しん生という、天才にして生活破たん者といわれた人の長男である。
ぼくが、馬生師匠に興味をもったのは、長男で大変な苦労をしたというところである。
ぼくも長男で、苦労したわけではないが、長男のマインドは、よくわかる。

「就職情報」の高塚猛編集長の、どなたでもいいから、あなたのお好きな方をインタビューしてください。
というご好意で、まず会いたい人は迷うことなくこの人に決めた。

お会いした。
やはり、会ってよかったと思える人だった。

ーーーーーーーーーーー

人生てぇのは、本気でやるとくたびれる。
イイヨ、イイヨで借家住まい

エーッと、駅をおりて、谷中の崖下をあるいてみてください。
するってえと、一天というキタネエそばやがあります。
そこを左へクネクネした道をしばらくいきますと、すこしヨロケタ黒塀がありますが、それが拙宅でございます。
いい酒がありますんで、それでもやりながら、お話をうかがいやしょう。

ーーーという馬生師匠の電話の道案内で、小雨の降る日だったが、少しヨロケた黒塀のお宅を探した。

師匠の道案内口調を頭の中で反芻していたせいか、なにか風景が現実離れして、小咄の世界のようだ。
クネクネした道に面した家並も、黒塀も、今日のものではない。

裏木戸のような表門はピタリと閉ざされていたが、小さなベルがついていた。
それをヒョイと押すと、カラコロと下駄の音が鳴って、絣の着物でひっつめ髪、
化粧っけのない奇麗な女の人が、ニコリと笑って顔をのぞかせた。師匠の奥さんだった。

通された四畳半には、オコタが据えてあって、古い茶箪笥を背に、師匠がきちんと座っていた。ーーー


ーーーーーー

ああ、柱曲がっていますけど、マア倒れはしないでしょう。これでもみようにとっては風流ですよ。
井戸なんか掘りゃあ、すばらしい水が出るし、庭のそこいらにパン屑まいておきゃあ、雀があつまってくるし、
こないだあガマ蛙が大発生しましてネ。裏口から入って来たら、パチンなんて踏んずけちゃった。

キタネエ借家だけど、イイヨ、イイヨ、ここにいようよってわけで、狭いとこだが、大家族でイッパイだ。
だからあたしのいるとこは、この四畳半しかない。イイヨ、イイヨってんだ。

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末広亭前の正朝さん


孤軍奮闘、二ツ目どき
あたしの生まれたとこは、笹塚らしいですよ。貧乏してエたおやじ(古今亭しん生)が、楽屋でもって、
家賃のいらないうちがあるよって聞きこんできた。
早速、そこへ越そうよってんで、夜中、よそが寝しずまった頃をみはからって逃げたらしいですよ。

そこが本所で、家中、ナメクジだらけのひどいとこだった。
なにしろタダだから。
大家さんが、あたしをみて、この赤ン坊は、届け出したのかい。
まだかい、フムフムそりゃあいけないよってんで、届け出したのは、昭和3年1月5日なんですネ。
戸籍にのっているのはこの日なんだが、おやじは、ずっと前の、すごい暑い日に生まれたんだ、
なんて言っていましたから、夏なんでしようねエ。

17ンとき舞台にのぼったんですが、
四代目の小さん師匠に言われて、前座をとびこして、いきなり二ツ目にでたんです。
昔は、大看板になった人でも食えなくなると、又、前座に戻っちゃうんですよ。
前座は、定収入があって、出銭はいらない。もらい専門だ。

真打ちでござい、看板でございって言っていると、夏は、浴衣配ったり、暮れにはお歳暮を出し、
春は新しい紋付きを着て出なくちゃならないとか、収入の何倍かの出費がかかったんですよ。
だから、年とって、くたびれちゃって、やめたアってんで、前座に戻っちゃう人が多かった。

