ブルースが聞こえる

ロバートフランク写真集「私の手の詩」制作ドキュメント。70年アメリカ行き@ある男の人生を賭けた話。写真は当時のもの。

ブルースが聞こえる 10

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最終章。 
 

元村という一人のフリーターが、一念発起し、多くの人達に助けられ、
大きな仕事を成し遂げた。
 
その過程で、かれはグングン大きくなった。
ぼくは、この仙人のおかげで、豊かな夢をみさせてもらった。

これら一連の、ぼくらの孫悟空のような、
奔放な、動きには批判もあった。
 
とくに、スミスの招聘については、ぼくらの知らぬ問題があるらしく、
JPSの渡辺会長から、こっぴどく叱られた。

 
この辺が、ぼくの身をひく潮時だった。
ぼくは、元村と別れ、自分の生活に戻った。
 


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N.Y.で撮った写真の、展示の準備、
予定の仕事も遅れおくれになっていた。

スミスは、アイリーンと結婚し、二人で水俣で最後の大仕事をした。
スミスへの暴行事件が、報じられ、皆心配したものだった。
 
森永君の「どぶ」も、元村の手で、写真集になった。
元村は、義理と感謝を忘れぬ男だ。
「どぶ」は、売れたのか? 聞いてみた。
 
いや、売れなかった。
だから、
「フランクの写真集の注文が来たとき、どぶ、をくっつけて売ったよ。」
元村らしい売り方だった。
兄に借りた1000万は、どぶに捨てずに済んだ、ようだ。

1970年。
どこへいっても、ぼくたちは人々に助けられた。
なんで人は、こんなにやさしいんだ。

2009年。
40年近く経つのに、なにも変わらず、時間が流れる。
フリーターが、突如、変貌し、人生を一変させる現象だって同じだ。
やはり、人生とは、焦らず、いい仕事と、いい人との出会いを待つことなんだなあ。

おーい。
元村、がんばってるかあ。

                     


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ブルースが聞こえる 09

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ジューンと、スミスと、セントラルアパート。 


元村は、フランク氏を、お礼に日本に招待した。
氏は、自分の代わりにジューンをよこした。
ぼくらは、ちいさなホンダN360にジューンを乗せて東京中走った。

長身のからだを折り曲げて、
窮屈そうに車を乗り降りしていた彼女を思い出す。
ジューンは浅草へひとりで出かけた帰り、
ぼくの亀戸のアパートへ、寄った。
とても、浅草に興味を持ったらしく、すこし興奮していた。

雷門の人形焼きを買ってきて、
ぼくの二人の子供達に食べるようにすすめた。
4才と6才の息子は、
はじめての外人に驚いたのか、恥ずかしかったのか、
大好きな人形焼を前に、腰を引いて手を出さなかった。
ジューンの困惑した顔が、おかしかった。
ジューンは、京都で、重森氏の案内を堪能し、元気でアメリカに帰った。

フランク氏の礼状とジューンのスケッチが送られてきた。(写真参照)

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元村は、エラかった。
お世話になった、ユージン・スミスに、「水俣」の撮影を進言していた。
フランクの写真集への、協力の謝礼の意味もあっただろうが、
世界的写真家に水俣のドキュメンツを是非やってもらいたい、という願いだった。

「水俣」の恐るべき現実は、60年代に桑原史成のドキュメンツで告発されていたが、
引き続き、現地は憂うべき状況にあった。


スミスは、腰をあげた。
「よし、やろう。」
元村は、来日するスミスのために、表参道のセントラルアパートの一室を借りた。

オフィスはできたが、スミスの住まいはどうする?
現地水俣の拠点は?
元村の神経は、休まる暇はなかった。
 
浅井慎平さんが、オフィスに同居させてくれ、とやってきた。
スミスが動きだすためには、賑やかなほうかいい。
元村も歓迎した。
 
賑やかといえば、あの頃のセントラルアパートには、
映画作家、デザイナー、カメラマン、俳優など
いろいろなジャンルのアーチスト達が、ここを拠点に活躍していた。
一階にあるレオンの、コーヒーは、抜群の味で人気だった。

若いアーチスト達が狭い店内にひしめき、たばこの煙を充満させていた。
 
ここは、そんな若者達の梁山泊の様相を呈していた。

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ブルースが聞こえる 08

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三人の大恩人。 

すこし、そのことに触れさせてもらいたい。

目島計一氏には、写真学校でお世話になった。
学校は、綜合写専といって、かなり荒っぽいスパルタ教育をしていた。
土田ヒロミ氏をはじめ、数多くの写真家を輩出している。
目島氏は、そこの象徴的な教師だった。

氏は、左翼的な思想の教師で、ぼくとは、かなり考え方が違った。
だが、、「生きる意味」とか「ものの評価の基準」とか、やや抽象的な話では、ほとんど共感した。

ーーああ、人間って、思想が違っても、心を通じさせることができるんだ。

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ある時、目島先生と生徒が、激しく対立した。
課題で、「山の麓から、山の全景を、撮れ」というもので、
厄介なことには、立ち位置のうしろは、海だった。

当時は魚眼レンズなど、ワイドなレンズもなく、
そのままでは、その風景はカメラにおさまらず、みな途方に暮れた。
「そんなの撮れっこないじゃん」
生徒が抗議すると、
「それは、君達の家庭の事情でしょ。私は、その写真を求めているわけ。」
といって、先生は、プイと横をむいた。
「海の中に入って、撮るしかないじゃないですか。」
生徒が、更に激しく抗議した。
「じゃあ、そうやれば」先生は、涼しい顔で、即答した。
ぼくは、のちにお金をもらって写真を撮る生活になって、
難かしい取材に出会うといつでも、この時の風景を思い出す。


「それは、あなたの家庭の事情でしょ。」
無理偏にげんこつ、の仕事って、どこにもあるよな。
そうか。
プロとか、商売とか、は「出来ない」といったら終わりなんだ。
目島氏は、凄い真理を、単純に教えてくれていた。

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伊藤知巳氏には、多くのチャンスと、創作上のいきずまりを助けてもらった。
ぼくのデビュー作は、難産で、なかなか発表のチャンスが来なかった。
「こ難しい写真だな」
そういう、感想の人も多かった。
銀行員という、恵まれた暮らしを捨てて、好きなことやってるんだからしょうがない。
親友の朝比奈が、運んでくれる写真の仕事で細々とたべていた。
結婚2ヶ月で、プーのような生活。
ボロボロの借家。
なめくじの這う、台所で、泣きながら妻も頑張ってくれた。


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伊藤氏は、おだて上手で、すぐめげてしまうぼくを、父親のように励ましてくれた。
アサヒカメラや、岩波の「世界」など一流誌へ推薦してくれ、そこから、写真の道へスタートが切れた。
ぼくが、観念過剰で、制作にいきずまると、「観念の空転を排し、リリカルな資質をいかせ」
と、雑誌に厳しく論じてくれた。
清貧の人だった。
「先生、おれが、めし食えるようになったら、米俵かついでくるからね。」
冗談いうと、
「おう、2〜3俵かついでこい」と笑った。
米1合も届けられないうちに、先生は亡くなってしまった。

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山岸章二氏にも大変お世話になった。
いま活躍している写真家の多くは、山岸さんの恩恵をうけたのではないだろうか。
駆け出しの頃、ある写真誌に原稿をもち込んだ。
その編集長は、怒った顔で「こんなのは、写真じゃあない」、と嶮もほろろに拒否された。
そんなことは、まれではなかった。
訪問販売や、無理解な上司に苦しむサラリーマンと同じだった。

山岸さんは「おう、凄いじゃん。どんどんもってこいよ」
捨てる神あれば、拾う神ありで、ペチャンコのぼくを拾いあげてくれた。
新鮮な表現を見い出す才能に優れた方で、多くの写真家を育てた。
浅黒い、男らしい美貌の蔭に、太宰や芥川の繊細さ、を思ったことがある。  
突然、自殺された。
衝撃は、言葉にしょうもなかった。

それにしても、自分を認めてくれる人との出会いは、感謝と感動だ。
江原啓之氏の、人生は経験と感動を求めることだ、とは、ぼくも同感。
この世にいない三人を忘れることはない。