だから、前座は大勢いるからってんで、若いけど、お前は二ツ目で出なよって。。。。。。
で、出て後悔しちゃった。まず前座があがるでしょ。
前座だって、二代目春錦亭柳桜までいった大看板がやったりするんですよ。
いくら落ちぶれたって、そこまでいった人ですからね、ウメエナアって思いますよ。
そのあと、こっちは紋付き着てあがるわけですが、ワレながらヘタだナア。

そして、おりてからが大変だ。
めくりをめくったり、座ぶとんひっくりかえしたり、たたけない太鼓も、みようみ真似でたたく。
「そんな太鼓でもって、三味線が弾けるかい」ってんで、下座さんにバチで頭なぐられたりする。

その頃、新内なんてのがあって緞帳をおろすんですが、昔はひもで引いた。
それを、拍子木と両方同時にやるんですよ。
ひもを帯んとこへ結えておいて、手はチョンチョンと拍子木をキザみながら、さがっていって自分
の体重で幕をおろすんです。
するってえと胴をしめられるからワアッと気持ち悪くなってネ。
そんな時に、お茶もってこいなんて言われると、ハリタオシたくなりましたネ。

そんなにやっても待遇は二ツ目です。
前座は、定給があるんですが、二ツ目は、割といって客が一人はいると、一銭いただくてな具合になっている。
一銭が十年以上続きましたかネ。
三十人て時も多く、あたしみたいに頭の悪いもんでも、いくらもらえるかわかりますよ。
これで一家五人が食わなきゃならないと思うと、ゾッとしましたね。

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ニコニコ笑っているのは末広亭だったか他の寄席だったか不明だが
呼び込みのおじさん

タクアン食って、必死の芸。

地方へもよく行きましたネエ。
博多でしたか、昔は地方に寄席がたくさんあって、そこへ寝とまりして演るんです。
そこの寄席の前に雪が降って、それが解けて、ザーッて、池みたいになっちゃった。
だから客はこないし、そうするとお膳の上が変わってくる。
メザシとごはんとみそ汁がついていたのが、メザシが消えちゃってタクアンだけになっりする。
そういう時に必死でやる芸はいいですよ。
客だってワイワイしていないで、本当に聞く気のある人が集まってくるからこっちも本気でやる。
そういう時代もあった。


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鈴本演芸場のハッピを着た呼び込みのヒゲおじさん

あれも嘘、これも嘘。

西へ巡業に行った時、広島へ新型爆弾が落ちて、もう日本も駄目だなアなんて、噂しながら、
こんなんなった汽車に乗ってった。
トットコ、トットコ広島に近ずくにつれて、何か異様な雰囲気で汽車中シーンとなっちゃった。
外をみると、景色が違うんですよ。
今まで青かったものが、茶色に変わっちゃっててネ。
駅へ汽車がサーッてはいっていったら、広島って字だけ焼け焦げていた。
そこへ、うっかりさわったら、腕なんかとれちまうような、骨まで出た人がヨロヨロっときた。
みんな、持ってる救急袋をあけて、ほれ、あれがいいってんで出した。
てめえたちが食うものもないのに、食べ物やったりして。
汽車なんぞ、ずっと動かない。汽車動かせなんて誰も言いません。ーーーーーーー

これは、嘘の風景である。
こんなことは、絶対、真実じゃあないと思う。
ただそういう経験なのか、夢なのか、あったのかなあ、と思うだけの話ですよ。
あたしの許嫁は、空襲で黒焦げになって死んじゃったけど、あれも嘘であると、
そう思うよりしょうがないですよ。
だから、今はなーんの欲はない。
おいしい酒を飲んで、おいしい人とつきあって、いつまでも生きねえからって言っているんですよ。
われわれ年頃のものは、こうやりゃあ得するってことがわかっていても、できないんですね。
うちはオヤジがデタラメだったからね。
家中で貧乏し尽くして、そんなかで助け合って生きてきて、やれやれと思った時は、もう手遅れですよ。
だから、遊び下手。遊ぶことを知らない。
疲れ果てちゃったんですよ。
人生なんて、本気でやるとくたびれるもんですよ。
もうすこしたつと、馬生ーーそんなものはいなかった。
あれは、嘘ですよってなことになるんじゃあないですか。(談)