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ブルースが聞こえる 07


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凄い本ができた。 


日本に帰った僕達は、
本作りのためやることが、やまほどあった。
京都の特殊印刷を交渉する一方、
翻訳家、写真評論、作家論、デザインの
人選から交渉まで、大忙しだった。

こんなことってあるだろうか。
翻訳の諏訪優氏、
評論は、重森弘庵氏、埴谷雄高氏、松本俊夫氏、
デザインは、杉浦康平氏。


勝手に超一流の人選をし、お願いをしたが、すべてOKしてくださった。
しかも、ボランティアのような安いギャラで。

 
凄い本ができた。(写真参照)

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写真集のタイトルは、「私の手の詩」。
フランク氏は、私的なモノローグのような、構成をしていた。
冒頭、いきなり、供花されたようにチュウリップが置かれてある。
そして、亡き友人達の肖像が、並ぶ。

 
この本は、死者達の思い出からスタートしているのだ。
そして、のちに、航空事故で亡くなる娘と、
自殺した息子の幸福(そうだった)幼時のスナップ。
そして、(別れたのだろうか)妻。
それは、ある意思がはっきりしていた。
写真集は、自分の大切な人達と「生きたこと」から、
語りだしているのだ。


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アマチュア出版社の元村は、
エンジン全開で、走り出していた。
本の販売は、東、日版の巨大組織の取り次ぎに頼らず、
三鷹市牟礼の、六畳、四畳半の自宅アパートが、販売店。

注文には、元村みずから無骨な手仕事で、
フランク信者のもとに本は、せっせと届けられていった。

口とんがらして、黙々と作業。
目に浮かぶよ。
本の宣伝なんかに、使える金なんてないもんな。
すべて、雑誌社や、新聞社にパブリシテイを頼んだ。
二人で、歩いた。歩いた。
セールスマンの苦労がよく判る。
だから、読者への告知は、
新聞、雑誌にとりあげられた解説や評論だけ。
これまでには、どれだけ多くの方々の力添えがあったか知れない。
幸い、赤字がでなくて済んだらしい。


「まったく、おまえ達は。」と、
八重歯をのぞかせながら、慈父のように喜こんでくれた
写真評論家の伊藤知己氏。

「やったじゃんか。」と、まるい目を、
更に丸くして褒めてくれた、目島計一氏。

「素人に凄いことを、やられてしまったね」と、
評価してくれたカメラ毎日の山岸章二氏。

のちに出てくる、バッシングの苦痛のなかで、
この三氏のあたたかな受け止めは、
崩れかかるぼくらの心を、支えてくれた、本当に有り難いものだった。

このスト—リーとすこし離れるが、
この三氏は、ぼくをカメラマンの世界にすべりこませてくれた
大恩人なのだ。

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ブルースが聞こえる 06

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モンマルトル、死を予期する馬 


翌日、フランク氏は、
既出版の写真集「ザ・アメリカン」を僕達にくれた。


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古ぼけた机の引き出しから、
「好きな写真をもっていくように」
と、写真を沢山取り出した。

ぼくはためらわず、一枚の写真を手にした。
それは、かれの作品のなかでも、一番ぼくの印象深い写真だった。

広々とした霧のモンマルトル広場。
遠景にアパルトマンが、霞んでいる。
近くに、屠殺場がある。(そこに写っていないが)
そこに佇む馬に、子供達は、からかいながら投石している。
馬は労役の日々と老いを滲ませて、微動だにしない。
自らの死に近いことを、知っている馬。
なにも知らない残酷な子供達。


ぼくは、かってこんな知的で深い認識の写真をみたこたはない。


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元村は、土産のテープレコーダーの使い方を、
フランク氏にしきりに説明していた。
れいの如く、おちょぼ口をして。

ぼくは、ぼんやりと、窓外の汚れたビルをみたり、
アイリーンの細い指を眺めたりしていた。
ぐっと、疲労がきた。

フランク氏に別れをつげた。
こわいような鋭い瞳と、強い握手で送ってくれた。
なんとなく、最後の別れ、のように思えた。

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ブルースが聞こえる 05

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初冬、バワリーのロバート・フランク 
  
ロバート・フランクがカナダから戻った、と
アイリーンから連絡があった。

翌日の午後、
バワリーのフランクさんのオフィスで会えることになった。
会うことの現実感が増して、フランクと呼び捨てだったぼくらも
自然とフランクさんと呼ぶように変わった。
 
いつしか、かれを待つ間に、NYは、初冬の色を濃くさせていた。
彼の住むバワリーは、環境のよくないところで、
森永君から、
「飲んだくれが、歩道にごろごろ寝ている」
と、聞いていた。

やはり、そこは、灰色の殺風景な街で、
フランク氏のオフィスも古い汚れたビルにあった。
 


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採光のすくない部屋の
何もないちいさな丸テーブルで、ぼく達は、
写真の神様の前に座った。

 
かれは、カミユに似た風貌の人だった。
こちら側に、アイリーンと、フランク氏の横に、パートナーで画家の
ジューンと、それぞれ女性が座った。


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ぼくは、
元村と二人が、氏の写真を敬愛していることを告げ、

「この友人の元村が、あなたの写真集を出版させていいただきたいと希望しています。」

と、話した。
われながら愛想のない口上だな、と鼻白らんだ。


アイリーンが、通訳した。

言葉はよくわからなかったが
ボクの話の直訳ではない心のこもった通訳だろうことは
フランク氏の表情をみていてもわかった。


かれは、ずっとだまっていた。

そして、

「そんなことのためだけに、君達はわざわざやってきたのか。」

そういうと
フランク氏は、がくっと椅子に身を沈めた。


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元村の真情は、通じた。

フランク氏は、快く元村の諸条件を承諾してくれた。

いま、
40年も前のその時の情景をはっきりと思い出すことができる。

ちょっと不細工ではあったが
ジューンが調理したクッキーと、ジャスミンティーがテーブルにあった。
すすめられて食べたクッキーが、甘くなかったのが印象的だった。

つましい、質素な生活が滲んでいた。

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ブルースが聞こえる 04

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スミスとアイリーン。


森永君は快諾してくれた。
それにしても、なにか事を仕掛けていく上で
元村という、太っ腹というか
人間離れをした男が先ず、いて
川田さんという、ことの本質をサデッションできる人がいて
森永君という、人脈をもつキーマンがいる。

ぼくは、その周辺にウロウロしながら、元村の描いた夢が
実現の方向に進んでいるのを
天に向かって、心から感謝していた。


ニューヨークのスミスは多忙だった。
N.Y近代美術館での展覧会を控え
暗室にこもり、作品のプリントに大わらわだった。

全倍の大きなプリントをつくる。
聞けば、一日で、2枚しか出来ない、という。
いささかの不出来も、妥協しない。
完璧を期す、世界的プロフェッショナルの作業に接し、
ぼくらは、呆然とした。

赤ゲットのくだりで、画家の三太郎氏が、ここを案内してくれた時
いくらドアをノックしても、応答がなかったのは
きっと、暗室で、スミスは、極度の集中をしていたに違いなかった。

鬼神の如く、だ。


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忙しいスミスには、アイリーンという若い女性のアシスタントがいた。

「ハロー」
こっちの台詞。

「こんにちわ」
と彼女。

日本語、こっちよりうめーわ。
彼女は日系二世だった。
清楚で可愛い。
25才くらいかな。

随分前だが、富士フィルムが、世界的な写真家を登用してTVコマーシャルを
制作したことがある。
記憶している方もいるだろう。
キャッチフレーズは、「富士カラー、イズ、ビューテイフル」
その時の、コーディネーターが彼女。


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ユージン・スミスは、メインキャラクターだった。
その、CF撮影中、スミスは、アイリーンの仕事振りに痺れてしまった。
能力が高く、プラス、ジェントルハート。
発する言葉は、じーんと心に、くいいる強さを持つ。
通訳って、なまはんかの仕事じゃあねーぞ。


巨匠スミスに、生き様や、写真への期待を聞いた。
シュバイツアー博士の奉仕のドキュメントは、胸を打つ。(写真参照)