ーーーーーーーーーー

このインタビューのあと、1982年9月13日、馬生師匠は、食道癌で亡くなった。
狭い茶の間。
おこたを前にして、差しで、この人のすごい話を聞けて幸せだった。
師匠の、得たいのぞみは、おいしい酒と、おいしい人、と話していたが、
苦難の境遇と誹謗をくぐり抜けた人生の、しみじみとした結論なんだな、と、あとでよくわかった。

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おもろい話03 〜小さん師匠、今朝、おちゃ漬け食べたの?〜

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 小さん師匠、今朝、おちゃ漬け食べたの?


 ライターの都築千穂さんと、目白の小さん師匠のお宅にうかがった。
「朝、早くきてくれ」ということだったが、師匠は起き抜けで機嫌が悪かった。
千穂さんは、ちょっと困っていた。

 ぼくは、富士ゼロックスのグラフィケーションに掲載されていたある記事を思い出していた。
それは、2.26事件の時の小さん師匠の体験談のことだった。
その記事の趣旨は、こういうことだった。

 2.26事件というのは、ご存じ、兵の反乱事件である。
同日、小さん一等兵は、なにも知らされぬままに、反乱軍として行動させられていた。
あっちへいけ、こっちへいけと指示され何が何だかわからず、一日中、ウロウロしたらしい。
師匠の、強烈な印象は、当日、弁当が支給されないため、腹ぺこでたまらなかった、ということだった。

 その、個人的な苦痛のこまやかな描写が、期せずして、特別な日を雄弁に語ることになったというわけだ。
記事の筆者は、今に残る2.26事件の記録がなぜかみな客観描写的で、リアリテイに欠けるものが多いなかで、
小さんの個人的体験が、実にその日の空気感をいきいきと伝える唯一のものだ、
といった趣旨の文のように、ぼくは記憶していた。

 その話を師匠に紹介した。
すると、不機嫌が一変。
「そうかい。なるほど。」
「ところで、あとで、剣道でもやろうか。写真撮るかい。」
ということで、じっくり取材できた一日でした。

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おもろい話02 〜立川談志、獏の人〜

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立川談志、獏の人

談志師匠には取材で、4〜5回お会いした。
大泉のお宅にも、おじゃました。
広いが薄暗い部屋。
でかいテーブル。
ここで弟子達と食事したり、人と会ったりするのだろう。
政治家時代の裏話も、聞いた。
無防備にポロッと、とんでもない出来事をしゃべってくれた。
でも、内緒。

純粋で、あっけらかんとした人だから、汚い政治の世界には棲めなかったんだな、と思った。
さかのぼる師匠の青春時代、月刊town誌の部屋で時折見かける師匠は、
寺山修司などの論客と一緒に、いつもエンジン全開のようにみえた。
ぼくが、インタビューでお会いする頃は、かなり棘がぬけていた。
ぼくの勝手な思い込みだが、獏のように、なにか無形のものをむさぼる人だなという印象がある。
すべてに達観しているのかな、と思ったりする。

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おもろい話01 〜落研の人。〜

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落研の人。

この写真を見て下さい。
駿河台の明大。
学祭で、落研の連中がデモンストレーションしてる。
たぶん20年以上、(もっと前かな)の風景です。
よく見れば、どこかで見たことのある人がいるではないか。
気がつかなかったが。
コント赤信号?
この写真に写った頃、きっと彼らは、今日の姿を確信していたことでしょう。
夢。
青春っていいもんだ。
なにも知らずに撮った写真だが、結果彼らの青春を記録したことになる。
彼らが、喜ぶか、嫌がるか、わからないが、ちょっと楽しくなった。

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