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この日、アイリーンのハートフルな通訳なしには、熱い話し合いにはならなかった。
時折、目をうるませながら、語ってくれたスミスは、帰りしな、何度も何度も
かたい握手で送ってくれた。


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マンハッタンの荒ぶる風。


ロバート・フランクは、ノーヴァ、スコシアの山荘にいた。
仕事中だ、1週間で戻るらしい。

それまで、ぼくは、マンハッタンを撮り歩いた。
不況と、ベトナム戦の膠着化などの影響だろう。
NYは、荒れていた。

東京だけでなく、こちらも、ペシミテイックなムードに覆われていた。
のちに東京にも現れた、ショッピングガールといわれた
住まいのない手回り品だけを抱えてベンチにうずくまる老女や、
男の浮浪者が街なかや公園に溢れていた。
そばを通ると黙って、手を差し出す老女に
思わず、コインを数枚渡したりした。


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ある日、行き先も決めず飛び乗った地下鉄が、マンハッタンを下り
海を渡る直前で、高架に上昇した。
橋を渡りきると風景は、カラーからモノクロに変わり、
そこブルックリンは、廃虚だった。
ビルが林立しているが、どのビルも荒廃し、人影もまばらだった。
路上に擱座している車は、フロントグラスを銃で撃ち抜かれており、サンサん五五
たむろしている黒人達の目も険しかった。
 
あとで、NY在住の友人達に、呆れられた。
「よく、生きて帰ったな」

 
元村は相変わらず元気だった。
当時、写真界は、コンテンポラリー、フォートが流行していた。
ちょっとシニカルで、心地いい映像のブルース、ダヴィットソンが、若者にうけていた。
 
元村が、スミスに、B,Dへ出版の紹介をたのんだが、
スミスは、「ああいう姿勢の写真家は、好きではない」と、
にべもなかった。

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ブルースが聞こえる 03

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すきやきから飛び出した真理。


川田喜久治さんに相談した。
川田さんは、大ヴェテランの写真家である。

かれも、森永君のように、簡単に商業性と妥協するような人ではない。
月刊TOWNという雑誌で、知り合った。
勿論、かれは大先輩、数々の秀作を世にだしていた。

雑誌TOWNは、結構、志向性が高く、感覚と観念という二律背反を止揚する狙いの、
面白い雑誌だった。
 
要するに、おもろいことと、哲学をべたっと貼り合わすとでもいうことか。
エロスという、雑誌なりの難しいテーマに川田さんは挑んだ。
イタリアのルネッサンスの彫像を、かれは撮った。
デスクの中田さんは、困って頭を掻きむしった。

エロスだよ。エロスになってないじゃん。
「はたやさん、どうにかしてよ」

知らないよ。

そんなことがあった。

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銀座の三笠会館で、川田さんと元村と三人で会った。
すきやきをつつく。
貧乏人が、こんなもん食っていいのかなあ、
いや、大儲けの前祝いだ、
など、かってなことを言いながら、本題にはいった。

「おれのは売れないよ」
川田さんの意見は、森永君と同じだった。
「で、損したら、どうするの」
そうだよ、おれだってそれを聞きたいよ。
 
元村は、「ぼちぼち、兄貴に返すからいいですよ」
鼻は上向いてて、「へーん」という、ひとごとのような
顔つきだった。
 
強情だよ。この男は。
一度きめたら変えないよ。
 
川田さんもこの変わりもんに、なにいってもダメとわかったらしい。
「いい写真集を作ろうと思ったら、絶対損するよ。」
「絶対、損する。」
川田さんは、確信もってそう言った。

しかし「やってみるつもりです。」
仙人は、そう言い切った。

あきれた顔で川田さんは、こう言った。
「こんな無謀なことをやれば、必ず失敗する。
それを承知でやるならば、作品と心中する気でやるんだね。」
 
心中?
「そうだ、これだ、と心から納得できる作家だったら、お金を無くしても
悔いはないかもしれない。」

心中するような作品に出会えているのか。
これは、凄い問いかけであった。
グワうん!と脳天にきた。
川田さんに、おれと元村は、ぶっとばされた。

ーー霧深し 身捨つるほどの、祖国はありや。
寺山修司だ。
川田さんの意見には、説得力があった。
考えてみれば、そこまでつきつめるのは、当然のことだった。
「甘い!俺達は、なにを考えていたんだ。」
忸怩たる思いだった。


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元村も、虚を突かれたらしく、しばらく黙っていたが、
「はたや君だったら、誰を選ぶかね。」
と、おれに振ってきた。

「ロバート・フランク」
 
ぼくが、凄い!としびれる写真家は、フランクしかない。
フランクほど、人生の深淵をみつめ抜いた写真家を知らない。

 
Rフランクの代表作「ザ、アメリカン」の序文で、ジャック・ケラワックは、
「機敏さと、神秘性と、その天性と悲しみと、その陰翳の
不思議な秘密をもって」アメリカの狂った感覚をえぐりだしていることに驚き、
「音楽が、ジュークボックスや、近くの葬式から飛び出してくる」と、
病めるアメリカ全土をボロ車で駆け、写し撮った秀作を賞賛している。


「ぼくも、フランクだ。」
目ギョロも、そう叫んだ。
 
じゃあ、きまりじゃん。ほんとにやるのかよ。
「やるよ。」おちょぼ口で、ぼそっと言う。


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日本人の無名の人選から、世界一の写真家に跳んだ。
これは、ホラ話である。
酒のんだ、あげくの夢物語だ。
 
どこの馬のホネかわからぬ東洋人に、フランクがまともにとりあう
わけないじゃんか。
ただ意識レベルでの大変化は、あったわけで、
この点は、川田さんに大感謝であった。
やっぱり、ランキングボクサーは、発想が違うぞ。

 
仙人は、ほとんど間ぱつをいれず、翌日にそのあとの
進行を促して来た。
 
しかたないなあ、
こっちだって、食う仕事の段取りだってあるし、
さりとて、フランクの写真集も魅力だしな。
子供やワイフには、泣いてもらって、これは、仙人の泥舟に
乗るしかないな。
 
即、森永君に電話した。
いいじゃんか。
かれも、ちょっと驚いていたが、賛成だった。
かれの親密なスミスに、スミスからフランクへの橋渡しを頼んだ。


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ブルースが聞こえる 02

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ブルースが聞こえる

  
写真集たって、タレントのやつは売れるけど、芸術性の高いヤツは売れないよ。
よしんば、売れるとしても、そういうのは出版社が、ほっとかないよ。
出版社が手を出さないものを探す。
しかも、質の高い、損しないもの。

ああ、駄目だ、駄目だ。
そんなんのあるわけないじゃん。
やめだ、やめだ。

「頼む」
目ギョロは、食い下がる。


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そこに、原爆が写っていた。

森永純君に話してみた。
かれには、「どぶ」という未発表作品がある。
これには、あるエピソードが秘められている。
すこし、話が逸れるが、その話に触れよう。
 
かれは、原爆が投下される前日、父親に「母親と二人で、
田舎に疎開しろ」といわれ、父と姉を残し、田舎の実家に帰った。
そして、長崎をピカドンが襲う。

被災地に立つと、すべてが灰燼に帰していた。
必死で瓦礫の山を探すと、プラチナの固まりが出てきた。
それは、姉が身につけていた指輪に違いなかった。
父も姉も煙のように消えた。

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ある日、酔って公園に寝ていた、明け方、かれのまわりに、雨の水たまりが、できていた。
それは、かれの心情にふさわしい風景だったという。
それから、撮り続けた水たまりや、どぶの写真は、喪失と絶望のイメージの、厳しい写真だった。

世界的写真家、ユージン・スミスは、日立製作所の依頼をうけ、大規模な、企業
のドキュメンツを制作しようとしていた。
しかし、いい助手がいない。
スミスの求める「助手」は、たんなる荷物持ちではない。
要求水準が高かった。写真家として、だ。

写真家の人間評価は、作品で見極める。
自薦、他薦でつめかけるカメラマンのたまごは、だれ一人としてスミスのメガネに叶う
者はいなかった。

 

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そんな時、森永君は、人に薦められ、しぶしぶスミスに会った。
スミスは、「どぶ」を丹念に観ながら、
「われわれは、罪を冒した。」
と、涙を流したという。
作品の叫びに感応する、鋭い感受性。
スミスも、ただものではなかった。

 スミスは、もちろん森永君を助手に、
いや、その後、スミスは世を去るまで、森永君を、助手としてではなく、
信頼する友人として、厚い友情をかさねるのである。


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「どぶ」は、売れないよ。」
森永君は言った。
「売れなくてもいいんだ、って元村は言ってるよ。」
「そうはいかないよ。」
 
そんなやりとりをしていて、
そうはいかないよな、とぼくも思いはじめていた。
1000万の借金を背負った目ギョロが、浮浪者のように彷徨う姿が、ふと
目に浮かんだ。
損する、という感覚。
あいつには、ないのか?
おれには、わからない。
 
ふと、「大いなる悲観は、大いなる樂観に通ず」という名言が頭に浮かんだ。
とにかく、仙人の考えることは、わからん。

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ブルースが聞こえる 01

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ここまで赤ゲットのマンガチックな旅行譚を書いてきた。
だが、それは、このアメリカ旅行の、こぼれ話で、付録。

じつは、このアメリカ行きは、ある男の人生を賭けた話が、メインで、
ぼくは、その男の目的の伴走者だったのにすぎない。
本来、その男の話がアメリカ行きの主題だった。

 いま、2009年、世の中には、不況という寒風が吹き荒れている。
 若者の中には、
 職もなく、
 金もない。
 人生の確たる目標も掴んでいない。
 あせるぜ。
 そんな心境の若者は、今でなくとも、1970年にもゴマンといた。
 その一人、元村和彦は、当時のフリーター。


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ある日、ふらりとぼくのところへやって来た。
当時、ぼくは、銀行員をやめ、カメラマンに転業、なんとか
細々、たべていた。

元村は、夜間に通った写真学校の同級生。
大蔵省(今の財務省)をやめ、ぶらぶらしていた。
寄らば大樹の、大企業のなかにいて、自分の生きる満足感が、味わえ
なかった点は、かれもぼくも同じだった。

60年、70年と公害、学園紛争と、世間を席巻していた龍巻きは、
食うことや、身をたてることの前に、「生きるということは、なんだ。」
という、脅迫観念をぼくらに押しつけてきた。

「おれは、才能がない。」
かれは、そう切りだした。
「しかし、この写真の世界に、気持ちは引きつけられ抜きさしならない。」
一息つき、「そこで、どうしたらいいか考えた。」
と言った。
「自分が撮る必要はない。だれか才能や、理想をもつ人の
作品を世に出せばいいじゃないか。」が、結論だった。
自分が創らず、人を世にだす。つまり、出版か。

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「おまえは、キリストか。」
ぼくは、すこしあきれた。
自分が食えていないのに、他人の出版だと?
金はどうするんだよ、てなもんだ。

「兄貴に借りる。」という。
税理士の兄を、時々手伝うので、少しは、頼みごとも出来るという。
そこで、兄貴に相談してみた。
「1000万くらいなら、なんとかするよ。」
兄貴はそう言った、らしい。
兄貴も兄貴だ。そんなんで、気軽に大丈夫?

オマエんとこは、財閥か?ぼくは、あきれた。
「いや、貧乏だ」
 
この男、35才位、風貌は、頭が薄く、顔浅黒く、痩身。目ギョロ。
一言でいえば、仙人、修験者。というイメージだ。
発想だって仙人級だ。
人間を越えている。


「わかった。」
もう、なんだかわかんないけど、やりたきゃ、やれ。

おれに、なにをしろってんだ。
「だれか、いい写真家を紹介してくれ」
え?。なに言ってるんだ、駆け出しで食うや食わずのオレに、
そんなエライさんの知り合いがいるわけないじゃんか。

とにかく、こんな、ノンちゃん雲に乗る、みたいな話から
元村の大胆な目論みは、進行だけは、していったのだった。


Blues_fg

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